馬ひでの助

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【伊予国遠征13】大洲城その2

2021-12-15 20:39:44 | 伊予国の史跡

2021年2月22日(土)、二日目。

大洲城天守は連結式層塔型。


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層塔型は江戸時代以降の建築方法で、1609年城主となった脇坂安治の時に建てられた。

真っ白の建物が多いが、こちらは黒白。


明治時代に解体され、2004年に復元されたのが現在の姿。
脇坂氏といえば、近江小谷城の出身。
大和高取城→淡路洲本城→大洲城、
最後は播州龍野城主となりました。
いずれも訪城済です。
ただし、龍野古城がスズメバチ規制で入山禁止になってたので、いつかリベンジするつもりです。
ま、龍野古城は脇坂氏の城跡ではないけどね。
10時35分、天守に入った。


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550円也。


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百名城スタンプ押した。
天守雛型があります。


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層塔型はシンプルでわかりやすい形ですよね。内部は通柱が貫いてるのでお寺の四重塔を連想させる。
ただし、お寺の塔は基本的に奇数なので四重の塔は無い。
形がシンプルなので、各階に千鳥破風を付けて装飾し豪華さを出してます。
雛型をよく見ると内部の通柱と外側の隅柱以外は各階の柱の位置がバラバラ。
これは耐震対策なのか、単に構造上の結果なのか?
気になりますね。

内部を見学。


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狭間、


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武者走り、


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階段


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具足は脇坂氏の後に城主となった加藤氏のもの。


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階段の横に心柱。
心柱(通柱)は中央じゃなくて片側に寄ってるのは階段が心柱に沿って付けられたため、だとか?


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一階と二階は吹き抜けです。


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破風の間。

破風は外から見れば装飾性を持つが内側は兵の隠れ家にもなり、外を見張る役割がある。


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最上階です。


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肱川を見てます


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雨で霞んでます。


天守と連結する二重櫓。
「高欄櫓」


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中途半端に高欄が付けられてる。
高欄から月見をしたそうな。


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「台所櫓」
高欄櫓より大型。
天守と同じく黒色の下見板張りなってるので、こちらは小天守と言える。


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約30分ほど見学して外に出ました。


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もう一度、連結天守。

まだ雨が降ってます
川向こうに富士山の形の山が見える。


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冨士山と書いて「とみすやま」と呼ぶ。
梶原景時が名付けたとか?
というか、関東武者の景時はいつ四国に来たのだろうか?

二の丸(北の丸)へ。


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搦手門跡へ
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搦手門外側の内堀跡は現在、菖蒲園になってます。


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内堀の幅は18mの大規模なもの。


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2段石垣↓


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犀川の河原まで下った
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天守を見上げる
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水手櫓


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普通、こちらまで来る人はいません。

もう一度登って

本丸へ戻りました。
「中江藤樹像」


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近江聖人と呼ばれてます。

藤樹は近江出身ですが、米沢藩主加藤家の家臣中江家の養子となり、藩主の加藤家が大洲に移った時に中江家も大洲に移りました。

その後脱藩して故郷の近江に戻り陽明学を究め実践し広めました。


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間近で見たかったが、工事のため近寄れない。

せっかく来たのに、残念無念…


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この後、犀川からオワタ櫓を見て城下町へ向かいます


次回へ続く~


馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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