芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

仙台一中・一高東京同窓会に出席

2017年10月22日 | Weblog
仙台一中・一高東京同窓会が新宿のハイアット・リージェンシー東京の桃山の間で開催された。この日は、久留米の温熱療法のクリニックを予約していたので、欠席にしていたが、直前になり、自由診療はいいのだが、私の理解していた料金とはかけ離れた料金を言われたことや、久留米のホテルが一ヵ月前から予約がいっぱいで取れず、博多のホテルもやっと取れたことなどで、飛行機運賃も高いしなどが重なり、取りやめにした。そこの細川医師が日本と韓国の医療は米国の支配下にあるという意見をユーチューブで話していたので、私の『怖るべし東インド会社ーーユダヤとインドとニッポンと』でわたしが主張しているのと共通しているので、話をするのが楽しみであったが、10回か20回の温熱療法に通うのがかえって疲労でガンに障ることになるであろうと判断した。
同窓会は我々の卒業同期を白幡君が取りまとめていて、急きょ出席する私も含め3人だけだと言っていたが、実際には、予定の阿部幹男君が欠席になり、欠席予定の和久井康明君と宮地昭夫君とわたしの3人が出席簿に入っていないながら、出席したので、雨で欠席者もいるのを考慮しても出席予定の180人は達したものと思われる。出席予定に入っていない中に一中時代卒業で93歳の佐藤源貞氏が矍鑠と登壇して挨拶されていた。八木アンテナの八木秀次東北大教授の最後の教え子だと自慢しておられた。佐藤源貞氏はアンテナ技研株式会社の創立者名誉会長だ。
180人でも多いと思うのだが、学士会館で開催していたころは250名の出席者がいて、手狭になったので、このホテルに変えたら、減ってきたという。
男女共学になって最初の新制高校65回卒業生、磯村真綸のソプラノ、千葉友希のクラリネット、前田秀明の打楽器、友情出演の江本桂子のピアノによる記念演奏はプロとしてやっていける素晴らしいものであった。