馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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β《#^ひ^♯》でヒヒーン

高雄城の詰城を探索した、の巻

2025-03-05 15:40:00 | 丹波国の史跡
2025年1月30日
神護寺の境内は本城で、
その上の山頂に詰城がある。

なので、詰城へ向かう。

金堂(本堂)の上に多宝塔



もう少し大きな表示でないと見逃す。
ま、左折せずにこのまままっすぐ進んでも城跡へは行ける。
ただし、墓へは行けない


薄い竪堀を横断して登山道を西へ進む。


この2つの墓は綺麗に削平された段曲輪に建てられてる。
山の南端なので見張櫓があってもいいような位置。

墓の上に
もしかしたら、登城道、虎口かも?
妄想ですが…


いくつか段曲輪、帯曲輪があり

山頂曲輪とうちゃこ!
いわゆる本丸ですかね。
京都府の縄張図では四角形になってるが、素人の我が輩には単なる自然地形にしか見えない…

北の端を見ると土塁あり

土塁があると、背後に尾根を遮断する堀切があるのが定番ですよね。

やっぱりありました

ただし、藪です。

我が地元の山崎山城の堀切が思い浮かんだ😥
藪を掻き分けて堀底へ降りると

土橋、わかるかな?

土塁と堀切と土橋があれば城跡だと思って間違いない。

その北に

薄いのでなんとも言えないけど。

そして、最北端に

こちらは土橋付き堀切。

概略図
城内はここまでだと思います

この上に428mの山があり、さらに遺構がありそうな気がするが、



今回はこれにて終了。
登山道を下山した。

単純な城跡ですが、

神護寺が本城で
高雄山が詰城という組合せ

は、2度美味しい城跡でした。

なお、受付に戻ったところで
和気清麻呂公の墓地を見忘れたことに気づき、受付の女性に行き方を聞いて
向かった。
すると一人の若い女性が不安そうにされてたので、御一緒して2人で参拝した。



なおこの女性は文覚上人の墓にも行きたいと言うので、
行き方を教えて、別れました😅


以上です


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
米原市醒ヶ井の石材店から墓碑を刻んだという報告が来た。
ようやく、です。
父と母が、祖父母や他の親族の墓と決別して、自分達の墓をつくりたいという思いがこめられた墓です。

ただし、まだ母の骨は我が家の仏壇に置いたまま。
墓には父の骨しか入ってない。
早く一緒に入れるべきだが、石橋を叩いても渡らない我が輩は何をするにも遅い…
『はよせい!』
と母が怒ってるかも?😡

ちなみに、請求は
4万円でした。

ま、こんなもんでしょう。

納骨はこの何倍か費用がかかる…😥

馬《●▲●》助ヒヒーン♪























コメント
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