馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
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『阿波徳島』その8 阿波史跡公園~矢野城跡

2019-04-11 16:27:25 | 阿波国の史跡

2019年3月30日(土)

"16時04分、
『阿波史跡公園』

「宮谷古墳」


3世紀末頃。
徳島県で最古級の前方後円墳。

竪穴式石室が見つかってる

公園の奥へ向かう

この石垣に、びっくりポン!




住居が復元されてる。

高床倉庫

阿波国府の所在地は確定されてないが、

古代よりこの付近一帯が栄えてたようです。

山が見える

城跡です。


石垣を伴う段々畑が曲輪跡に見える

どこから登ればいいのかわからず、しばらくぐるぐると

周囲を徘徊した。

そして、ようやく見つけた!

16時36分、
『矢野城』


城跡入口

登る



古墳を利用したようです

「城山神社」

石碑によると、


戦国時代、三好義賢の重臣、矢野駿河守の居城だった。
義賢は、長慶の弟の実休のこと。
和泉国の久米田の戦いで実休が戦死。
死後、幼君の三好長治を支えた。
天正元年、讃岐引田城主に迎えられた。
引田城には翌日行きます。
まさか、引田城と関係あるとは?
知らなかった。

土佐の長宗我部軍に攻められて矢野氏は滅びた。

「第14代将軍擁立」石碑。


足利義栄のことです。

擁立されたが、1度も京都に入れなかった将軍です。

「農兵活躍史」石碑


この地域の村人が駆り出されて海を渡り摂津での戦いに参加したようです。


周りは薮で遺構さっぱりわからない

ともかく城山神社が城跡だったようです

「日本最初のクリスマス」石碑


いわゆるクリスマス停戦の先駆け?


再び段々畑

道路の入口に登山口看板。

すぐ隣は徳島市立考古資料館の駐車場でした。

ここから登るべきだった。

振り返って見る

結局、遺構はよくわからなかった。
冬なら藪をかきわけて探したのだが、いずれにせよ他県で無茶はしません。


16時36分、さらに北上します


その9に続く

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

昨日は、花冷え、

冷たい雨の一日でした。

関東では雪が降ったとか?

まだまだ冬物は片づけられない。

冷えたおかげで、

我がひこにゃん城の桜は今週末も楽しめますよ。

お越し野洲!



馬《●▲●》助ヒヒーン♪"

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『阿波徳島』その7 常楽寺~国分寺

2019-04-09 17:50:38 | 阿波国の史跡

"2019年3月30日(土)

寄神社を出てしばらくは、プチお遍路さんになりました


14時53分、


鮎喰川(あくいがわ)の橋を渡る

『日枝神社』


枝垂れ桜満開!

そして、

15時09分、


四国霊場第14番『常楽寺』

雨で桜の花びらが散りかけてる。

寺の石垣、


お城と同じですな。

境内に入ると、山肌の石がそのまま露出していて、雨で滑るし歩きにくい。

とりあえず、ここで20分ほど雨宿りの休憩をしました。

15時30分、出発。

15番国分寺へ向かう


15時48分、
『薬王山国分寺』


聖武天皇勅願所と書いてある。

本堂は修築中のようです。

史跡範囲

「七重塔心礎」


環溝型という珍しい形式らしい。


外から眺める


16番観音寺へ向かう。

その8へ


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

マイカー、夏タイヤへ交換した。


て、今ごろかい?


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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『阿波徳島』その6 一宮城 下山、麓の居館跡へ。

2019-04-06 21:56:32 | 阿波国の史跡


2019年3月30日(土)


遍路道を下る。





1585年、豊臣秀吉の四国攻めが開始された。
秀吉は岸和田城に本陣を敷き、
秀長は4万の兵で一宮城を囲んだ。
長曽我部軍は一万ほどの兵で籠城。
阿波最大の山城なので、20日間あるいは2ヶ月持ちこたえたとか?
しかし、さすがに多勢に無勢で結局降伏しました。



14時09分、『貯水池』


山城にとって水源は貴重。
籠城するには絶対に欠かせない必須条件です。

これより、岩場となり、滑りやすい。




鎖があるので、これを支えに下る。



岩盤が、本丸の石垣とそっくりですね。
この付近で切り取った石を石垣に使ってたのでは?
というか、採石場だったかも?

『蔭滝』



先ほどの貯水池が水源。
画像ではわかりにくいが、ちゃんと水が滝となり落下してましたよ。



紅葉の時期がいいかも?


14時17分、無事に麓に降りることができた。



見事な枝垂れ桜がお出迎え!

いやぁ!これは何よりのご褒美。



頑張ったかいがあったというもんですわ。
正直言って桜の時期にはちょっと早すぎと思ってただけに
これは嬉しかった。
来週だったら、散ってるのでは?
桜を独り占めですわ。



山桜?

菜の花も咲いてます。


14時22分、登山口に戻りました。
一宮神社。

約二時間でした。



"これより、遍路道を歩く。



我が輩もにわかお遍路さんになる。
信心深くないので、いい加減なものですが…

おへんろ道の道標

民家の中の道を抜けると
広い農地、荒れ地?




一宮城を仰ぎ見る。



あんな高い所を登ったのだ。

14時32分、
『寄神社』




神社周辺の農地は、「御殿居(おどい)」とよばれる麓の居館があったらしい。
あくまでも推定ですが。
日常は、こちらで生活してたのだと思われる。


一旦やんだ雨が降りだした。
ついに傘を出した。
山の中じゃなくて良かったと思うべな。


その7に続く



馬《●▲●》助ヒヒーン♪"


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『阿波徳島』その5 一宮城小倉丸~水の手丸

2019-04-05 22:13:41 | 阿波国の史跡
2019年3月30日(土)


花畑から小倉丸へ向かう


鉄塔あり。





13時35分、『小倉丸』



西側に土塁、東側が平坦地。


刈り取った草の山が、土塁のように見えます




土塁の上を進むと、奥に櫓台。

羊歯や木々などを伐採して見やすくしてくれてます。



地元の方の努力に感謝。


小倉丸からさらに進むと

竪堀、



空堀



と分岐。

ここから下山できるが、



我が輩は水の手丸方面に行きます

羊歯に囲まれた通路

13時47分、『椎丸』



こちらも曲輪内は綺麗に刈り取ってくれてます。
土塁はない
真ん中の盛上りは、刈り取られた草の山。

さらに、一番難関の水ノ手丸へ。



足元注意と書いてある

ロープを頼りに進む。



ロープが無かったら羊歯類に囲まれた迷路にはまり遭難するかも?

13時54分、『水の手丸』



小倉丸と同じく西側に細長い土塁があり東側が平らな削平地。

刈り取られた羊歯類がこちら山盛りになってるので、曲輪の両側に土塁があるように見えてしまう。

刈り跡から察するに、おそらく近々に地元の方が手入れしてくれたのだと思う。
事前の下調べでは、椎丸から水の手丸は危険で行くのは無理という情報だっただけに、
いい状態の時に来れて良かった。


これも続百名城に指定された効果かな?
ともかく、地元の方に感謝感謝です。
大いに満足したので、
再び先ほどの分岐に戻り、下山開始。

下山道は、遍路道らしい。



その6へ続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

今日は暑くなりました。

JRハイキングに参加し

米原市醒ヶ井駅の裏にある兜山に登った。

石灰岩の石がゴロゴロ、

環状列石が凄い。

竪石塁が中世山城の雰囲気を残してました。


後日、詳細アップします



馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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『阿波徳島』その4 一宮城本丸~花畑

2019-04-04 16:23:21 | 阿波国の史跡



2019年3月30日(土)




明神丸を出て


細長い帯曲輪を進む






13時09分、
『本丸』到着。





解説によると、1338年小笠原氏が築いた、とある。


小笠原氏は一宮氏と姓を変えて約240年城主として存続した




見事な石垣は、
阿波青石(緑泥片岩)という石を積み上げてる。





阿波国の城跡にはたいがいこのような石垣ですわ。





線状模様の平べったい石が多い。


戦国時代になると、一宮氏を滅ぼした長宗我部元親は、南城(小倉丸、椎丸など)に江村親俊を、


北城(明神丸、才蔵丸など)に谷忠澄を置いて守らせた。


石垣は本丸にしかない。


なので、この石垣は、蜂須賀家政は入城後に造られたと考えられる。




振り返ってみる↓





しばらく堪能した後、

本丸の上に登った。

祠がある。





若宮神社です。

桜が満開。





さすがに四国は開花が早い。
我が地方なんかまだまだ先ですわ。




一段下の『釜床跡』を見下ろす







城の炊事場だったらしい。







釜床下の曲輪を見る。




以前の我が輩なら下まで降りて確認するが、今はもう無茶しない…







振り返って見上げる







通路から釜床下の曲輪を見上げる







奥へ向かう。





この先、通路以外は羊歯類が密生していて、余計な場所へは行けない。




右手は崖です。





途中に投石用の石。





戦国時代まで、武器としての石は意外にも攻撃力あったようですよ。
素人でも扱えるし、何よりタダですわ。







曲輪と曲輪の間の堀切





13時30分、『花畑』





徳島城には花畠曲輪があったが、この他にも我が彦根城など各地の城跡に花畠曲輪があります。

おそらく、薬草などを植えて非常時の用に備えたのでは?






小倉丸へ向かう






その5に続く






Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ



買い物に出かけたら、名神高速道路彦根インターチェンジの隣でパークアンドバスライドが実施されてました。

彦根城周辺の渋滞回避策です。

インター前駐車場に車を置き、無料シャトルバスに乗り換えて彦根城や市内観光をお願いします。

お城周辺は有料駐車場ばかり、桜の季節は通行規制もある。

だから、これはお得。

さらに、限定ひこにゃん缶バッジがもらえます。

缶バッジを市内の協賛店舗で見せると割引、プレゼントなどの特典あり!

市外からお越しのみなさん、是非とも利用しましょう。

春は、4月21までの週末限定です。

市民の我が輩も利用したいな…



馬《●▲●》助ヒヒーン♪




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『阿波徳島』その3 一宮城登山口~本丸へ

2019-04-03 17:06:45 | 阿波国の史跡

"2019年3月30日(土)

一の宮札所前バス停の隣に『史跡一宮城址』石碑。


道の突き当たりが登山口。
一宮神社の隣です。

パンフレットがあり、

ここで続百名城スタンプ押しました。
記帳した。
本日第1号の登城者となった。
さすがにお遍路さんは城跡に興味ないようで、誰も登ってない。

一宮城は、標高144m。
南北朝時代、南朝方の山岳武士の拠点で、一宮氏の居城だったが、土佐の長宗我部氏に占拠され、
豊臣秀吉が四国を平定すると蜂須賀氏が入城した。
有名な蜂須賀小六の家系です。
翌年、徳島城を築いて移ったので、一宮城は廃城となりました。
登山口にはトイレもあり、


登山杖も常備。
至れり尽くせりで、有難い。

12時30分、いざ登城!

日頃のおこないがいいせいか、
登り始めたら雨がやんだ。
良かった、良かった。


『倉庫跡』

12時50分、
大堀切。


これより、山頂の主要部になる。

今登ってきた道は登山道で、
本来の登城道いわゆる大手道かどうかは、不明。


左へ行くと
『才蔵丸』

財蔵丸と書いてある。


下段に曲輪があるが、羊歯で見えない。


戻って先ほどの大堀切を左へ行くと


『門跡』

今度は本丸との分岐になる

『明神丸』


攻めてくる敵は大堀切からこの2つの曲輪の間を通ることになるので、曲輪の上から攻撃されるわけです。

麓を見る。
大きな川は鮎喰川。

明神丸の下の周囲をぐるっと一周し、



本丸へ向かう


その4に続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

あーさぶ~!

我がひこにゃん市、

いまだに桜の開花宣言出てない。

暖冬だったから、今年は早い

と言ってたのは誰や?

今年は例年よりかなり遅い開花になるのでは?

でも、週末暖かくなるので

開花後、すぐに満開になったりして…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪



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『阿波徳島』その2 阿波一宮神社へ

2019-04-02 16:52:44 | 阿波国の史跡

"2019年3月30日(土)

11時17分
徳島駅前高速バス降り場に到着。

まずは、バッグを駅地下一階のロッカーに預ける。
300円也。

青春18きっぷで徳島駅に入り、
電車に乗った。
いや、間違い!
気動車だ。



電化されてないので、電車は走れません。
徳島線は単線。
JR四国、瀬戸大橋線以外は赤字らしい。
大変ですな。
11時56分、
『府中駅』到着。



ふちゅうえき、と読んでたが、
実は違います。
「こうえき」と読む。
びっくりポンの難読駅じゃないですか!
江戸時代、府中が不忠に繋がるということで、徳島藩が、「孝」と読ませるようにしたらしい。
この地域には阿波国府あり、阿波国では国府を「こう」と読むので、その当て字ですわ。

というか、「ふちゅう」と読むと思ってたので、危うく乗り過ごすところでした…

バスに乗り換えるが、路線駅前にバス停が見当たらない。
事前に調べておくべきだった。
迂闊でした。
駅前に無いときはたいがい、国道・県道などの大きな道にある。
乗り換え時間が9分しかないので、
小走りで国道192号線へ向かう。
交差点横にコンビニがあり、隅っこにバス停発見!
でもこれは徳島駅行き方面。
反対側に一宮神社行きのバス停がない。
近くに新聞屋さんがあるので聞いてみた。
よくわからないけど、確か信号を左手方向へ行った所にバス停があったような…
というアドバイス。
あまり要領を得ないが、ともかく教えてもらった方へ行って見た。
このバス逃すと徒歩しか手段がない。
信号の南のテナント華宝という建物の前にバス停がありました。



無事に12時05分発に乗ることができた。
良かった、良かった。

そして、
12時22分、
『一の宮札所前』バス停到着。



名前でわかるように
ここは、阿波一宮の「一宮神社」がある。



本殿は国重文。



道を挟んで向かいには
四国巡礼第13番札所「大日寺」があり、お遍路さんがいました。

バス停の名前でわかるように、
一宮神社と大日寺は、本来一心同体だったが、明治の神仏分離で分かれたのである。


一宮城へは一宮神社の裏から登ります




その3に続く


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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『阿波徳島』その1

2019-03-30 21:11:35 | 阿波国の史跡

春の青春18きっぷ、4回目は四国へ遠征。
旅立ち前夜はなかなか寝られるものではない。
5時前に目が覚めた。
で、ふと気がついた!
舞子から徳島への高速バスは予約が必要なのでは?
前回、淡路島へは路線バスなので予約は不要だった。
徳島行きは、全席指定だったはず。
ネットで確認すると、予想的中。
慌ててサイトから予約しようとしたが、うまくいかない。

そうこうするうちに出発の時間が迫ってきた。
とりあえず電車に乗らねば!

急いで支度してなんとか、7時過ぎの電車に間に合った。

電車内で予約することにした。
高速バスの予約は二時間前まで。
焦る我が輩、
いつも使ってる楽天トラベルのサイトで検索すると、空席あり!
という表示が出て、ギリギリセーフで予約できました。
良かった良かった!

しかし、なんで前日までに気がつかなかったのか?

我ながら信じられない。

もし、空席が無かったら、四国へ渡ることができない。

ホントに危なかった。


電車は舞子駅に到着。



高速バス乗り場に行くとたくさんの人がいる。
空席があれば、飛び込みでも乗れるが、やっぱり予約しておいたほうが安心ですな。


鳴門付近

そして、
11時17分
徳島駅到着。


30数年ぶりの徳島です。

というか、雨が降りだした!

予報では夕方から雨のはず。

今回は天気に見放されたか?

うーん…

その2に続く


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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