馬ひでの助

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【大和長寿道】その1、『安倍山城跡』

2019-06-20 07:09:25 | 大和国の史跡
"2019年6月2日(日)

戒重陣屋跡は、あくまでも寄り道。
本来の目的は、大和長寿道を歩くこと。
と言っても、知らない人多いと思う

実はJRのチラシで初めて知ったのです。
最近ぼけ化が進みつつあるので、その対策として誕生日記念に歩くことにしました。
桜井駅からボケ封じの寺社に立ち寄り畝傍駅、大和八木駅まで歩く
直線距離にして約5キロです。

桜井駅の観光案内所で、長寿道のマップを所望したら、
無い!
と言われた。

仕方ないので、事前にネットで調べた地図を頼りに歩くことにしました。

桜井駅から南に進む道に

『歴史街道』の表示が。

12時10分、三宝稲荷神社参道

左手に『桜の井』

第17代履中天皇ゆかりの井戸。
磐余稚桜宮がここにあったとか?

井戸のそばに桜が植えられてたので桜井。

この井戸が桜井市の地名由来になった。

南隣に
『若櫻神社』


参道右手に、若桜の井戸が復元されてる。

さっきの井戸があるのになんでここにも造ったの?

「磐余稚桜宮伝承地の解説」

履中天皇が磐余(いわれ)で船遊びをしていた時に、杯に季節はずれの桜の花びらが舞い落ちた。
なので磐余稚桜宮と命名したとか?

無事に長寿道を走破して、長生きできますようにお祈りしました。


右→土舞台の看板に従って右へ。


坂を登る

曲輪の跡かな?

と、思って見る

さらに左手に回り込む

山頂へ。

12時25分、

公園化された広場になってる。
ここが、
『安倍山城跡』

南朝方の駿河狩野氏が築いたとか?
後に南朝方の戒重城を攻めるため北朝方の細川顕氏がここに陣を敷いた。
さらに、その後に松永久秀が布陣した。

土舞台へ向かう

右手に下の段の曲輪への道がある

崖道の草むらをゆく
どんどん藪化する


ついにあきらめて、引き返しました。

やっぱり城跡は冬でないとダメですな。



Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

我が家の紫陽花、

ちょこっと、色が変わり始めた

梅雨入りは今週末か?


馬《●▲●》助ヒヒーン♪



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