2018年9月8日(土)、
"街道の分岐に来ました
バス停があり,
おばちゃんが待ってます。
バス停の足元に『道標』!
「東海道やせうま坂」
馬も痩せるほどの急な坂だったらしいが、今は大した坂ではない
もう1つ新しい道標がある。
坊袋、中世には治田郷青地の荘域。
江戸時代に坊袋村となり、山城淀藩領となる。
「金勝寺 こんぜ」
「→東海道、川辺、坊袋、目川、岡、新屋敷を経て草津へ至る」
今回歩いてきたルートだ。
「←中郡街道、川辺、下戸山、上砥山、御園、東坂を経て石部へ。
現県道川辺ー御園線起点」
御園は、競馬の栗東トレーニングセンターがある地区です。
御園から山越えすると石部へ抜けられます。
こんぜ道(川辺御園線)は土手の下を沿って進む道で、土手の上は目川池、金勝川が流れてるはず。
東海道は左折して進む
またまた道標。
こちらも新しい道標です
「稲荷神社 東海道」
「稲荷神社の由来 伏見稲荷神社に勧請し建立されたもので笠杉、三吉、枇杷大明神の三神が祀られている」
この稲荷神社は現在の手原駅前にあります。
これから東海道を歩くが、本日の1回目の終点が稲荷神社です。
さらに進む
「善性寺」
縁起によると、
慶安2年(1649)創建。
竹林坊という道場を開いた。
文政九年四月、シーボルトが訪れた。
スイレン、ウド、モクタチバナなど、珍しい植物を見学した。
境内に入る、植物の鉢が色々と置いてある。
植物のことはよくわからないので退散。
川辺交差点
川辺、かわずらと読む。
しばらく進む
川が見えてきた
葉山川の橋、
橋のたもとに「道標」
草に隠れてよく見えない
「安養寺」「上鈎」だと思う…
堤防沿いを進む
同じような造りの二階屋根の家が並ぶ
飛び出し坊やの看板
イマイチ…
上鈎村「油屋」
上鈎は、かみまがり、と読む
地名由来は
栗東市の説明によると、
『近江栗太郡志』は、「鈎」の地名が、先にみた小俣王の子孫である当麻の勾君が居住したことによるものとしています。
また、「まがり」という地名は、「曲」の意味で、川の蛇行などの自然地形に由来するという見解もありますが、栗東の「鈎」の地名は、十里遺跡の木簡とのかかわりからすれば、勾連という氏とのつながりを考えるべきで、7世紀後半にまでさかのぼると推測されるのです。
※小俣王は開化天皇(9代)の皇子
12時37分、
上鈎東交差点
その52に続くΦ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ台風のせいか、東風が吹いて少し暑さが軽減されて助かる馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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