地名ちょこっと紹介
【大湫宿】岐阜県瑞浪市
おおくてしゅく。
岐阜県を凸形に例えると凸の上部分が飛騨国、下の長方形が美濃国。
美濃国の東側になるので東美濃と呼ばれる。
岐阜県には中山道の宿場が16あるが、その中で一番高所にある。
我が輩歩いたが、西から進むと大湫宿までにいくつの峠を越えたことか!
JR中央本線から遠く離れてるために中山道歩きにとってはアクセスが難関で、必死の覚悟でのぞみましたよ。
「大湫」の「湫」、馴染みのない漢字で難読ですね。
意味は、水草などの生えた低湿地を、沼地など。
なので大湫は、大きな湫、大きな湿地帯ということにある。
山間部なので関東の尾瀬を思い浮かべれはいいけど、
現在は田畑となってるので湿地の感じはないです。
「湫」一般的に「久手」と書く。
細久手、広久手、北久手、長久手など、久手地名多い。
だから、大湫宿も本来は大久手宿と記載された。
宿場を管理してたのは尾張藩で、宿場名は大久手、村名は大湫と使い分けされるようになり、明治以後は大湫村とされ現在は瑞浪市大湫町となった。
宿場名も大湫宿と表記されてます。
ちなみに大湫小学校や大湫中学校は廃止されて現在は釜戸小学校、釜戸中学校に編入されました。
この大湫小学校跡に中山道大湫宿の本陣がありました。
本陣の近くで五平餅が販売されていて食べたかったが、五平餅は焼くのに10分ほど時間がかかる。
待つのが嫌いな我が輩、時間も押してたので食べなかった。
今思うと後悔しかない。
実は、昨年だったかな?愛知県新城市作手の亀山城跡の道の駅で五平餅を注文したが、バスの時間に間に合わなくてキャンセルした。
なぜか五平餅に嫌われてます…
新城市「作手」、こちらも広大な湿原があり作久手が作手になったように思われるが、荘園制度時代の田畑を耕作する権利としての「作手権」が由来とする説もあります。
というか、五平餅の作り手のご主人さん、キャンセルしてごめんなさい。
五平餅を焼くのに時間がかかるなんて知らなかったもので…
大湫宿の話に戻ります。
本陣跡から江戸へ向かって進むと街道は右に折れていよいよ難関の十三峠に入ります。
曲がらずに真っ直ぐ行った所に「白木番所跡」があります。
今は看板だけですが、江戸時代は尾張藩が木曽の森林を管理するために設置した出先機関です。
位置的には街道が折れ曲がる場所なので宿場を見張る役目もあったのでは?
以前にも述べたかもしれないが木曽地域や中山道美濃の宿場は政治上・軍事上の要衝だったため幕府の直轄地とされたが、後にそのほとんどが尾張徳川家の領地となった。
結局、その多クテが尾張徳川家が得をする策で終わった…
明後日に続く!
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正月、早くも9日となった。
例年、元旦に参拝する地元の多賀大社、今年はまだです。
コロナのため分散参拝もいいのですが、ずるずると参拝を先伸ばしすると結局行く機会を逃して来年になったりして…
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NHK大河ドラマ「鎌倉殿…」始まりました。
さすがに三谷幸喜氏の脚本だけあって引き込まれます
面白い。
今年の大河は楽しめそう!
馬《●▲●》助ヒヒーン♪