元禄、宝暦時代より横山家、鈴木家と住み替わり、現在の建物は江戸時代後期の建築と見られる。
門のつきあたりにある寄せ棟の建物が広間で、舞良戸(まいらど=よろい戸)と障子の立つ式台から貝殻漆喰塗り折上げ竿縁天井の六畳「下の間」に入り、右手におさ欄間をくぐると床、棚、書院窓を有する八畳「上の間」がある。広間から左に、廊下と称する部屋を経て「常居」といわれる寄せ棟六間五間の本宅が雁行に配置されている。田の字形四室の納戸からは、平書院窓を通して庭が見える。
このお宅は、現在作っている登米の観光案内本には載せてくれるなとのことであった。今までも取材は一切お断りだった由。
この欄に書いた武家屋敷で、断られたため本には載せない家がいくつかある。一応調べてそのお宅に書いたものを見せた上で断られている。住み主と相談して、書き改めたのもある。
登米の歴史はだいたい書き終わったから、いよいよ、本造りだが、装丁・造本を頼んである大澤和泉さんが、共同通信の生活レジャー欄で、ファッションについて文と絵を10週連載することになったから、それが終わる10月末までは、かかってもらえない。共同通信からは、地方紙に配信され、8月末から河北新報、北海道新聞、京都新聞、神戸新聞などに「今様のおしゃれ」に関する文と絵が10週連載の予定だ。
門のつきあたりにある寄せ棟の建物が広間で、舞良戸(まいらど=よろい戸)と障子の立つ式台から貝殻漆喰塗り折上げ竿縁天井の六畳「下の間」に入り、右手におさ欄間をくぐると床、棚、書院窓を有する八畳「上の間」がある。広間から左に、廊下と称する部屋を経て「常居」といわれる寄せ棟六間五間の本宅が雁行に配置されている。田の字形四室の納戸からは、平書院窓を通して庭が見える。
このお宅は、現在作っている登米の観光案内本には載せてくれるなとのことであった。今までも取材は一切お断りだった由。
この欄に書いた武家屋敷で、断られたため本には載せない家がいくつかある。一応調べてそのお宅に書いたものを見せた上で断られている。住み主と相談して、書き改めたのもある。
登米の歴史はだいたい書き終わったから、いよいよ、本造りだが、装丁・造本を頼んである大澤和泉さんが、共同通信の生活レジャー欄で、ファッションについて文と絵を10週連載することになったから、それが終わる10月末までは、かかってもらえない。共同通信からは、地方紙に配信され、8月末から河北新報、北海道新聞、京都新聞、神戸新聞などに「今様のおしゃれ」に関する文と絵が10週連載の予定だ。