新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

パリを歩く⑮ 幾多の歴史を積み重ねたパリのシンボル。甦れノートルダム大聖堂

2019-06-04 | パリ・街歩き

 今回の旅行についての連載を続けてきたが、最後にはやはりパリ・ノートルダム大聖堂を取り上げたいと思った。 というのは、私が既に帰国した後だったが4月15日に突然の出火によって、大聖堂は尖塔を始めとして多くの部分が焼失してしまった。

 現在建物へは入館禁止の措置が取られており、フランス政府は国を挙げての再建を宣言したが、その完成は何年先になるか不明の状態だ。

 改めて、ノートルダム大聖堂の歴史を踏まえて、もう1度その姿を眺めてみよう。

 この大聖堂が建設されたのは1163年。ルイ12世時代に、聖母マリアを祀る教会を、という趣旨でパリ司教シュリーによって起工された。

  

建設途中の1239年には聖ルイがコンスタンティノープルの皇帝から買い求めたキリストの聖遺物・茨の冠がパリにもたらされた。

 当初はこの聖遺物を納める建物としてサントシャペルが造られたが、最終的には大聖堂に納められることになった。

 現在の大聖堂の実際の完成は1272年。以来ゴシック様式の代表的建築の1つとして厚い信仰の対象となってきた。

 ただ、荒廃の時期を過ごしたこともあった。1789年のフランス革命。王政を筆頭とする権力への反抗から出発した革命は、大聖堂をも古い権力の象徴として軽視する風潮を生み、建物は倉庫として使われるなどの荒廃が続いた。

 そんな時登場したナポレオン・ボナパルトは、自らの戴冠式をこの大聖堂で行い(1804年)、大聖堂の存在価値を再認識させた。

 文化面では、ヴィクトル・ユゴーが「ノートルダムの背むし男」を発表すると同時に大聖堂の修復を呼び掛けた。

 こうした動きによって、1844年に大規模な修復工事が開始されることになった。

 中央部の高さ90mの尖塔が新たに加えられたのはこの時だった。

 そんな歴史を刻んで1991年にはユネスコの世界遺産にも登録され、全世界にその価値が認識されて現在に至っている。

 マクロン大統領が再建宣言を行い、全世界から善意の寄付が寄せられているが、再びあの勇壮な大聖堂の姿を見ることが出来るのはいつになるのだろうか。

 堂内には華麗なステンドグラスだけでなく、聖母子像など様々な美術品が備えられていたが、それらは果たして被害を受けなかったのかどうか、心配も尽きない。

 ヴェネツィアのフェニーチェ劇場が火災に遭ったものの、まさに名前の通り不死鳥のように復活した姿をこの目で見た時の感激を今でも覚えているが、ノートルダム大聖堂もまた、一日も早い全面復旧が叶うことを願わずにはいられない。

 

 

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パリを歩く⑭ モンパルナス墓地はまるでアートの展示場。変わったニャンコたちも。

2019-04-05 | パリ・街歩き

 モンパルナス墓地は著名人の墓を訪ねることの他に、面白い、変わった墓を見つける楽しみもあった。この墓は陶製の巨大ネコ!?

 こちらは入らな墓石の上にちょこんと子猫ちゃんが座っている。

 と思えば、墓石にステンドグラスをはめ込んだ異色の墓標。

 一方でアーティスティックなものもいろいろあった。こちらは手のモニュメント。祈りのポーズを表現しているのかも。

 磔刑されたキリスト像?

 沢山の勲章が並べられた墓。生前は相当のお偉い方だったのだろう。

 シルビア・ロペスさんの墓。女優さんだったのかも・・・。

 この墓にも笑顔の女性の写真が添えられていた。


 こちらは元は競馬の旗手だったのだろうか。

 これはキリストの死を悲しむ「ピエタ」像。

 これは何だろうか。まさに前衛的な作品。

 対してこちらはひっそりとたたずむ清楚な女性像。

 祈りをささげる像も。後方にはモンパルナスタワーがそびえている。

 白いドレスを着たダンサーのような像だ。

 こちらも女性像。少し悲しみを湛えたような姿に見える。

 とにかくいろいろな像やモニュメントがちりばめられた、まるでアートの展示会のような空間でもあった。そんな感想を抱いて墓地の外に出ると、これもまたアーティスティックな建物が目の前に。

 そして、改めて直立するモンパルナスタワーがドーンと目前に迫っていた。

 さあ、パリを後にして次は中世の大聖堂が待つアミアンへ出発だ。


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パリを歩く⑬ サルトルからゲンズブール、ボードレールまで。墓地なのに華やかな場所になっていたモンパルナス墓地

2019-04-02 | パリ・街歩き

 パリ出発日の朝、電車の時間まで時間があったので思い立ってモンパルナス墓地に行ってみた。

 入ってすぐのところにあったのが、あの哲学者ジャン・ポール・サルトルとボーヴォワールの墓。実存主義の第一人者出あり、「嘔吐」などの著書を持つサルトルと、「第二の性」で知られ、女性解放運動の草分けであるボーヴォワールはお互いを認め合う仲。ボーヴォワールの故郷であるモンパルナスに住み、近くのカフェで語り、作品を記す姿がよく見られたという。

 ‟信者”も多く、この日も花束が添えられていた。

 これはジーンセバーグの墓。ハリウッドスターだったセバーグは「悲しみよこんにちは」でセシルカットというショートヘアで颯爽と登場した。その髪型は大流行したことでも知られる。その後も「勝手にしやがれ」の主演などで活躍したが、後年うつ病にかかり40歳で自死するという悲劇的な最期を遂げた。

 花束の前には彼女自身の明るい笑顔の写真が備えられていて、ほっとする気持ちにさせられた。

 こちらはセルジュ・ゲンズブールの墓。歌手、作詞作曲家、俳優とマルチな活躍でフランス女性を虜にしたスーパースター。ジェーン・バーキンと事実婚をし、ブリジッド・バルドーとの付き合いも話題になった。

 ここには何枚ものポートレート額入りで飾られ、相変わらずの人気ぶりだ。

 数年前に彼の自宅前を通った時、家の壁が沢山の落書きで埋め尽くされていたことを思い出す。

 マンレイの墓。画家、写真家、彫刻家の顔を持つ、シュールレアリスムの旗手。以前彼がアトリエにしていたビルを訪れたことがある。何度か結婚、恋愛を繰り返したが、今は最後の妻となったジュリエット・ブラウナーと一緒の墓に入っていた。

 あちこち探してやっと見つけたボードレールの墓。通路と面しておらず、横向きに墓が立っており、わりと地味な造りになっていた。

 墓碑には口紅のような赤い印がついている。

 供えられていた見事な花束。

 ようやく青空が広がり、心地よい空気が周囲を包み始めてきた。

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パリを歩く⑫ コンシェルジェリー、市庁舎、サンジャックの塔。歴史を思い浮かべながら歩いたセーヌ河畔の夜

2019-03-30 | パリ・街歩き

 ノートルダム大聖堂を後にして、ノートルダム橋からセーヌ右岸に渡る。向かい側にはパリ市庁舎が見渡せる。

 この橋は3つのアーチ持つ石造だったものが、船の通行をスムーズにするため1919年に鋼鉄製の大アーチ型橋に換えられたという。

 シテ島側にはコンシェルジェリーが建つ。フランス革命の際、マリー・アントワネットが処刑前の最後の日々を過ごした場所だ。

 以前、早朝散歩をしていた時朝焼けのコンシェルジェリーに遭遇して感動したことがあった。

 手前に見える橋はシャンジュ橋。橋げたに「N」のマークが刻まれているのは、ナポレオンの頭文字だ。

 少し歩くと、遠くにエッフェル塔の照明が見えてきた。その横に広がる橋は、現存するセーヌ川最古の橋ポンヌフ。1607年完成というから日本では江戸幕府が始まったばかりのころだ。「ポンヌフの恋人」という映画があったっけ。

 寒くなってきた。地下鉄に戻ろう。

 振り返ると大きな塔と像の載った円柱がそびえている。円柱はナポレオンのエジプト遠征の勝利を記念して建てられたもので、上にいるのは月桂樹の輪を掲げて両手を広げた女神像だ。

 また、塔はサンジャックの塔。54mの高さがある。元々はサンジャック・ブシェリー教会の鐘楼だったが、教会そのものがフランス革命の際破壊されてしまい、今は塔だけが残っている。
 
 1648年にはこの塔の上でパスカルが気圧の実験を行い、気圧が高度によって変化することを証明したことでも有名だ。そう、彼の名前は毎日の天気予報などでおなじみの気圧の単位「ヘクトパスカル」として今も活躍中だ。

 円柱の隣りはパリ市民劇場だ。

 パリ市庁舎が見えてきた。前の広場は今でこそ整備されて冬はスケート場になったりしてにぎわうが、19世紀近くまでは処刑場として使われてきた。ギロチンが初めて使われたのも、この広場だという。
 

 こうしてちょっと歩いただけでも、パリ中心部は世界史に記録されるような歴史的事件の現場がそこここに横たわっていることを、改めて実感させられた。

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パリを歩く⑪ ノートルダム大聖堂の周りを見て歩く。やっぱり貫禄十分だ。

2019-03-26 | パリ・街歩き

 パリ滞在最後の夜、ノートルダム大聖堂に向かった。やっぱりここだけは見ておかなくちゃあ。ただし今回は外見だけの見学。
 大聖堂は雨模様の中、青いクリスマスツリーの背後に、灰色の空と同調するように控えめに立っていた。

 が、照明が当てられるとその壁面が微妙に色をまとい始め、

 少しずつ、少しずつ、その存在を主張し始めた。

 やはり大聖堂のインパクトは強烈だ。

 頭頂部の双塔も輝きを増してくる。

 正面の彫像たちの迫力も十分だ。

 その姿は正面の直線的なものだけで満足するのではもったいない。側面にも回ってみよう。2つの塔が木陰から突き出る側面の姿も雄々しく感じる。

 さらに歩いて真横から見る大聖堂。フライングバットレスの柱が突き出るジャングルのような建築がセーヌ川の水面から立ち上がる光景は、ゴシック建築の特徴をまざまざと見せつけてくれる。

 そんな大聖堂の正面に相対する建物は、パリ警視庁だという。クリスマスシーズンはこんな青、白、赤のフランス国旗の色にショーアップされていた。

 正面玄関最上部には人物の彫刻が施されていた。

 この通りから少しセーヌ河畔を歩いてみよう。


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