地名パズル、前回の答え
守
海口
◯◯◯◯←ホタルイカ県
山巾郡駅
市町
↑↑↑↑
栃岩愛大
木手知阪
県県県府
正解は、『小矢部市』
詳細は後日
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地名ちょこっと紹介
【小山市】栃木県
おやまし。
栃木県の南東部に位置し東隣は茨城県結城市と接する。
昔々その昔、まだ我が輩が元気だった頃、我が家からマイカーで関東まで走った。
高速道路を降りて本庄→熊谷から国道50号線をひたすら東へ東へ向かい、佐野市あるいは小山市付近でガソリンを補給。
1日目は結城駅前のホテルで宿泊した。
そして、翌日に目的の水戸城を見学した。
思えば、500キロ以上もよく走ったものですわ。
今なら、疲れきって水戸へ行かずに小山でUターンして帰ったかも?
あやまぁ!
小山と言えば、歴史的には「小山評定」ですよね。
上杉討伐に向かってた家康軍が、小山対陣中に石田三成挙兵の知らせを受けて軍議を開き、西へ引き返した。
まさに天下分け目の評定でした。
この時、真田親子は敵味方に分かれて、お家存続をはかった。
一方、水戸城の佐竹氏は、家康寄りのポーズを取りつつも中立を保った。
このどっちつかずが禍となり、戦後お家取り潰しはまぬがれたものの秋田へ飛ばされてしまった。
もし佐竹氏が上杉氏とともに家康の背後を突いてたら、その後の歴史は?
おやまぁ?
となってたかも…
この小山評定の場所は小山市の祇園城の南付近だと言われる。
祇園城は地元の豪族小山氏の居城でした。
実は我が輩、栃木県南部の城跡巡り遠征を計画してます。
遠からず祇園城を探訪する予定なり。
ところで、小山市の由来は、
小山市のホムペによると
「地名の由来については、諸説がありますが、思川西部の低地から見ると東部の台地が小さな山の形をしていることからその名がついたというのが有力です。
鎌倉時代から戦国時代にかけては、下野国の守護や鎌倉幕府の評定衆として活躍した小山氏の本拠地となったところです。」
と書いてある。
地図で確認すると、思川が小山市の中央を南北に流れて東西を分ける形になってる。
この思川の東の小山に祇園城があるのです。
思川の由来はタキリヒメ(田心媛)の
田+心=思から名づけられたとか?
おやまぁ、
♪ホホイのホイでもう一杯
て、このCM知ってる人
昭和世代ですよね。
では皆さん、唱和しましょう
♪ワタ◯ベのジュースのもとです
もう一杯…
こりゃまぁ
明後日に続く~
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Φ(*^ひ^*)Φ
こんばん馬!
季刊紙ともいうべき地名夜話です。
前回は猛暑だったが、季節は進み極寒の時期に。
そして、今夜は寒さでメリー苦しみマス
と、いきなりの
ド定番のギャグであいすみません、でござる。
いや、物価高で
メリー栗きんとん、とんと食えぬ
正月用品や食品はホントに高い。
もう手が出ない。
かまぼこは、迎春の文字を入れるだけで普段の数倍もの値段にしてるんじゃないですか?
ま、来年は正月気分では無いので、
おせち料理も不要なんですが…
そんなこんな言いながら、今年のクリスマスも普通の夜を過ごしました、とさ。
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
庭の掃除をしたのですが、
落ち葉の風情がいいのでこのままにした。
と、体裁のいいことを言ってるが、
落ち葉をかき集めるの大変なのです
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
美濃国分寺に行きました。
いとこの墓参りです。
クリスマスに亡くなり、本日は17回忌になる。
墓地の紅葉も終わりですな。
母は常々、このいとこに老後の世話を頼んでました。
岐阜市に嫁ぎ苦労しただけにしっかりとした優秀の人だったので、母は懇意にしてたのです。
結果的には乳がんのために母よりも早く65歳で亡くなったので
母の老後の介護は、我が輩の担当となってしまったのです。
墓前で、いとこに母の大往生を報告しました。
合掌!
馬《●▲●》助ヒヒーン♪