開校以来130年もの長い歴史の中で、優れた才能を持つ音楽家たちが育っていった。その代表が滝廉太郎、山田耕作、三浦環らだ。
建物正面右側には滝廉太郎の全身像がある。彫刻家朝倉文夫の作品だ。
長い歴史の中で、危機が訪れることもあった。1960年代に建物の老朽化に伴って新たな音楽ホール建設が具体化した。では旧奏楽堂はどうするか ? 協議の末、愛知県犬山市にある明治村に移転することが決められた。
その時、新たな動きが始まった。「せっかくの日本初の木造音楽ホールを、生きた形で現地に保存するべき」。芥川也寸志や黛敏郎らの芸大卒業生たちが「奏楽堂を救う会」を結成して運動を開始した。
数年の難航の末、大学ではなく台東区が事業主体となって公園内に移築復原することを決定。1987年にクラシック専門ホールとして、改めての開館を迎えることになった。
また、2018年には、5年間休館して行った耐震工事も完了し、現在はリニューアルした新しい殿堂でコンサートなどが行われている。
また、パイプオルガンも奏楽堂の犬山市移転計画の際解体が予定されたが、存続に伴って修理復旧、今も豊かな音色を響かせている。
実はこのオルガン、イギリスのアボットスミス社製らしく、貴重なものだという。
ここにもまた、美しい階段がある。ホールへと昇る階段で、気持ちが高ぶる感じだ。