馬ひでの助

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β《#^ひ^♯》でヒヒーン

スールー諸島にて戦死す、の巻

2024-12-01 23:56:00 | 日記
相続手続きのために役場で母の戸籍謄本を取得した。
母の兄弟は長男と5人姉妹。
この長男は戦死しました。
我が輩の叔父になので、毎年墓参りしてます。

で、戸籍を見ると
叔父は昭和20年4月9日に比島スールー群島近海で戦死したと記載してある。

どこかわかりますか?
Wikipediaで調べたら、
フィリピンのミンダナオ島からボルネオ島にかけての南よりにスールー諸島があるとわかった。
さらに、「スールー諸島の戦い」があり日本軍が全滅した、とある。

経過は、3月16日に米軍がバシラン島(群島の一番北よりの島)に上陸。
4月6日までにはほとんどの日本軍が壊滅、4月26日までに全島が占領された。

叔父はこのバシラン島方面で4月9日に亡くなったそうなので、
船で移動中に撃沈されたのか、
島から逃げる途中に水没したのか?
近くの島で戦死したのか?
と想像されます。

終戦まであと4ヶ月でした。
生きておれば110歳か…

この叔父には2人の娘がいました。
亡くなった時、娘が恋しかっただろうね。

その娘の1人(いとこ)は岐阜市に嫁いだが、乳がんで10数年前に亡くなった。
老後になって自由の時間ができてあちこち遊びに行くわ、と楽しみにしてた矢先の病死でした。
クリスマスの日でした。

今年もクリスマスには墓のある美濃国分寺へ墓参りしなければなるまい。

このいとこは岐阜で苦労をしたせいか、気丈で頼もしい人でした。
なので、母は常々『老後はあんたに世話になるわ』と話してました。
それだけに早すぎる死に落胆、とても残念がってた。

結局、頼りにならない息子の我が輩が母の老後の世話をするはめになったわけです😥

世の中そんなに都合よくいかないものですね。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

松の木の剪定をした。

スカスカにした


我が家のバラ

その隣のイチジクの木を
バッサリと伐った
どうせカラスと猿の餌になるだけだからもういいわ、
ですわ。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪







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