新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

階段紀行・ヨーロッパ クロアチア編① ドブロヴニク。旧市街の城壁に上る急階段を始め、街は階段だらけだった。

2021-05-29 | 階段紀行・ヨーロッパ 

 

 ドブロヴニクはクロアチア南部・アドリア海に臨む風光明媚な都市だ。中世から地中海貿易の拠点として繁栄、「アドリア海の真珠」とも称される。 そんな都市の、海に突き出した旧市街は、街全体が世界遺産に登録されている。

 

 交易拠点の宿命ともいえるが、常に侵略の脅威にさらされてきた。そのため自治と自由を守るために市街地部分は要塞に囲まれており、今ではその要塞を一周する城壁巡りが観光ルートになっている。

城壁に上る急階段。ここの入口で入場料を払って観光が始まる。

 旧市街は急な傾斜に造られており、その一番の低地がメインストリートになっている。

 その道路は大理石(多分)。路面がピカピカに磨かれていることに、初めて足を踏み入れた時ビックリした。

 大通りから横道に入ると、どこでも階段に突き当たってしまう。

 その脇道は至る所に。

 トンネルのようなポルティコを通って階段の上り降りもしょっちゅうだ。

 坂道に沿ってレストランや土産物店などが軒を連ねる。そんなレストランの1つに飛び込みで入って食べたムール貝のワイン蒸しは絶品だった。

 

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階段紀行・ヨーロッパ オーストリア編③ シュテファン大聖堂の説教壇、オットー・ワーグナーの螺旋階段

2021-05-25 | 階段紀行・ヨーロッパ 

 ウイーン中心部に高さ137mの尖塔がそびえる。ゴシック様式のシュテファン大聖堂だ。18世紀から19世紀に栄華を誇ったハプスブルク家の元で帝国随一の大聖堂として世に知られた教会だ。

その身廊の中ほどにアントン・ピルグラム作の豪華な説教壇がある。16世紀初頭、中世末期の製作だが、階段の手すりを見ても繊細な装飾が施されているのがわかる、また、4人の教会博士の迫真のレリーフもあり、数ある各地の説教壇の中でも最高級の価値が認められている。

 ステンドグラスの光を受ける主祭壇は、聖堂の名前にもなっている聖シュテファンの受難のシーンが描かれた祭壇画が飾られ、豪華な装飾に満たされている。

 ここではモーツアルトが結婚式と葬儀を行ったことでも知られるが、葬儀に関しては失意の中でひっそりと小さなチャペルで行われた。そして墓はなく、教会裏側の地下室にわずかに銘板が置かれているだけだった。

 そうそう、テーマの階段に話を戻そう。ウイーン最大の市場ナッシュ・マルクトの近くに集合住宅マジョリカハウスがある。ウイーンにおける19世紀末の新しい芸術運動ユーゲントシュテールの中心的存在となったオットー・ワーグナーの設計による建築だ。

 壁一面に張り巡らされたマジョリカ焼きのタイルに、花模様を中心とした華やかな装飾が施されている。

 現在も居住者のいる住宅なので中に入ることは出来ないが、ちょうど一階部分が開いており、その階段を観察することが出来た。

 金属的なきらめきを見せる階段入口付近。

 階段とエレベーターが一体化している。中央の吹き抜け部分はエレベーターシャフトになる構造だ。

 階段を見上げる。まるで飴ん棒細工のような絶妙な螺旋具合と手すりの装飾にほれぼれする。

 最後に、あのカラヤンも8年間指揮を執ったという国立オペラ座。夜の食事からの帰り、ライトアップされたオペラ座の姿に出会ったが、その華やかさは見事なものだった。

 

 

 

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階段紀行・ヨーロッパ オーストリア編② ブルク劇場。クリムトの絵の下の重厚な階段、ベートーベンの歩いた石段

2021-05-22 | 階段紀行・ヨーロッパ 

 ウイーン旧市街を囲むリンク内、ウイーン市庁舎と向かい合わせに建つのがブルク劇場。創設は1741年だが、第一次世界大戦で崩壊し、戦後復元された。国民劇場としての地位を占める劇場で、オーストリアが生んだ天才モーツアルトの「フィガロの結婚」はここで初演が行われた。

     

ここを訪れたのは、劇場階段スペースの上方、天井や壁面に展開されるクリムトのフレスコ画を見るためだったので、あまり足元の階段には注意しなかった。

 だが、改めて見ると、赤じゅうたんの敷かれた大階段は見事。長い距離を持つ階段だが、重厚な中にもリズム感さえ感じられる風格を持った姿だ。

 両側の支柱は白く装飾され、赤じゅうたんとの際立ったコントラストが優雅に映る。

 そして、天井には若かりしクリムトが残した何枚もの絵があり、私はその絵を観賞するガイドツアーに参加して、ここを訪れた。

 前述したとおり、この劇場は世界大戦後復元工事が行われることになり、ちょうどクリムトたちのグループが新たに活動を開始した時期と重なり、新しい風を求めた発注主が新人起用を発案し、ジャストタイミングでクリムトたちにこの仕事が舞い込んだわけだ。

 「タオルミーナの劇場」。シチリアの風景を背景に展開される想像の舞台。

 「シェークスピアの劇場」。ロミオとジュリエットの劇を描いた。

 こうしたはつらつとした舞台の模様を活写したことで、クリムトは絵画界に鮮烈なデビューを果たし、以後独自の世界を築いていった。そんな歴史を持つ劇場で、階段もまた劇場の風格に一役買っている。

 ブルク劇場の後方、少し裏道に入った。人通りの少ない小路だが、とても雰囲気の良い通りがある。そこに一直線の階段があった。 上り口にある洋服店のアンティークな看板が、さらに雰囲気をアップさせている。

 この階段を昇るとすぐそこにパスクアラティハウスがある。ベートーベンが1804年から1815年にかけて住んだ家だ。そこで彼は交響曲第五番「運命」やピアノ曲「エリーゼのために」などの作品を生み出している。

 であれば多分、ベートーベンもこの階段を上り下りしながら曲想を思い描いていたのだろう。この小路ならば、「運命」よりも「エリーゼ」のほうが似合いそうだ。

 中心部にありながら、とても静かで絶好の散歩道だった。

 

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階段紀行・ヨーロッパ オーストリア編① ウイーンの美術史美術館で出会うドラマチック階段。

2021-05-18 | 階段紀行・ヨーロッパ 

 美術史美術館。18世紀から20世紀初頭にかけて栄華を誇ったハプスブルク家の美術コレクションを一堂に集めたこの美術館は、充実した内容で世界に知られている。が、ここではあまり話題を広げずに階段中心の話をしよう。

 入場者が必ず通る中央階段。建物自体は19世紀のもの。ウイーンの城壁を取り払って新しい街を作り上げたときの建築なので決して長い歴史を持っているわけではない。だが、十分に入場者の期待を膨らませるだけの導入口になっている。

 中央階段を折り返し、踊り場にある彫像に出会う。カノーヴァ作「テセウス群像」。実にドラマチックだ。

 面白いのは2階大ホール。ここは、3階まで吹き抜けた円天井の空間になっており、カフェレストランが営業している。テーブルが囲む中央部に丸い穴が開いており、そこから下の階段が見渡せる。ちょっと面白い造りだ。

階段の上部は、若き日のクリムトが描いた壁画がずらりと壁面を埋めており、じっくり鑑賞できる。

 せっかくなので、自慢のコレクションの一部を。

 ブリューゲル「バベルの塔」。ブリューゲル作品の最も充実した美術館として知られるが、中でも個人的に一押しがこの作品。天にも届く塔を建設しようとして神の怒りに触れてしまうという旧約聖書の物語。聖書によればその神の怒りによって人々が各々異なった言語を話すようになり混乱の極みに陥ってしまう。絵を見れば、人々の営みはこの無謀な計画の途中で既にほころびが出ていたところを示唆しているようだ。

 聖母の画家ラファエロの「草原の聖母」。三角構図を用いて安定した聖母子の姿は、理想的な家族の風景を現出させている。

 フェルメールの絵もある。「画家のアトリエ(絵画芸術)」。30数点という数少ない彼の作品の中でも最高傑作の1つとされる。室内の張りつめた空気感。衣服や諸道具の質感など、ただただ見入ってしまう絵の1つだ。

 

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階段紀行・ヨーロッパ チェコ編② キュビズムの建物にある”涙の粒”のような螺旋階段、カフカの肖像のある階段

2021-05-15 | 階段紀行・ヨーロッパ 

 絵画ではキュビズムといえばピカソやブラックなどが有名だが、建築におけるキュビズムは第一次世界大戦前のチェコに生まれた特殊な形態だ。

 キュービック=立方体 から発想を得たもので、全体が多面体、カキカキとした形が特徴だ。その中で最も有名なのが、この「黒い聖母の家(ブラックマドンナ)」と呼ばれる建築。

 今キュビズム建築のミュージアムとして使われていて、カフェも併設されている。その2階へ上がる階段がこれ。

 涙の粒のような細長い下膨れの楕円形が、幾重にも重なって見える。 

 見上げると、ゆったりとしたカーブが、雫が垂れるように下ってくる。

螺旋階段の変形ともいえそうな形が印象深かった。

 ホテルオールドタウン。このホテルはかつて保険会社が入っていた。その保険会社に勤務しながら小説を執筆していたのがフランツ・カフカだ。

  「変身」「城」など不条理の世界を描いた特異な作品を生み出した作家の肖像が飾ってあるというので、訪問して許可をもらって撮ったのがこの写真。

 その日は、前回紹介したパジースカ通りの螺旋階段に出会う前日。全く階段には興味を持っていなかったため、階段そのものはただの背景としてしか撮影していなかった。 今となっては、もう少しちゃんと撮っておけばよかったとの思いが残っている。

ここで、もう少しプラハの風景を紹介しよう。

 ブルタヴァ川(モルダウ川)沿いに建つマサリク通りの建築群は、陽光を浴びてまるで金箔を貼ったかのようにキラキラと輝いていた。建築好きにはプラハは欠かせない。

 超モダンなビル。ダンスをしているように見えることから「ダンシングビル」と呼ばれている。日本でも結構特殊な形をした建築が増えてきているが、ここまでの突出した建築は見たことがない。

 

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