馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

【旧東海道歩き16】関蝉丸上社~隧道東口

2018-11-20 18:05:44 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)


逢坂山弘法大師堂


歩道をわたる

『関蝉丸神社上社』

蝉丸神社は全部で3つあります。
先に参拝した蝉丸神社は村社でした。
こちらは、郷社です。

郷社のほうが村社より格上だとか?

自治体区分なら、
郡→町?


またまた急な石段を登る


上から国道を見下ろす


本殿から拝殿を見下ろす

国道に戻った



また歩道を渡る

右側に行ったり左側に行ったりする度に信号を停めるので、
車の人にとっては大迷惑?

それでなくてもこの付近は渋滞するのですが…。


右側は京阪電車

上は、名神高速道路の上下線

名神高速の左側は、蝉丸トンネルです。

狭い谷に、重要な幹線が集中してます


14時03分

国道1号線と国道161号線の分岐に来ました。


またまたまた信号を止めて
左側へ移動しました。

●鉄道記念物『旧逢坂山ずい道東口』

ここは鉄道ファン、隧道ファン、トンネルファンにとって見逃せない場所です

明治13年~大正10年まで、東海道本線の下線がここを通ってました。


扁額『楽成頼功』

時の太政大臣三条実美の揮毫。

「落成」は落盤に繋がるので、「楽成」にしたそうな。

生野銀山の労働者が手堀りで掘ったそうです



平成20年度近代化産業遺産に指定されました。


奥は通れないように閉鎖されてます。


トンネルは2つある。

上下線ですな。

ちょこっと隧道の構造を教えます

トンネルの顔を
「ポータル」という

一番上の石が「笠石」
扁額
その下に「帯石」

左右の縦の柱は、「付け柱(ピラスター)」

付け柱が笠石をを突き抜ける形が
「冠木門型」
突き抜けないと「鳥居型」

ここは鳥居型ですな

アーチの上の中央が「要石(キーストーン)」

こちらは隧道東口、

ということは、
西口もあるはず。

後で調べたら
最初に参拝した蝉丸神社の北側にあるようです。

見逃した!

後の祭りですわ


大谷加圧ポンプ場

上のほうにトンネル遺産がみえてますね




その17へ続く

馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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【旧東海道歩き15】逢坂関~片原自治会館

2018-11-16 18:12:00 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)

蝉丸神社の隣に

かねよ駐車場

日本一のうなぎ『かねよ』

一度食べてみたいものです。

そういや、鰻は、もう何年も食べたことない…。

指くわえて軒先から眺めるのみ


東海道五十三次走井茶店の絵


ここから上り坂

『ハン六』

滋賀県人なら、大概の人がここで印鑑を作ってます

二代目・松室六兵衞さんが「大津絵」をここで販売された。

『大津絵販売之地』碑


13時36分
『逢坂の関』公園

平安時代の三関の1つ。
ホントにここにあったかどうかは未だに不明。
休憩所になってます。

説明板を読んでたら、
大津算盤、大津絵の他に

「大津針」も名物だった。
これは知らなかった。

 明治六年、オーストリアのウィーンで開かれた博覧会商品見本市には大津針が出品されたそうです。

しかし、今は途絶えてしまった
残念ですな。


国道と旧道が合流しました。

振り返って見てます

『逢坂常夜燈』
『逢坂山関跡』石碑


なお、
安土城考古博物館には、



「逢坂常夜燈と車石」があります。

博物館の敷地には他にもいろんなものがあるので、
博物館にもお越し野洲!


ここで歩道橋を渡って右側に移動

逢坂関を越えて一安心したので
久しぶりに寄り道しました

…………………………………………………………

13時43分

不動尊道へ反れます


片原自治会館


ここにも車石があります。

いろんな所に車石の痕跡があるので
街道沿いを丹念に探せばまだまだ見つかると思いますよ。

13時49分
奥へ向かうと不動尊があるけど、
車石見たかっただけなので引返しました

わずか6分ほどなので寄り道とは言えない?
…………………………………………………………

国道に戻ると、
またまた

逢坂常夜燈


下の軌道は京阪電車




その16へ続く


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【旧東海道歩き14】月心寺~大谷駅

2018-11-14 17:21:42 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)

12時57分
ここは
『月心寺』

現在この付近は国道だけですが、
昔は街道沿いに大津算盤、大津絵などの店がずらっと建ち並んでいた。
この月心寺は「走井茶屋」があった場所。
以前にも述べたが、走井餅屋さんは京都府八幡市へ移動したので、その跡地を日本画家の橋本関雪が月心寺という寺にして、

現在は料理を提供されてます。

境内に入るには予約が必要。




側溝の石段を登る


とりあえず、側面から中の様子を窺った


拡大して見てます。


なお、石垣は、膳所城の遺構だとか?

月心寺の隣に

『大津算盤の始祖 片岡庄兵衛』

幕府御用達の算盤師で、昭和初期まで子孫の方がここに住まわれてたようです


下大谷町(大谷町)

かなり下ってきました。

頻繁に車が通る国道沿いを歩くと
険しい山を越えた、
という達成感がない…。


歩道橋を渡る

歩道橋の上から京阪電車大谷駅を見る

これが歩きの醍醐味

拡大します。

大谷駅は日本一の急傾斜の駅だとか?
坂に駅があるのでホームが斜めになってる。


ベンチの脚の高さの違いが面白い

電車到着しました

よく考えたら浜大津駅から山科駅までは電車に乗ったことない。
いつか、乗らねば!

歩道橋を下る

紅葉よし!


鰻で有名な大谷茶屋

我が輩のような者が敷居をまたぐことは、とてもとてと無理なお店です。


大谷駅改札口

京阪電車は全駅ICカード使えます。

『元祖走井餅本家』石碑

現在京都国立博物館で刀の展覧会が開催されていて大人気だとか?
注目の一品が『国宝三日月宗近』
この名刀の作者が三条宗近。

『走井餅の形は、平安時代に名を馳せた刀鍛冶・三條小鍛冶宗近が走井で名剣を鍛えたという故事にちなみ、剣難を逃れ、開運出世の縁起を担いだものと伝えられています。』
↑走井餅屋のホムペ

走井餅の形は、刀だったのです


13時12分
『蝉丸神社』村社

銀杏の葉っぱがいっぱい落ちてます

祭神は、琵琶法師の蝉丸。
百人一首で有名ですよね。
芸能の神様として祭られました。

もう1つ
猿田彦命が街道の守護神として祭られてる。


こちらにも、車石があります。

急な石段を上る


拝殿


本殿


水準点





その15へ続く


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【旧東海道歩き13】追分分岐~走井一里塚

2018-11-13 22:00:00 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)

12時37分
街道の分岐に来ました。

合流後の大津市側から見た画像です

この道標は、

江戸時代中期のもので
「みぎハ京ミチ、ひだりハふしミミち、柳緑花紅 法名未徹」と刻まれている。

柳緑花紅?
意味を調べると
「柳は緑、花はくれないであること。柳は緑色をなすように、花は紅色に咲くように、この世のものは種々様々に異なっており、それぞれに自然の理が備わっている、という意味。」

て、これ地名じゃない。

実はこれ、
中国宋代の政治家であり詩人の蘇東玻の詩の一節

京の都から田舎の東国へ向かう人に心構えを示すために書かれたのかな?

道標の裏を見ると、

「昭和29年3月再建」
と、書いてある。
我が輩が生れた年じゃないですか!

この道標、再建される前の
本来のものが安土城考古博物館の敷地にあります。





こちらの解説板によると、

年代は不明、
しかし、1780年刊行の都名所図会に記されてるので、江戸時代にはつくられたことがわかる。

柳緑花紅は、春の景色のよいさまを形容してる、
と書いてある。

ならば、春ごろに建てられたのかな?


ところで、

もう1つの道標は、

「蓮如上人御塚」
「是より十町」

明和三年は、1764年。
こちらも江戸時代につくられた。

蓮如上人御塚は、下に道が付いて
蓮如上人御塚道のことだと思う

蓮如上人の墓がある山科本願寺へ行く道がこの先10町ということかな?

ここは、大津市と京都市の分岐にもなってる。

府県庁所在地が隣り合う場所です


先へ急ぐ


大津百町
「髭茶屋町、
追分町」
の表示があるが、
髭茶屋町は京都市山科区です



『大津市』の標識
ここからは、文句なく滋賀県です。


下り坂になる


長松山佛立寺

12時44分
大津警察署
『藤尾交番』



現代の東海道、
国道1号線に合流しました。

右側の歩道を進む

上を走ってるのは
名神高速道路です。

高速のガード下を越えた


紅葉が綺麗。



『元一里塚町』

現在は、大谷町です。
この付近に走井一里塚があったようです

石材会社

紅葉が目の保養になります

『今一里塚町』



石垣が登場!

石垣の下に

『右一里丁
左大谷町』石碑

肝心の一里塚が残ってないので正確な場所はわからないのです



その14へ続く


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【旧東海道歩き12】国道歩道橋~追分分岐

2018-11-09 16:48:00 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)

国道を渡り側道の上り坂を進む


蔵の板壁に

「煌めき大津賞
都市景観部門賞受賞」



街道らしい雰囲気ですな

時刻は、
12時09分

ちょっとお腹空きました
それよりもトイレに行きたい

で、ここから国道の反対側の藤尾市民センターへ行ける

寄り道になるけど、トイレを借りるために国道の反対側へ向かった

公園あり、
ここでパン食べました

向こうに像が2体見えるが、
この時点では全く気づいてなかった…。

この建物も何なのかわかってなくて…。
我ながら信じられない
事前に調べとくべきなのに!


公園から国道に向かうと

国道の手前に
『井筒八ツ橋本舗追分店』

バスが停まってます。
京都の出入の休憩スポットとして団体客に人気らしい。

いいものを見つけたぞ!

駐車場に

坂上田村麻呂像
天智天皇像
先ほど公園から見えてた像です

一枚の御影石から掘り出した像としては国内最大級だということです。

店のオーナーの津田さんが、
大津市の観光に役立てたいということで建てられました


大津絵発祥の地の石碑


走り井の名水の解説板


日本そろばん発祥の地の石碑

店の中に入ると団体客でごった返してました。

早速トイレを借りた。

生八ツ橋、たくさんの種類があり
順番に試食しました。

お茶のコーナーもあり
試食だけでも満腹満腹!

昼1食助かりますよ。

これなら公園でパン食べなくても良かったな…。


食い逃げするのは申し訳ないので

お土産に「走り井餅」を買いました。

ちなみに、
井筒八ツ橋本舗追分店は、走り井餅本家を兼ねてますが、
走り井餅屋さんの後継の方が現在は京都府八幡駅の近くに店を出しておられます。
国宝岩清水八幡宮に参拝される時は是非とも寄ってみてね。

市民センターに立ち寄る必要無くなったので、
12時30分
再び街道に戻りました

左手に

『旧藤尾小学校跡地』石碑

少し後戻りして

『牛尾山道標』

下の方が地面に埋まってます

牛尾山観音は山科と石山寺の間の山の中にあります


上横木町地蔵尊



坂の角度が上がっていく
『閑栖寺』
かんせいじ、と読む

門の前に車石と東海道の道標あり。



『追分町自治会館』

解説柱あり。

東海道と奈良街道(伏見街道)の分岐で、
分かれ道で馬子が馬を追いかけるから「追分」という地名になった。


12時37分
街道の分岐に来ました。






その13へ


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【旧東海道歩き11】四宮駅~国道歩道橋

2018-11-08 21:04:00 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)

四宮駅から街道へ。
11時54分
右手に

山科四宮郵便局

『横木一丁目』の表示。

これより滋賀県大津市。
府県境を越えたわけです。

知らない人はみんな
この地域は京都市山科だと思ってるだろうな。

大津市から見ると

『京都市』の看板ありました

電柱に

『旧東海道』の表示

善福寺


街道の雰囲気を伝える家


徐々に上り坂になる。


12時00分
『三井寺観音道』
『小関越』道標

今歩いてる逢坂山越えの旧東海道を「大関」と呼ぶ。

その北側に三井寺と山科を結ぶ脇道があり、これを「小関越(おぜきごえ)」と言います。

以前、滋賀県主催の探訪で歩いたことがある。
峠越えだが、琵琶湖疎水もあり比較的歩きやすい。
人気のハイキングコースになってる。
この記事は後日ブログアップします。
この時は三井寺から歩いたので、
次は、この道標から逆コースを歩いてみたい。

また、宿題が出来たぞ!

隣にスーパーがあるので、
食料調達するにはここが便利


『車石』あり。

荷車で、先に訪ねた日ノ岡の峠とこちらの逢坂山峠を越えるのが難所でした。

その対策として車石が考えられたのです。




横木地区の絵


目の前に見えてきたのは

国道1号線。
現代の東海道ですな。

国道沿いをゆくと、
旧東海道マップあり。

この付近ややこしいので助かります。

歩道橋を登る


山科側を見る


逢坂山峠方向を見る

あの山を越えなければならない

車の場合、
ここで西大津バイパス161号線湖西方面と、
国道1号線草津方面との分岐になり、
間違えると大変。

合流にも注意が必要です。

昔、西大津バイパスは有料だったので「藤尾南ランプ」という表示が今も使われてる


国道の反対側へ出ました

詳しい解説書があります。

北国街道もこういうのがあればいいのだけど…。



その12に続く



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【旧東海道歩き10】山科駅~四宮駅

2018-11-07 17:41:00 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)

午前中、毘沙門堂を拝観した。


京阪電車の踏切を渡ると

旧東海道に突き当たる

ここを左折しました。

今気づいたが、
三条大橋から山科駅まで歩いた時は
駅前交差点から駅へ曲がった。

つまり、駅前交差点からこの交差点までは、歩いてないことになる。

不覚でした!

わずか200mほどだが、抜けてるぞ!

後日、いつか歩くことにします。

ともかく、東へ向かいます

諸羽神社の鳥居

由緒書があるが、読めないので、
京都市のHPの解説を紹介

 天孫降臨(てんそんこうりん)の神話の中で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の左右に従った天児屋根命(あめのこやねのみこと)と天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀るところから、兩羽(もろは)大明神と称したという。
貞観(じょうがん)四年(862)、清和天皇の勅命でこの地に社殿を建てたのが当社の始まりとされる。
 この後、正殿(せいでん)に応神天皇、脇(わき)殿に伊奘諾尊(いざなぎのみこと)・素戔鳴尊(すさのおのみこと)・若宮八幡を合わせ祀るようになり、社名の「兩羽」の文字も「諸羽」に改められた。
社殿は応仁の兵火により焼け、その後もしばしば火災に遭った。
 当社は、山科一八郷の中で第四番目に当たるとされ、古くは「四ノ宮」と呼ばれて、この付近の産土神(うぶすなのかみ)として人々に崇敬された。  
神社の背後の山は諸羽山といい、平家物語の中に、「木曽、もろは山の前、四の宮川原に打出で・・・」と記されているのは、当社周辺のことである。山科区四ノ宮中在寺町

【正式名称】
諸羽神社
【住所】
四ノ宮中在寺町

Φ(*^ひ^*)Φ
山科の第四番目の神社なので四ノ宮と呼ばれるようになった、とある。

これが、四ノ宮地名の由来と思いきや、

『この地を四ノ宮(四宮河原)と名づけるのも人康親王が仁明天皇第四皇子であったが故に、「四宮殿」と呼ばれたのにちなんだというのである(「四宮家文書」四宮殿伝記、「十禅寺再興縁起」)。 』
という説明を発見。

さて、どちらが正解なのだろうか?


ともかく、神社の本殿は
線路の北側にある。

今回は寄り道しないでこのまま街道をゆくことにしました

『圓光寺』

線路際に本堂があるようだが、
こちらもパス。

『十禅寺』

こちらも本堂は線路の向こうです。

『山科地蔵徳林庵』

地蔵尊は、平安時代に小野篁がつくった。

山科六地蔵の1つ。

南禅寺派の寺で、第四皇子人康親王の菩提を弔うために建てられた


井戸がある。

側面に
「京都・大坂・名古屋・金澤・奥州・上州、宰領中」と彫られてる
街道をゆく牛馬の水飲み場として管理された。

地蔵堂




隙間からのぞいたら

綺麗なお地蔵さまがいらっしゃいました。

人康親王・蝉丸供養塔があります。




四ノ宮川を渡る



国道の抜け道かな?

車の往来が多い



11時50分
『四宮駅』京阪電車

線路を越えると、
『波切不動尊参道』道標

昔、この北の方の山の中に不動尊があったようです…。

街道に戻ります

この日は峠を越えなければならないので
あまり寄り道はしません!


その11に続く

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【旧東海道歩き8】御陵~JR線路

2018-10-24 22:02:00 | 東海道歩き『近江路』
2018年9月22日(土)

分岐で迷ってしまった
今度は
この公園の中の道を行く





突き当たりに冠木門あり。


この道で良かったのかな?

三条通に出てみると
「旧東海道」の看板が!

公園の中の道も違うと判明した。

実は後でわかったのだが、
この公園道は、京阪電車が地上にあった頃の廃線跡でした。
知らなかった…。

仕方ないので、またまた
地蔵堂に戻った

結局、地蔵堂の左側を真っ直ぐいくのが正しいのであった

そして、三条通に。

三条通を渡ると
『天智天皇山科陵』

奥まで行く余裕ないので
入口で引き返す


17時19分
急がねば日没になってしまう。
焦る

『日時計碑』
昭和13年に建てられたそうです。
天智天皇といえば、時計ですよね。

でも、時計の見方がよくわからない。

三条通を進む。



左手にコンビニ

JRの線路の下をくぐる


毘沙門堂の看板の所を左折する





あとは山科駅まで真っすぐ行くのみ!



その9に続く



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【旧東海道歩き9】山科駅到着

2018-10-24 16:32:00 | 東海道歩き『近江路』
2018年9月22日(土)



しばらく行くと登り坂のカーブ





17時31分
右手に

『五条別れ道標』京都市の史跡


「右ハ三条通」
旧三条通りで、今歩いてる道。




「左ハ五条橋ひがしにし六条大佛
今ぐまきよ水」
左に行くと五条橋、
現在の国道1号線を行けば鴨川の五条大橋に行けます
ひがしにし、これは東西本願寺のこと。
六条大佛は、豊臣秀吉が建てた方広寺の大仏
今ぐまきよ水は、今熊野と清水。
現在の京都駅方面へ行くには三条通じゃなくて醍醐道のほうが近道。

いつか醍醐道を歩いてみたいものです…。


とりあえず、寄り道せずに真っ直ぐ進む

左手に当麻寺

山科大仏と呼ばれる本尊があるそうです。


左手に

愛宕常夜灯


山科川の大津畑橋を渡る



安祥寺の道標

安祥寺は、山科駅の北の琵琶湖疎水沿いにあります。


我が輩は急ぎます


17時39分
『明治天皇御遺跡』

ここに東海道の本陣としても使われた「奴茶屋」があった。

『旧東海道』道標

17時40分
山科駅前交差点

東海道はこのまま真っ直ぐ大津へ向かいますが、

今回の歩きはこれにて終了。

左折します

『山科駅』到着。

なんとか、真っ暗闇になる前にたどり着けました。



三条大橋~山科駅まで
約5.4キロ歩きました

なお、この日の歩数は
36000歩、約22キロ。

JRハイキングの10キロを差し引いて東海道を12キロ歩いたことになります。

寄り道ばっかりでした



こんな調子ではいつお江戸に到着できるやら…


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【旧東海道歩き7】大乗寺~御陵

2018-10-19 21:05:00 | 東海道歩き『近江路』
2018年9月22日(土)

大乗寺を出て、

16時55分
下り坂を急ぐ

すぐに、

右手に

『亀の水不動尊』
矢印に従って細い通路を降りる。

窮屈な狭い場所にありました。

亀の口から水が滴り落ちてます


京都新聞の記事によると、

「亀の水不動尊は、一七三八(元文三)年、日ノ岡峠の改修に尽力した僧木食(もくじき)正禅が結んだ庵(いおり)の名残だ。
峠の途中に構えた庵は休息所を兼ね、井戸水で牛馬の渇きをいやし、湯茶で旅人を接待したとされる。」


本来は湧き水だけだったが、水量が減り現在は水道水を混ぜて流してるそうです。

『道標』が2つある。

大きい方には
「右 明見道」
山科区大塚妙見寺への案内です。
地図で確認したらかなり遠い

新幹線の南の方です。

小さい方は
読めないので調べました
「右 かさんいなり道」
と、書いてあるそうです。
花山、稲荷道のことです。
伏見稲荷へはここからだと山越えになります。

あまりゆっくりしていられない

下り坂を進む

山科の町並みが見えてきましたよ

交差点を真っ直ぐ突っ切る。

右手に
『大乗寺旧東海道』の看板あり。

細い道を下る



この付近の住所、
地図には
「ホッパラ町」となってる。
変わった地名ですね。

由来を調べました

1、日ノ岡峠の土砂をこの付近に放り出した。
ほっぽりだした→ホッパラ放土原

2、先に九条山の刑場を訪ねたが、処刑された遺体をこの付近で土を掘って埋めた
掘原→ホッパラ

このどちらか、だとか?

真実はわかりませんが…。


左手に『こんこう会館』

金光教の施設

17時09分
T字路に突き当たる

というか、道が右にずれる

旧東海道の表示あり

『地蔵堂』の分岐

ここで迷う
手前の道を右に進む



なんか変?

なので、
引き返し再び地蔵堂に戻りました。




次はこの公園の中を行くことにした


果たして合ってるのか?
運命の分かれ道です

というか、日没との戦いなので焦ってるのに…


その8へ続く
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