ウイーン旧市街を囲むリンク内、ウイーン市庁舎と向かい合わせに建つのがブルク劇場。創設は1741年だが、第一次世界大戦で崩壊し、戦後復元された。国民劇場としての地位を占める劇場で、オーストリアが生んだ天才モーツアルトの「フィガロの結婚」はここで初演が行われた。
ここを訪れたのは、劇場階段スペースの上方、天井や壁面に展開されるクリムトのフレスコ画を見るためだったので、あまり足元の階段には注意しなかった。
だが、改めて見ると、赤じゅうたんの敷かれた大階段は見事。長い距離を持つ階段だが、重厚な中にもリズム感さえ感じられる風格を持った姿だ。
両側の支柱は白く装飾され、赤じゅうたんとの際立ったコントラストが優雅に映る。
そして、天井には若かりしクリムトが残した何枚もの絵があり、私はその絵を観賞するガイドツアーに参加して、ここを訪れた。
前述したとおり、この劇場は世界大戦後復元工事が行われることになり、ちょうどクリムトたちのグループが新たに活動を開始した時期と重なり、新しい風を求めた発注主が新人起用を発案し、ジャストタイミングでクリムトたちにこの仕事が舞い込んだわけだ。
「タオルミーナの劇場」。シチリアの風景を背景に展開される想像の舞台。
「シェークスピアの劇場」。ロミオとジュリエットの劇を描いた。
こうしたはつらつとした舞台の模様を活写したことで、クリムトは絵画界に鮮烈なデビューを果たし、以後独自の世界を築いていった。そんな歴史を持つ劇場で、階段もまた劇場の風格に一役買っている。
ブルク劇場の後方、少し裏道に入った。人通りの少ない小路だが、とても雰囲気の良い通りがある。そこに一直線の階段があった。 上り口にある洋服店のアンティークな看板が、さらに雰囲気をアップさせている。
この階段を昇るとすぐそこにパスクアラティハウスがある。ベートーベンが1804年から1815年にかけて住んだ家だ。そこで彼は交響曲第五番「運命」やピアノ曲「エリーゼのために」などの作品を生み出している。
であれば多分、ベートーベンもこの階段を上り下りしながら曲想を思い描いていたのだろう。この小路ならば、「運命」よりも「エリーゼ」のほうが似合いそうだ。
中心部にありながら、とても静かで絶好の散歩道だった。