新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

ミケランジェロ作品より70年前、ダビデ像にドナテッロの妖しい陶酔を見た。バルジェッロ博物館

2018-11-13 | フィレンツェ・バルジェッロ国立博物館
 ‟フィレンツェ美術巡礼”の最後はバルジェッロ国立博物館。元は司法長官邸宅だったり監獄だったりした堅牢な建物は今、彫刻を中心とした博物館になっている。

 何といってもここではドナテッロの「ダビデ」が圧倒的な存在感を放っている。個人的には一押しの像だ。
 ゴリアテのと戦いを終えて勝利の余韻に浸るダビデ。右手に剣、もう一方の手は腰に当ててリラックスした姿勢で軽くうつむいている。
 これが第一印象だが、近づいてよく見るといろいろなものが見えてくる。

 左足元に、倒したゴリアテの生々しい首がある。死人の髭がダビデの指に絡みつく。

 ゴリアテががぶっていた兜の羽飾りは、ダビデの足にしなやかに寄り添うかのように上方に伸び、足の付け根まで届いている。

 洒落た帽子をかぶった顔は耽美的で、陶酔に浸るかのように冷たい微笑みが微かにうかがえる。

 これほどの静寂に包まれていながら、これほどに劇的でなまめかしい像があるだろうか!
 古代以来最初の全裸の男性像といわれる、ドナテッロの最高傑作だ。

 この像はその約70年後に登場するミケランジェロの「ダビデ」の先駆けとなる記念碑的作品といえるだろう。
 なお、ミケランジェロのダビデは敵の巨人ゴリアテとの戦いに臨む直前の緊張感みなぎる若者の姿だが、ドナテッロは戦いを終えたダビデ像。その緊張と緩和のシーンの違いもまた、面白い比較材料になっていると思う。


 なお、この博物館にはもう1つのダビデもある。ヴェロッキオ作「ダビデ」。こちらは健全で気鋭の若き戦士を感じさせるすっきりとした姿だ。

 こちらも足元にはゴリアテの首が置かれているが、決して生々しくはない。

 ヴェロッキオ工房では若き頃のレオナルド・ダ・ヴィンチが修行を始めていたが、そのレオナルドがモデルになっているこの作品は、滴るような美少年に仕上がっている。

 同じダビデ像でもこれほどにも違う作品になる。そんな比較が出来るのもフィレンツェという街ならではの楽しさだろう。
 
 

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ミケランジェロの傑作が空間を埋め尽くすメディチ家礼拝堂で、至福の時間を過ごす

2018-11-09 | フィレンツェ・メディチ家礼拝堂
 メディチ家礼拝堂は2度目の訪問だ。数年前パリから飛行機を乗り継いでフィレンツェに来た時、たまたま隣の席に座った女性と知り合った。彼女はフィレンツェに語学留学していて、夏休み休暇から帰る所だった。
 話が盛り上がって、彼女がおいしいレストランを紹介してくれることになり、2日後に待ち合わせをした場所が「メディチ家礼拝堂の前」だった。

 2回目のメディチ家礼拝堂。中に入るとまずは君主の礼拝堂がある。

 17世紀初頭に造られた歴代トスカーナ大公家の墓所だ。そこからさらに進むと待望の新聖具室がある。ここにはミケランジェロの彫刻作品が三方の壁を埋める贅沢な宝箱のような空間だ。前回の訪問時は写真撮影禁止だったが、今回は撮影OKになっている。

 入ってすぐ左手にはウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチの墓碑。

 ロレンツォは兜をかぶった傭兵隊長の装束で、少しうつむいた姿。その下に「黄昏」と「曙」の寓意像がある。

 「曙」は女性像。その表情は暗い闇の底に沈み込むかのような憂いを含んで沈黙する。

 整った顔立ちだが、視線を下にずらしてゆくとその肉体は筋肉に覆われてまるで男性像。乳房だけがとって付けたかのように添えられている。

 「黄昏」の男性像。こちらも当然のように筋骨隆々の壮年像。強い意志の力を感じさせる表情だ。

 対して向い側にあるのはジュリアーノ・メディチの墓碑。

 ジュリアーノは左方向に目を向け、今にも立ち上がりそうな気力を感じさせる。

 「夜」は頭に手を置き膝を曲げて物思いに浸る表情。これも明らかに男性をモデルにしたなかで
腹部のたるみや乳房で女性を表す両性具有のイメージで表現されている。
 その姿の足元には夜(フクロウ)腕側には夢(仮面)を置いて、時を象徴する像になっている。

 表情は深く沈み込むような物思いの様だ。

 対して「昼」はみなぎる力を湛えている。

 キッと上方を見つめる目が鋭い。

 石棺に昼と夜、曙と黄昏という4つの時間の移り変わる区切りを象徴させている。人間が支配されざるを得ない時間という視点を、具体化、象徴化した作品とされる。

 そして、2つの墓碑の奥側の壁に3体の像が配されていて、

 その中心に聖母子像がある。

 実は、この像の下にはルネサンスの最盛期に君臨したロレンツォ豪華王と、その弟ジュリアーノの棺が納められている。

この2人の墓碑も構想されていたが、政情不安定期になってミケランジェロは1534年にはローマに移住してしまい、新聖具室は未完成のままになってしまった。

 そんなわけで「フィレンツェルネサンスを支えたメディチ家」といえば思い出される『ロレンツォとジュリアーノ』と同名の別人(もちろん同じメディチ家の人物ですが)がミケランジェロ作品として残っているという、ちょっと皮肉な結果になっている礼拝堂だ。

 いずれにしても、素晴らしいミケランジェロ作品を間近かに見ることが出来る貴重な場所で、じっくりと鑑賞することが出来た。





 
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フィレンツェでは各所で“殺人現場”を再現した怖い美術作品に遭遇する!

2018-11-05 | フィレンツェ・殺人をテーマにした美術作品
 フィレンツェの美術館巡りで感じることは、その作品群の中に数多くの殺人現場が描かれていることだ。そんな作品をピックアップしてみよう。

 まずはウフィツィ美術館とパラティーナ美術館の2大美術館から共通のテーマを作品化した絵画を1点ずつ取り上げてみる。 テーマは「ユディト」。

 ユディトは古代ベトリアの町に住む女性。そこにアッシリア軍が攻め込んで町が包囲されてしまった。その時ユディトは単身アッシリア軍に恭順の意を示しに訪問、大将のホロフェルネスに酒をもてなす。大将はこの美人の訪問を歓び、すっかり酒に酔いつぶれてしまう。
 ユディトはこの瞬間を待っていた。隠し持った凶器でホロフェルネスを刺し殺し、自らの町を守った。そんなエピソードを作品化したものだ。

 アルテミジア・ジェンテレスキ「ホロフェルネスを斬首するユディト」。

 ホロフェルネスはまさに絶命寸前。白目むき出し、噴き出る血がシーツを伝い、地面に滲みだしてゆく。ユディト本人の表情は、眉がつり上がり唇はキュッと結ばれて、決死の覚悟、揺るがぬ決意がにじみ出ている。
 作者はカラヴァッジョのよう影響を受けたカタヴァッジニスキと称される画家。しかも女性画家だ。トスカーナ大公コジモ2世に献上されたが、大公妃マリアルイーザはあまりの恐さに長年この絵を密室に閉じ込めていたという。

 一方パラティーナ美術館の作品、クリストフォロ・アッローリ「ホロフェルネスの首を持つユディト」は殺害後の激情が治まろうとする時間帯の姿だ。

 切り落とした首を吊り下げたユディトの表情は、少女を連想してしまうほどで、首を見なければ物思いに沈む女性像と勘違いしてしまいそうだ。
 同じテーマを扱っているのに対照的な作品となっている。


 ウフィツィ美術館の隣りにあるシニョーリア広場にもユディトが立っている。ドナテッロ作「ユディトとホロフェルネス像」。これも‟事件直後”のユディト像だ。

 このシニョーリア広場にある「ランツィのロッジア」もまた、まさに事件現場。

 チェッリーニの「メドゥーサの首を持つペルセウス」。
 メドゥーサは髪の毛が蛇、目を合わすと石にさせられてしまうという怪物。これを、目を合わせないよう後方から忍び寄って退治したペルセウスをテーマにしている。

 メドゥーサの首を掲げるペルセウスの姿は物静かな雰囲気に見える。

 が、一旦足元に目をやると、そこには踏みつけられた死体が横たわり、切り落とされた首筋から血が噴き出すというサディスティックな光景が展開する。

 一流の彫刻家でありながら何度も法を犯し、自ら殺人事件も起こしているチェッリーニならではの作品ともいえよう。
 なお、ペルセウスはメディチ家伝説上の祖先とされ、敵を倒して街の平安をもたらしたペルセウスのエピソードをメディチ家に例えてこの像を設置させたとも伝えられる。

 さらに、このロッジアにはジャンボローニャの「サビニ女の略奪」像がある。

 等身大以上の大きさである3体のねじれる人物像がらせん状に絡まりあって空に向かっていく超アクロバティックな人体像。
 
  通常は彫刻でも正面の姿があるはずだが、これには観客が像を一周して初めて作品を見たといえるような、ルネサンス史上例のない、マニエリスムの極致ともいえる像だ。

 
 また、同じジャンボローニャの「ケンタウロスを倒すヘラクレス」もある。

 激しい力の衝突で極端にねじれてしまった肉体の表現は、まさにジャンボローニャの面目躍如といったところだ。

 さらに、ロッジアから先を見ればミケランジェロの「ダビデ」(レプリカ)も立っているし、この広場はサボナローラが処刑された場所でもある。また、幾多の政敵や罪人もここで処刑されてきた。

 つまり、フィレンツェ共和国のメイン広場周辺には生々しい殺戮の爪痕が今もなお色濃く残っているというわけだ。
 いつもあんなに観光客でにぎわう広場だが、実は「こわ~い場所」なのをみんな忘れちゃっているんだろうな~。




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パラティーナ美術館にはルーベンスやムリーリョも。

2018-11-02 | イタリア・パラティーナ美術館
 パラティーナ美術館でラファエロ以外の画家の作品も見て行こう。

 ルーベンス「戦争の惨禍」。

 赤いマント姿の軍神マルスが、ヴィーナスの制止を振り切って戦場に向かう姿が描かれている。その足元では、平和と学問の象徴である書物が踏みにじられている。
 当時繰り返されていたヨーロッパ各地での戦争を嘆いた大作。反戦の意味が込められている。

 ムリーリョ「聖母像」。

 スペインの画家だが、彼もまた優しさに溢れる聖母子像が評判をとった画家だ。

 フィリッポ・リッピ「聖母子と聖アンナの生涯」。
 
 ボッティチェリの師であり、無類の女性好きだったリッピ。それだけに女性である聖母の描写は卓越していた。「好きこそものの上手なれ」ということだろうか。

 ティツィアーノ「マグダラのマリア」

 ヴェネツィアルネサンスの代表的な画家が描いたマグダラのマリア。それまでの半生を悔い改めてキリストを深く慕った女性を、敬虔な姿で表現している。

 カラヴァッジョ「眠れるキューピッド」。

 幼子のキューピッドを描いた静かな絵だが、さすがカラヴァッジョ、光の明暗は実に劇的だ。

 ピッティ宮殿内の豪華な部屋。ここには「イタリアのヴィーナス」とも呼ばれるアントニオ・カノーヴァの彫刻が置かれていた。

 本当はじっくりと作品群を眺めたいところだったが、何しろフィレンツェ日帰りの強行軍。後ろ髪を引かれる思いで美術館を後にした。



 
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