2017年5月28日(日)、
JR草津線手原駅
駅前に『手原遺跡』古代建物群
栗東商工会館建設に伴う発掘調査で発見された。
白鳳時代~平安時代にかけての遺構が検出され、栗太郡の中心地として役場があったと推定されてます。
以前紹介した岡遺跡が栗太郡衙跡と言われるので、この手原遺跡との関係はどうなのか?気になりますな…
そして、前回ゴールした手原稲荷神社からスタート!
稲荷神社由緒
里中大明神を祀る。
室町時代の木造男神座像があるようです
1245年馬渕広政が勧請し、子孫は手原氏と称した。
境内に松の大木があり「笠松の宮」と呼ばれ旅人の休息場となった。
明治天皇の休息された。
12時36分、東へ向かう。
「厚進学校跡」
明治8年に創設された。
後に手原小学校となり、
他の学校と統合されて現在は葉山小学校(手原駅北側)です。
というか、標柱を見るとなんでもかんでも反応して撮影してしまう…
「手原醤油顕彰碑」
塩屋藤五郎家。
解説によると、幕末から大正時代にかけて三代目と四代目が醤油醸造で稼いだ資金で郷土の発展に大いなる寄与があったので、顕彰碑を建てた、ということですな。
隣は
『里内呉服店』
かぎて屋さん。
こちらは国の登録有形文化財。
明治5年創業、大正11年までの50年間呉服店を営んだ。
廃業したが、2007年に85年ぶりに再開した。
今の時代、呉服屋さんは大変だろうが、頑張って商売続けてほしいものですね。
名神高速道路栗東ICへの取付道路が見えてきた
道路下を越えて真っ直ぐ進む
左手に
西厳寺
『肩かえの松』
旅人が松の下で休息した時に、駕籠や荷物を反対の肩にかけ変えた。
ショルダーバッグ、首や肩がこるので時々、左右かけ変えるようにしてます。
さらにズボンのポケットの財布やスマホもわざと左右変えることがある。
いつも同じ位置だと身体に負担がかかると思うんですよね。
まさにこのことか?
右隣は小野公民館
さらに進む。
向こうにちょっと小高いやまが見えてます。
城跡ですよ。
『修齊学校跡』
手原に造られた厚進学校は明治8年だったが、こちら六地蔵地区には明治6年に修齊学校が建てられた。
明治24年に簡易梅ノ木小学校となり、厚進学校ともう一校と統合されて葉山小学校になった。
『巡査駐在所跡』
こちらはよくわからない…
野洲川の対岸の三上山を見る
12時59分
手原稲荷神社から約23分
『六地蔵一里塚』
その54に続く
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お盆過ぎたら気温が下がってきた。
夜は秋の虫が鳴いてます
もう秋ですな
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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