馬ひでの助

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2020年回顧【岐阜県のお城】大桑城その2

2021-02-22 15:59:00 | 美濃国の史跡
2020年3月6日

ロープを伝って急斜面を登る

古城山(金鶏山)山頂、407.5m


細長い尾根曲輪を進むと
「伝天守台」

女の子がここに陣取ってずっと動かない。
いなかったら、ここを登るのだか…
ハイキングとして登る人が多いんですよね。

横の通路を進むと

模擬櫓が建てられる。

ノートに書き込んだ

見晴らし抜群です。

この先の切り立った尾根上の曲輪を進む

一応先端まで行ったが恐くなり引き返した


主郭北側の帯郭を巡る

随所に石垣が残されてる。


縄張り図の竪土塁、

これかな?と思ったが確信持てず…

帯曲輪のさらに北側の段曲輪群を見に行くがわかりにくいし、藪…

あきらめて、はじかみ林道を下山しました。

「伝猿馬場」


さらに降りると

パラグライダーの基地になってる

中腹の駐車場。
ここから登れば楽ですよ

車道を下ると

「城山展望台」
この時はわからなかったが、あとでここも城跡だと知った。
案内板の後ろは土塁かな?
周辺探索すべきだったわ
櫓台の上に物見櫓?

岐阜城を確認した。
画像には写ってないけど。

16時20分、登山口に戻りました。

つまり、4時間20分も山の中を歩いたわけで、いかに広大な山城か、ですわ。

麓の城下町に残る「四国堀」

越前朝倉氏が四ケ国の人夫を使ったという伝承でこの名前が。

城下町は朝倉氏の一乗谷を模したと言われる

斎藤道三は、この城を攻めて守護の土岐頼芸を追放しました。
この城を攻めるのは大変だと思うが、今回パスした北側の曲輪群方向からは登りやすいそうなので、次に機会があれば、北側から登ってみたい。
というか、北側の曲輪群は近江の城郭系寺院の縄張りに似てますね。
まっすぐの通路の両側に屋敷(寺の坊)群が配置される形。

最後に、
大河ドラマ関連で、
「桔梗塚」へ。

臨時の駐車場があり、ボランティアガイドさんいました。


光秀公の墓

墓に関しては、よくわからないけど…

※縄張り図は現地の案内図と
「岐阜の山城ベスト50を歩く」(サンライズ出版)中井氏の図
を使用しました。

以上です。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
多賀町博物館で「敏満寺」の企画展が開催されてたので見学しました。
※20日に終了しました





敏満寺(びんまんじ)及び
名神高速道路多賀サービスエリアに残されてる敏満寺城跡の発掘調査の記録。
さらに


湖東地区の寺院と城郭についての展示もあり、参考になりました。



湖東三山の百済寺、金剛輪寺など紅葉で有名ですが、城跡目線で見学するのもいいのではないでしょうか?


馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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