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馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
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【旧東海道歩き6】日岡分岐~大乗寺

2018-10-18 17:18:00 | 東海道歩き『近江路』
2018年9月22日(土)

三条通から別れて旧東海道をゆく

街道歩きにとって、国道は車の騒音がうるさくて嫌!

このような細い道のほうが嬉しい。

車一台通るのがやっとの道です

右手の家は

150年ハウスという表示があった

左手には
『旧東海道』石碑

石碑を見つけるとホッとします。
街道歩きにとって何よりの薬ですわ。
背後の下が府道(三条通り)

『東山区山科北花山山田町』

古い表示です。

現在は、山科区北花山。


京都市のマンホールは「京」を図案化してます



16時35分
『光照寺』

石段を登らねばならないようです。

足の疲労が半端無いのでパス!


次に
16時37分
『大乗寺』

こちらもパス

振り返ってみる

何やら看板あり

看板の解説を読むと

本能寺の末寺で、酔芙蓉の寺として人気と書いてある。

酔芙蓉は、
花の色が
朝咲き始めるころ白、
昼間は淡い紅色、
夕方紅色に変わる

人間の顔が酔うにつれて変化するのと似てるので酔芙蓉(すいふよう)と名付けられたのだろうね。

9月~10月が見頃で1000本以上群生してるそうです。
ちょうど今が見頃ですな。

ならば、これは無理してでも立ち寄るべきじゃないですか!


久しぶりに寄り道することにした。
…………………………………………………………………

足にこたえる急な石段を登ると寺が。

お婆さんが出てきて、
『すみません、今閉めました。
私は帰ります』
と言う。

寺に用はないので構わない。
花さえ見られればいい。

『花畑はこの石段の上にあります。例年ならちょうど満開なのですが、今年は夏が猛暑だったので開花が遅れていて昨日まで何も咲いてなかった。
今日やっと数本開花したところですわ』

えー!
まだ見頃じゃないの?
残念無念

でも、数本でも開花してるなら見なきゃ。

芙蓉の写真


寺の上へ登りました。

通路の両脇に葉っぱがいっぱい。

確かに蕾ばかり。

突き当たりに十三重の塔

左に酔芙蓉観音菩薩像

合掌。

2本、花を見つけました。

とりあえずこれで我慢我慢。

見られただけでも良しとしますかね。

五重の塔


小倉百人一首の歌碑。

光孝天皇の歌


源宗之朝臣(光孝天皇の皇子)の歌碑もある。



歌も天皇のこともよくわからない

振り返ってみる。


日蓮上人の歌碑


お寺に戻りました。

先ほどのお婆さんが、掃き掃除されてました。
ありがとう、とお礼を述べました。

が、ここでお婆さんの話し相手になってしまった。

お爺さんと二人で寺を守ってる。
お爺さんは動けなくて私一人で頑張ってる。
子どもは滋賀県の守山市に住んでる。

左手の山は台風で大変なことになりいくつも木が倒れ、柵が壊れたまま。
山主が来ないので、私がとりあえず片付けた
大木がお寺にあたってたら潰れたかも?

などなど…。

このお婆さん、年齢は90近いと思う。
この人が倒れたら、この寺どうなるのだろうか?
心配ですわ。


後ろ髪を引かれる思いで立ち去りました…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【旧東海道歩き5】蹴上~九条山~日岡分岐

2018-10-17 15:10:40 | 東海道歩き『近江路』
2018年9月22日(土)

16時11分
東海道へ戻ります。

山科へ向かって左手に安養寺への参道

三条通り、府道143号線


右手には、蹴上浄水場


左に枝分かれする分岐に来ました。

左の←将軍塚の表示があります。
この道路は東山ドライブウェイで、途中で道をまたいで東山区の将軍塚方面へ行く道。
将軍塚は青蓮院青龍殿にある。
バスで行けるが、東山トレイルを歩く人が立ち寄る目印にもなってるとか?
大人気の東山トレイル、我が輩もいつか歩いてみたいと思ってるが、先日のニュースによると台風の倒木があちこちにあり歩きにくいそうです。

道が整備されてからにしたほうがいいかも?


街道は真っ直ぐ行きます

上の道路が東山ドライブウェイかな?

16時19分
『九条山バス停』

この付近が峠でこれより下り坂になります

右手に看板があるので道路を横断する


『粟田口刑場跡』

説明板を読むと、
東海道最後の難所粟田口峠(=日岡峠)。
江戸時代、ここで刑が執行された。
明治時代には死体解剖の施設もつくられたそうです。

柵があり、上のほうに登るのは無理そうなので、やめました

なお、ここに
京阪電車が地上を走ってた頃に九条山駅がありました。

そのホーム跡かな?

若い頃、山科から三条まで京阪電車に何度も乗ったが、九条山駅の記憶が無い…。

峠道を改修した『修路碑』

草に埋もれてます…。

山の上に墓石

処刑された人達の墓かな?



16時25分
『車石ポケットパーク』

ピンボケ画像で申し訳ない

江戸時代、東海道大津宿から京都へはいくつも峠を越えなければならない。
人の往来が多く、物資も牛車で頻繁に運ばれました。
雨が降ると道がぬかるんで牛車が進めない。
そこで、石を敷き、さらに車輪の幅のくぼみを造り運びやすくしました。

この石が車石。

牛車は車石の上を通行し、
人馬は横の側道を歩く。
交通事故防止のためにちゃんと道路が区別されたのです。

貴重な道路遺産ですね。

その後、近代化の波で
東海道は、国道と琵琶湖疎水→鉄道高速道路→新幹線へと発展。

車石は無用となりすべて剥ぎ取られてしまいました。

車石の痕跡は東海道の他に鳥羽街道でも残ってます。
さらに、民家の庭石に転用されたりしてるので車石探しをされてる人もいます。

車石ポケットパークを過ぎると


右へそれる細い道がある。

これが旧東海道。

ここで三条通り(旧1号線、現在の府道143号線)とお別れ。


その5へ

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【旧東海道歩き4】インクライン

2018-10-12 21:54:00 | 東海道歩き『近江路』
2018年9月22日(土)


蹴上交差点、
三条通りの北側へ渡る

『蹴上発電所』

琵琶湖疎水を活用した水力発電をここでおこなった。

水力発電発祥の地。

明治23年着工。

翌年から発電開始、

この時の出力は160kw

大正3年には、午前中に訪れた夷川発電所も完成し、

昭和11年には、出力5700kwにもなりました

 

少し街道を外れるが、

北上します。

坂道を下ると

発電所の隣に

『京都市国際交流会館』

何のイベントかわからないが、外人さんがたくさんいました。

 

南禅寺前の交差点を渡る

 

琵琶湖疎水の

『インクライン(傾斜鉄道)』

前々から来たいと思いつつなかなか来れなくて、ようやくですわ。

 

今や観光地になってます。。

今度は坂道を登る

 

急な傾斜を移動させるために三十石船をこの台車に乗せてレールの上をワイヤロープで上下させて運びました

先ほど通った京都滋賀県人会が創立50周年記念で寄贈された。

 

枕木のイヌ釘?

 

タモリさんが、明治時代の貴重な釘や!

と言ってましたね。

 

以前NHKの番組で、フランスだったか?ベルギーだったか?

運河でこのインクライン設備が今も使われてるのが紹介されてました。

 

足疲れてたので、この坂はキツかったです。

石の配列が、縦向きと横向きが交互に配列されてます

 

ここで着物姿で遊ぶだなんて…。

 

先端部まで来ました

 

これより先は疎水がトンネルの中に入ります。

 

『本願寺水道水源地』

ここから地下に埋められた水道管を通って水が東本願寺へ直接供給されてる

 

琵琶湖疎水、インクライン、

水力発電所、地下水道、

明治時代のプロジェクト凄いですね。

これ全部近代遺産として世界遺産に申請すべきなのでは?

 

この付近の下が地下鉄東西線の蹴上駅です。

 

16時11分

東海道へ戻りました。



 三条大橋から蹴上駅まで、直線で1.8km
普通なら徒歩25分で進める距離ですが、
寄り道ばかりしてるので70分以上かかりました。

このペースで果たして日没までに山科駅まで行けるのか?

不安になってきたのでござる…。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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【旧東海道歩き3】白川橋~ミヤコホテル

2018-10-11 21:47:00 | 東海道歩き『近江路』

2018年9月22日(土)

15時27分、
白川橋に戻りました。

 

少し行くと

『坂本龍馬お龍結婚式場跡』

 

読みにくいが、解説板です。

根拠はイマイチですが、ここにあったのでしょうね…。

 

さらに東へ

 

右手に

「京都滋賀県人会館」

 

15時31分、

神宮道交差点。

ここを北へ行けば平安神宮です。

朝行きました。

 

ここでちょこっと寄り道

 

どんだけ寄り道するねん?

 



………………………………………………………………

 


白川小学校

 

粟田神社の入口

 

参道の向こうには鳥居が見える

 

粟田祭の解説板

 

粟田焼発祥の地石碑

 
粟田から清水にかけて窯元がありました。

 

鳥居

 

次の鳥居


「感神院新宮」と書かれてます

旧社名で、明治以後粟田神社に改名された。

 

ここから急な石段になります

 

15時36分

神社に到着。

 

京都の街並みを見てます

 

東海道を旅する人は安全祈願でお参りしたそうです

 

我が輩も江戸までの旅の安全を祈願しました

 

………………10分の寄り道でした………

 

毎回10分程度の寄り道です。

というか、京都市内は史跡がいっぱいで、どうしても目移りしてしまう

 

街道を進む。

 

15時42分

三条広道バス停

 

『ミヤコホテル』

以前、猪が暴れ回る事件があった。



 

歩道に、

紅白の曼殊沙華

 

 

粟田口まで来ると、
京の街とお別れ、

という気分になります。


その4へ

 
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【旧東海道歩き2】京阪三条郵便局~白川橋

2018-10-10 21:46:00 | 東海道歩き『近江路』
2018年9月22日(土)

郵便局

から三条通りを東へ向かう

15時00分

ちょっと寄り道

て、いきなりかい?
またかい?

………………………………………………………………

南へ向かうと

『大将軍神社』

スサノオノミコトと関白藤原兼家をまつる。
摂関家を世襲するようになった本家本元の人が兼家で、以後この系統が関白になりました。
ここが兼家の邸宅だったので東三条大入道殿と呼ばれた。

この神社は平安京の東の出入口を護るのが目的で建てられた。

境内に入ると、

うわぁ!何これ?
拝殿だったのかな?

調べたら、
8月の台風20号の時にモチノキという大木が倒れ拝殿に直撃、
このような状態になったそうです。

「東三条社」

関白兼家の邸宅がここにありました。

「本殿」

本日無事に山科駅まであるけますように、とお願いしました。
そして、拝殿復興を願いお賽銭少し弾みましたよ。

手前の木か、奥の木か、どちらが倒れたのかな?

奥の木はエノキと書かれてます

………………10分の寄り道でした……………

15時10分
再び街道に戻りました。

東大路通りの交差点。

左手角に滋賀銀行。

そして、地下鉄東山駅

朝ここから出発したのです。

駅の東へ向かうと
15時16分
『三条通白川橋』

道標があります。

「是よりひだり(左)
ちおん(知恩)ぎおん(祇園)きよ水(清水)みち」
と、書いてある。

「京都為無案内旅人立之
延宝六戊午三月吉日
施主 為二世安楽」
道に不安な人のために道標が1678年に建てられた
江戸時代初期の道標で、京都では最古ということで史跡に指定されてます。

東海道を歩いてきた人が清水寺や八坂神社へ行きたいならここを曲がれ!
と教えてくれてるわけです。

なので、
我が輩もちょこっと南下、


て、またまた寄り道かい?

………………………………………………………………

白川沿いを歩く
三条通りと違ってこちらは静かでいい雰囲気です

「土居内橋」


「餅寅」さんの手前を左折する

角に道標あり!

東 梅宮…
これしか読めない

もう少しちゃんと撮影すべきだった

現代の解説板があります。
まっすぐ行けば知恩院
左は、明智光秀の塚

そして、
『明智光秀の塚』

光秀は竹やぶで農民に襲われて自刃した。
家来が首を持って知恩院まで逃げてここに首を埋めたそうです。

再来年の大河ドラマでは、
最終回にこの場所が紹介されると思うのですが…。

小さなお堂です
中をのぞく


明治維新前はもう少し東にあったようですな。

首より上の病に霊験あるそうで、
認知症にならないようにお願いしました。

都合良すぎ?

明智光秀の子孫の方の解説。

石塔


参拝した後、先ほどの餅寅さんに立ち寄り、
みやげに「光秀饅頭」を買いました
光秀の家紋入りで、黒糖と抹茶の二種類あります

ところが、買った二個とも母に食べられてしまったため、我が輩は食べられず。

ガックリです。

またいつか買いに来なければなるまい。

………………10分の寄り道でした………

15時27分、
白川橋に戻りました。





その3に続く

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【旧東海道歩き1】三条大橋~スタート

2018-10-06 18:00:00 | 東海道歩き『近江路』
2018年9月22日(土)
JR東海のさわやかウォーキング、
地下鉄今出川駅でゴール。

この後、地下鉄で三条京阪駅に移動しました。
14時38分

ちなみに三条京阪駅は京都市営地下鉄の駅。
京阪電車の駅は三条駅。
ややこしいですね。
逆の名前にすべきだと思いませんか?
我が家が若かった頃は、京阪電車は地上を走ってたので鴨川の景色を見られたが、今は地下なので景色はダメ。

ピンボケの三条駅…。

まずは、三条通り南側に
『高山彦九郎像』

群馬県太田市出身の勤王家、
幕末なんども街道を通って京都へ来た。
東海道の出入口に位置する三条大橋に来ると必ずこの姿勢で京都御所に向かって拝礼したそうです。

これが尊皇の模範になった?
説明書


三条通り北側へ移動

『駅伝発祥の地』

大正6年、三条大橋から東京上野不忍池まで23区間の駅伝が開催された。
その百周年記念の時に記念碑が建てられた。

またやってみるといいのに。

大橋を見る

解説板、

三条大橋がいつ建てられたか、不明。
小さな橋を大きな橋にしたのは豊臣秀吉。
その後何度も改造され現在の姿は昭和25年のもの。


橋を渡って三条大橋の北側袂に

『旧三条大橋の石柱』
裏側に天正17年と書いてある。

つまり、秀吉時代のもの。

この近くに
江戸時代、高札が建てられた。



橋の南側に移動


『弥次喜多像』

像の前の石段が観光客の溜り場になっていて、スマホ触ったりしてたくさんの人が休憩してました。
それをかき分けなんとか無理やり撮影しました。


擬宝珠は、秀吉時代と昭和時代のものが混在されてる

擬宝珠に刀傷があるらしいけど、
わからなかった…。

橋を渡って

再び三条駅に戻りました

今度はピンボケじゃないぞ

14時47分、
再び高山様の像。


いざ、
お江戸日本橋に向かってスタート!
記念すべき第一歩です。
さて、死ぬまでに江戸まで行けるかな?

「京阪三条大橋郵便局」

京阪三条は京阪電車の駅名だったが、いつのまにか駅名から地名になってしまったのです。


…………………………………………………………………

ここで寄り道。
我が街道歩きは、寄り道が頻繁にあります。
普通の人はひたすら街道を歩くだけですが、
我が輩はどうしても道草する性格なので、たびたび寄り道が登場します。

なので、なかなか先に進まない…。

郵便局の裏のほうへ向かい
駐輪場へ。

ここの一画に
『池田屋事変殉難志士墓所跡』

長州藩などの志士が新撰組に襲われたあの事件の犠牲者です。
ここに三縁寺があり葬られた。
昭和54年に寺が岩倉花園に移転され、遺骨なども移されたので、ここは石碑のみです。

合掌。

……………………10分寄り道……………………
寄り道から戻り、

15時00分
再び郵便局前。
まだ、何ほども進んでません。


その2に続く


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