新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

ベルニーニとローマ⑥ 本当にこれが石で出来ているの? ベルニーニの超絶技巧

2021-02-23 | ベルニーニとローマ

 ここまでいくつもの作品を見てきたが、ベルニーニの真髄はまだまだこれからだ。その作品に触れられる美術館へ向かおう。地下鉄A線でスパーニャ駅下車、広いボルゲーゼ公園を東に歩いて行くと、ボルゲーゼ美術館がある。ここは予約制なので、事前にネットなどで予約しておくことが肝心だ。

 まず最初の作品は「アポロとダフネ」(1622~1625)。アポロはダフネに恋してしまう。我がものにしようと迫るアポロに対して、ダフネはこれを拒絶。対抗手段として父ペネウスにわが身を月桂樹の木に変えてくれるよう依頼する。

 まさに変身しようとするダフネの体は、先端から徐々に月桂樹の枝に変わって行こうとしている。指、つま先、髪。だが、アポロの手も、まだ人間であるダフネの体に食い込みつつある。

 そんな一瞬の攻防を、ベルニーニは空前絶後のテクニックで彫り上げた。こんなに隅々まで繊細な姿が、石で出来ているなんて、とても思えない。

 次は「プロセルピーナの椋奪」(1621~1622)。ガイア(大地)の娘プロセルピーナが冥界の王プルートから逃れようとする必死の姿が表現される。下部には番犬ケルベロス。

 プロセルピーナの柔らかくしなやかな肌に食い込むプルートの指。改めて言うが、これが石で出来ているなんてとてもとても!

 逃れようとするプロセルピーナの必死の表情、風になびく髪の動きなど、ベルニーニの才能がほとばしる作品になっている。この2作を見るだけでも、ローマに来てよかったと思えるだろう。

 

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ベルニーニとローマ⑤ サンタンジェロ橋から大聖堂へ。天使像によって、キリストの受難を疑似体験する空間を完成させた

2021-02-20 | ベルニーニとローマ

 大聖堂を出てサンタンジェロ城に向かおう。先ほど歩いてきた道を、そのまま引き返せば城に到着する。目的は城の前にある橋の像だ。

 サンタンジェロ橋には両側にズラリと天使像が並ぶ。これらの像はベルニーニの構想によって彼とローマの彫刻家たちが共同製作したものだ。

 天使たちはそれぞれに何かの持ち物を抱えている。それらはキリストの受難を表す品々だ。例えばこちらは磔にされた十字架。

 その十字架にキリストを打ち付けた釘。

 これはキリストを突き刺した槍だ。

 そして、これは磔刑の時に身に着けていた聖なる衣。

晴れた日にこれらの像を1つ1つ見て行くと、空の青を背景にした像たちが神々しいくらいに美しく輝くのを目にすることが出来る。

ベルニーニはこの10体の制作全体を統括したが、自らが制作したのは2体だけ。他の8体は当時のローマで活躍していた8人の彫刻家に委任した。

ベルニーニ本人が制作した像は、時の教皇クレメンス九世が、外にさらすのはもったいないと教会の中に保存、橋にはコピーが展示されている。

 その像がこちら。スペイン広場のすぐ近くにあるサンタンドレア・デッラ・フラッテ教会に行けば本物に出会うことが出来る。INRIの銘を持つ天使像が、主祭壇の横に安置されている。

 サンタンジェロ橋は、当時バチカンと市中を結ぶ唯一の道だった。そこで橋の整備を任されたベルニーニは、ここを「受難の道」とすることを構想する。巡礼者たちがこの橋を通るとき、キリストが味わった受難を、橋にある天使たちの姿を見ることで疑似体験し、心を清めてサンピエトロ大聖堂に向かうーーという通過儀礼をここに完成させた。

 つまり、巡礼者たちはこの「受難の道」を通過してからバチカン地区に入り、彼らを抱きかかえるかのようなサンピエトロ広場の柱廊に迎えられ、聖堂内では巨大なバルダッキーノを通して司教座のあるカテドラペドリを参拝する。こうした巡礼の最終場面における劇的興奮を、すべてベルニーニによって造られた世界の中で体験することになった。

 もし夕方にここを訪れて時間が許せば、サンタンジェロ城の屋上に上ることをお勧めする。屋上からは大聖堂の背後に沈む夕日のドラマを間近に目撃することが出来る。

 そして、大聖堂のクーポラが真っ赤な夕空の中でシルエットに浮かび上がる瞬間。ぞくぞくするような興奮に包まれたことを覚えている。

 晴れた日の夕方、ぜひ一度お試しを!

 

 

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ベルニーニとローマ⓸ ミケランジェロとベルニーニ。サンピエトロ大聖堂には2人の天才の足跡が鮮明に刻まれている

2021-02-16 | ベルニーニとローマ

 今回もサンピエトロ大聖堂内部に注目しよう。

ドームを支える四面の壁の装飾として、聖遺物を納めるスペースと関連する聖人の像が造られた。

 ベルニーニはそのうちの1つ聖ロンギヌス像を製作している。高さ2・4mという大きな像だ。

 聖ロンギヌスとは、キリストが十字架に架けられたキリストのわき腹を刺した人物。彼はキリストを刺した後、十字架を見上げて「確かに彼は神の子だった」と叫んだといわれるが、像はその瞬間をドラマチックに表現している。 この場所には、その槍の穂が聖遺物として納められている。

 また、堂内にはアレクサンドル七世の墓碑もある。これもベルニーニの作品。

 墓碑の中心にアレクサンドル七世がいて、下に4人の女性像が配置されている。これは慈愛、真実、節制、正義という4つの言葉を擬人化したものだ。

 アレクサンドル七世は晩年のベルニーニにとって最大の支援者となる重要人物だ。ベルニーニを重用したウルバヌス八世の死後教皇の地位に着いたイノケンティウス十世は、ベルニーニに代わってボッローミニを建築の中心に据え、ラテラーノ教会改築など法王庁の仕事を発注。ベルニーニにとっては冷遇の時代が到来してしまった。

 それが、アレクサンドル七世の時代になると、再びベルニーニに脚光が当たる。ポポロ教会にある教皇自らの家の礼拝堂整備を依頼、さらに前回紹介したサンピエトロ大聖堂前広場の拡張や聖堂内の整備などが再びベルニーニに託され、復権の時代が到来する。

 この大聖堂には、ミケランジェロの出世作であり最高傑作の1つでもある「ピエタ像」が入口近くに置かれて、聖堂見学と共にその偉大さを再認識することになる。

 同時に、ベルニーニの才能と努力の成果を示す作品も大聖堂の各所にちりばめられていることに気付く。そのように、大聖堂は2人の偉大な天才の足跡を鮮明に残す場でもある。

 

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ベルニーニとローマ③ ローマは「古代遺跡の残る街」から「画期的ななバロック都市」へと変貌して行く

2021-02-13 | ベルニーニとローマ

 クーポラからの見学を終えたら、大聖堂内部を見て回ろう。ここには有名なバルダッキーノと呼ばれる高さ29mの天蓋がある。

 聞きなれない言葉バルダッキーノとは、バグダッドのこと。バグダッドから運ばれた高級な布地で天蓋を作ったことから生まれた言葉だ。

 そもそも大聖堂はAD64年にキリストの一番弟子聖ペテロが殉教した場所に建てられた教会。聖ペテロがこの教会の地下に埋葬されている。

 その聖なる場所を示す天蓋は、太くねじれたブロンズの柱が豪快にうねり、鳩、月桂樹の葉などが彫り込まれている。ベルニーニは旧聖堂にあったエルサレムから運ばれたとされるねじれた柱に注目、これを積極的に取り入れて、さらに装飾的に仕上げたものだという。

 このねじれは、その後の各地のジェズ教会の建築に次々と採用され、バロック建築の典型とされるようになって行った。このバルダッキーノは、新しいバロック美術の誕生を示す作品として今でも輝き続けている。

 さらに、バルダッキーノの奥にあるのがカテドラ・ペトリ(ペトロの司教座)。初代ローマ教皇の重要な遺品を納めたブロンズの司教座を、4人の教会博士が支える。その上には神の光、周囲を飛び回る天使たち。目も眩むほどの作品は、バロック美術における最高傑作の1つとされる。

 現存するこの大聖堂は、前回に少し触れたように、ミケランジェロがブラマンテの計画を引き継いで、雄大なクーポラの完成へと導いた。

 ベルニーニは先人の志を引き継いで、次に大聖堂広場の画期的な整備を実現し、さらに内部の革新的な充実を成し遂げることに成功した。

これはローマを単なる「古代遺産の残る街」ではなく、革新的なバロック都市に変貌させたことにほかならない。それはベルニーニを第2のミケランジェロに育てようとしたウルバヌス8世の試みが見事に実を結んだ証でもあった。

 

 

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ベルニーニとローマ② ベルニーニが手掛けたサンピエトロ大聖堂の大広場を、屋上から見下ろす。

2021-02-09 | ベルニーニとローマ

 

ベルニーニとローマへの旅は、まずサンピエトロ大聖堂を目指そう。

 テルミニ駅前バスターミナルから急行バス40番でコンチリアツィオーネ通り脇の終点で下車。もう大聖堂が見える。歩いて大聖堂へ。

 この大聖堂広場はベルニーニデザインだ。広場を取り囲む半円形の回廊は4列になっており、そのドーリス式円柱は合計284本。

 緩やかなカーブが、広場に集まる人たちを包み込むかのように広がる。まるで広大な劇場に入ったかのような興奮を覚える。

 上部には140人の聖人たちの像がずらりと並べられている。

 夕方になると、その聖人たちが夕陽の中で語り合っているようなシルエットの光景にお目にかかることが出来る。

 現在の大聖堂は、ブラマンテによって着工され、ミケランジェロが引き継いで1626年には完成したが、広場の大改修はベルニーニによって1656年に始まり1667年に完成している。

 広場全体を見渡すのには、大聖堂のクーポラに上るのが一番だ。向かって左側の入場口から聖堂に入り、階段かエレベーター(有料)で屋上へ。そこから見下ろす大広場、それに続くローマ市街の眺めは是非とも体験してほしい景観だ。

 その視点の先にはコロッセオの姿も確認することが出来る。

 ベルニーニがローマを造り、ローマがベルニーニを生んだ、といわれるように、両者の切っても切れない深い関係を予感できる貴重な舞台でもある。

 

 

 

 

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