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ごはん食べた?2010年4月

2010-11-04 06:06:00 | 日記
2010/04/11
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ごはん食べた?(1)吃了飯[口馬]?チーラファンマ?

 上階からの漏水事故のあと、2日間は体調落として寝込み、食欲減退。いくらか痩せたような気もしましたが、「水害見舞い」として、ウェブ友からうどん、リア友(現実社会で行き来するリアルな友達)から角煮饅などを送ってもらい、もりもり食べましたから、今はたちまちリバウンド。(館林うどんも長崎角煮まんじゅうもおいしゅうございました。感謝)

 ストレス解消のためにこれまで無謀喰いを続けてきました。「チョコ数箱一気食い」「ケーキ丸ごとホール喰い」なんかは禁止されてはいるのですが、まあ、ときには禁を犯すのも人生。片付けの合間に甘納豆一袋一気食いなどはやりました。
 漏水後かたづけから復活後、ブランコで揺れておなかをすかせたあとの話題は「食べること」。春庭の喰うや食わずの人生、なんとか食い繋ぐことがメインの生活ですから、食べることについての話をします。

 昨年の半年間、中国で仕事をしました。三度目の中国赴任だったけれど、中国語はさっぱり上達しませんで、挨拶と食堂の注文が出来る程度でおわりました。
 中国語の挨拶、一番よく使われるのは「你好ニーハオ」です。しかし、你好は、実は方言のひとつであったものを普通話(プートンファ=標準語)として採用されて以後広まったものだそうです。人民共和国になるまでの中国で日常の挨拶ことばは「ごはん食べた?」你吃了飯[口馬]?ニー、チーラファンマ?

 中国で一般民衆がともあれ毎食の食事を十分に取れるようになったのは、20世紀後半以後のこと。現代は、貧富の差が大きくなって不満も渦巻く中国大陸ですが、「人民共和国になってから飢える人がいなくなった」と、中国の人々は信じています。お年寄りの中にはおなかをすかせていた記憶を残している人々も多く、昔話をしてもらうと「子供の頃はいつもおなかがすいていたけれど、毛主席のおかげで今は幸福です」と、模範的な回答をします。外国人に何か尋ねられたときは、とりあえず毛沢東をたたえておけばあとのたたりはない、という教育が徹底しているだけかも知れませんが。

 日本では、「空腹に耐えられなかった」という時代を覚えている人たち、高齢化していますが、記憶を語って残してほしいと思います。
 敗戦後占領下の日本に生まれた私の場合、物心ついたころには皆が食べられるようになっており、成長の過程で空腹に泣いた記憶がありません。芋や米を母の実家から分けてもらったことや母が家庭菜園で野菜を作ったり、鶏を飼ったりしていたから、一般の勤労者家庭よりは食材が豊富だったのかもしれません。
 今、泣くのはおもに「肥満道一直線」の我が身体にであって、食欲のままに食べ続けるとどうなるか、という結果に涙するばかり。

 21世紀の今、東京のレストランでは世界中の料理が食べられます。世の家庭では毎食毎食、豊富な献立が食卓に上り、メニューのレベルはさまざまなれど、みなおなかいっぱい食べている。世界的にみても、歴史的にみても、これほどの飽食社会は未曾有のこと。毎日のメニューやその日作った料理のレシピをブログに記録する人が大勢いる。こんなに毎日ごちそうを食べ続けていいのかしらと思うくらい。

<つづく>
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2010年04月13日


ぽかぽか春庭「戦下のレシピ」
2010/04/13
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ごはん食べた?(2)戦下のレシピ

 水に濡れて捨てた本多数の中、斉藤美奈子『戦下のレシピ』は、濡れずに残った。仕事の資料として直接使用しない本は処分すると決めて、捨てようかどうか迷ったけれど、本箱に戻しました。留学生への「日本事情」の授業を担当しなくなってから、歴史関連の本もだいぶ処分したのですが、岩波アクティブ新書の一冊『戦下のレシピ』、そんなに場所もとらないし。

 『戦下のレシピ』には、昭和初期から敗戦時期までの農村と都会の食生活が紹介されています。
 振り返ってみれば、私が生まれる前、戦争中の日本また敗戦後の日本で一般庶民は飢えていた。ただひたすら「おなかいっぱい食べたい」という望みを抱えて生きていた。現代では、飢えて死ぬ人がニュースとして特別な存在になり、飢えた記憶は戦中戦時下、敗戦後の思い出の中に語られるだけ。以下、『戦下のレシピ』一部紹介。

 『戦下のレシピ』に掲載されているメニュー。
 たとえば1940(昭和16)年、太平洋戦争が始まった頃の献立として『主婦之友』12月号に食糧新報国会常務理事・中澤弁治郎が書いている都会向けと農村向けの「国民食」献立。以下の献立に主食は一人米400g麦その他雑穀100gを摂取するのが「栄養献立」とされているのですが、そもそも都会の家庭には、昭和16年の時点ですでに米麦雑穀あわせてもひとり一日300g以下しか配給がなかった。どうやってこの「理想的な栄養献立」を満たせというのだったか。

(1940年12月都会向け)
朝:味噌汁 金平牛蒡(きんぴらごぼう) 漬け物
昼:うどん 汁 薬味
夜:鯖のハンバーグ 清し汁 漬け物
(農村向け)
朝:里芋と大根葉の味噌汁 いなごの佃煮 漬け物
昼:味噌パン 漬け物
夜:打豆飯 ごった汁 漬け物

 1931(昭和6)年頃に成立したと見られている『雨にも負けず』は、「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ」と書いています。「玄米4合」は、宮沢賢治流のずいぶんと控えめな食事です。副食物が少なかった戦前の食事では、一日に米飯を6合摂取しないと肉体労働に必要なカロリーを供給できないとされていました。味噌、佃煮、漬け物などをおかずにして、穀類を大量にとるのが、この時代の中心的な食事でした。
 『写真で見る日本陸軍兵営の食事』などの本によると、日本陸軍の食事規定では、一回の食事につき、主食として三食とも麦飯2合(ひとり一日6合)、副食として朝食は汁物(味噌汁・すまし汁など)と漬物。昼食および夕食は、肉や魚を含んだ少量のおかず一品。

 中央物価統制協力会議の資料(法政大学の調査による)と、1944年1月、東京都の労働者世帯の野菜入手状況は、ひとり当たりの配給量は一日平均約25匁(90g)、配給以外に買出しその他で約50匁(180g)を入手。同じく魚介類の配給は一日平均7匁(25g)弱にすぎず、魚の半分は生いわしと丸干しいわし。配給以外に買い出しで入手できる魚介類も10匁(36g)強。1ヶ月後の1944年2月ごろには、東京都における野菜配給量は一人一日当たり平均20匁(72g)、魚は5匁(18g)に減り、戦火が激しくなるとその配給も滞っていきました。

 そうなると、道ばたの野草雑草も貴重な食材。いたどり、おおばこ、はこべ、すべりひゆ等、なんでも食べることに。婦人雑誌などでは「野草をおいしく頂く調理法」などを特集しています。

 1945年に戦争が終わってからさらに厳しい食糧不足が続きました。冷害が続いて国内の穀物生産が危機に瀕した上、戦前のように台湾や満州、朝鮮半島などから食料を調達することは出来なくなったからです。食料の配給制度ではどうやっても生き延びることはできませんでした。食料統制法による闇米販売を犯罪として裁かなければならない裁判官の中に、統制法を守って闇米を拒否し、栄養失調で亡くなった人が何人かいました。(一番有名なのは33歳で亡くなった山口良忠判事)
 と、いうことは、大多数の死ななかった法律家や警察官は法を守ってはいなかったということになります。

 現代の食料自給率は40%に満たない。輸入食料に頼っている中、輸入ができなくなって、もし食料統制法なんてものができたとしたら、、、、闇米を買おうにも、わが家にはお金もないし、一家で栄養失調になるしかないでしょう。集合住宅住まいだから庭でさつまいもを栽培することもできないし。

<つづく>
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2010年04月14日


ぽかぽか春庭「満州火鍋」
2010/04/14
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ごはん食べた?(3)満州火鍋

 戦中戦後に盛んに「家庭で作れる食べ物」として推奨された南瓜とサツマイモ。食べ物が出回るようになると、「芋と南瓜はもう一生食べなくてもいい」と言う人もいたようです。私はいろいろな食材が出回るようになってから物心ついたおかげで、今でもサツマイモもかぼちゃも大好きです。食べ物の記憶というのは、それぞれの人にそれぞれのものですが、戦下にフスマパンとか芋雑炊とかを食べ続けた人にとって、なつかしいというより、「もう二度と食べないでもいい」という味になっているのでしょう。何を食べても、おいしい思い出が蘇る私は、幸福な時代を生きてきたと言えます。お金持ちの家ではなかったけれど、家族5人団欒の食卓を用意してくれた両親に感謝。

 わが家は田舎でしたから、私の子供時代にはもう野菜も十分に出回るようになっていましたが、農家出身の母は「八百屋の野菜なんて新鮮でない」と言って、家の裏手で家庭菜園を作っていました。味噌汁の菜っ葉などは、作る直前に摘むのですから、新鮮そのものです。庭に鶏も飼っていて、毎朝産み立ての卵で「卵かけご飯」を食べましたが、今思うと、野菜やトウモロコシなどの自然の餌で育てた鶏の卵は、現在の配合飼料と抗生物質を食べている鶏の卵とはずいぶん味が違っていたはずです。当時はそれが贅沢とも思わずにいましたが。

 私はタラの芽、蕨、コゴミなどの山菜が好きで、芹、蕗の薹などのちょっと苦みがあるような山野草が好物のひとつです。「あかざ」という雑草のおひたしも好きでした。母が家庭菜園で作った菜っぱのお浸しをゆでているとき、わざわざ私の分だけアカザをゆでてもらって食べました。アカザはそこらの畦や空き地にいくらでも生えていました。
 野菜も豊富に出回る頃になってからアカザを食べるのは、野趣があっておいしいと思えましたが、ほかに食べるものがないときに、おおばこやイタドリなどを食べさせられた子供たちにとっては、「野草をおいしく食べませう」と指導されても、有り難くはなかったことでしょう。

 『戦下のレシピ』続き。
 中国大陸に戦火が広がり、満州では皇帝溥儀が傀儡の身とわかって憤懣をつのらせていたころ。1939(昭和15)年の『婦人倶楽部』2月号には、「満州料理」が紹介されています。
・ホウコウズ(火鍋)
 内地の寄せ鍋の一種ですが、寒い寒い満州の冬、暖かい暖炉の前に集まって頂く夕食に、ホウコウズの美味しさは第一級の食味がございます。
材料(五人前)
 春雨一束、白菜半株、豚肉または兎肉50匁(180g)、竹輪一本、烏賊一尾または鰯五尾、人参一本、葱三本、筍少々

 2007年2009年の中国赴任中も、火鍋は教師達に人気のメニューでした。ありがたいことに、私が行った店の多くは、火鍋がひとりひとり別鍋仕立てになっていたこと。大鍋を前に、いちいち「すみませんが、直箸つっこまないでね。鍋の中にいれるのは取り箸限定にしてください」とお願いせずにすみました。鍋に直箸が入ると食べられないというのは、私のビョーキですが、これは豊かな現代だからこそ言えるわがままであり、食べ物のない時代だったら、直箸だろうと残飯だろうと食べざるを得なかったのかも知れません。

 果たして昭和15年に満州に暮らしていた人々のうち、どれほどがこの「第一級の食味がございます」というレシピで「暖かい暖炉の前に集まって頂く夕食」を味わえたのか、と感じます。『婦人倶楽部』などの雑誌は満鉄勤務のご亭主を持つ奥様方などが購買層だったでしょうけれど、満州の荒野を開拓していた人々は、コウリャンの雑炊をすすっていたのではないでしょうか。

<つづく>
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2010年04月15日


ぽかぽか春庭「19世紀末イギリス荷馬車屋の食事」
2010/04/15
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ごはん食べた?(4)19世紀末イギリス荷馬車屋の食事

 『戦下のレシピ』は捨てずに取っておくことにしたのですが、古い料理本などはだいぶ処分しました。そのほか、いろんな紙が積み重なっていた中のプリントに、イギリス都市労働者の食事の記録がありました。面白いと思って取っておいたのですが、別段資料として活用したことはなかった。ちょっと湿気たけれど、文字は読めるので、この際コピーしておきます。ネタ元の本の名前が書いてないので、出典がわからないので、記録としては不完全ですが、そのうち出典を探します。

 産業革命後のイギリスでは、食生活が格段に向上したのですが、それでも以下のように単調なメニューであり、ごちそうは日曜日に食べるだけです。また、夜の食事は無しであるか、食べてもパンくらいで、ディナー(一日の中心の食事)は昼にとっています。
   
 19世紀末から20世紀初頭のイギリス都市労働者の食事の記録。
A:荷馬車屋(週給20シリング)
・月曜日(朝):パン ベーコン バター 茶 (昼)豚肉 ジャガイモ プディング 茶 (ハイティ=4時前後のティータイム)パン バター 茶 (夜)茶 
・火曜日(朝)パン ベーコン バター コーヒー (昼)豚肉 パン 茶 (ハイティー)パン バター ゆで卵 茶 (夜)パン ベーコン バター 茶
・水曜日(朝)パン ベーコン バター 茶 (昼)ベーコンエッグ ジャガイモ パン、茶 (ハイティー)パン バター 茶 (夜)なし
・木曜日(朝)パン バター コーヒー (昼)パン ベーコン 茶 (ハイティー)パン バター 茶 (夜)なし
・金曜日(朝)パン バター 茶 (昼)パン バター トースト 茶 (ハイティー)パン バター 茶 (夜)なし  
・土曜日(朝)パン ベーコン コーヒー (昼)ベーコン ジャガイモ プディング 茶 (ハイティー)パン バター ショートケーキ 茶 (夜)パン ニシンの干物 茶
日曜日(朝)パン バター バター入り焼き菓子 コーヒー(昼)豚肉 玉葱 ジャガイモ ヨークシャープディング (ハイティー)パン バター バター入り焼き菓子 茶(夜)パン 肉

 イギリスの都市労働者の食事、つづき。
 週給20シリングの荷馬車屋は夜の食事を抜く日があったのにくらべ、週給25シリングの研磨工は、夜も焼き菓子などでおなかを満たしています。ディナー(一日の中心の食事)は昼ご飯で、肉類の摂取も荷馬車屋より多くなります。

B:研磨工(週給25シリング)
・月曜日(朝)パン バター ジャム チーズ 茶 (昼)パン 牛肉 ジャガイモ キャベツ 茶 (ハイティー)パン バター ジャム 茶 (夜)パン ジャム
・火曜日(朝)パン バター ジャム 茶 (昼)ミートパイ ジャガイモ (ハイティー)パン バター ジャム パイ 茶 (夜)バター入り焼き菓子 
・水曜日(朝)パン バター ジャム 茶 (昼)細切れ牛肉 パン ライスプディング茶(ハイティー)パン バター バター入り焼き菓子 茶 (夜)フサスグリ入り焼き菓子
・木曜日(朝)パン バター 茶 (昼)パン ベーコン ジャガイモ (ハイティー)パン バター 茶 (夜)パン バター
・金曜日(朝)パン バター パイ 茶 (昼)パン ビーフステーキ コーヒー (ハイティ)パン チーズ 茶 (夜)パン 缶詰肉 
・土曜日(朝)パン ベーコン 茶 (昼)パン 牛肉 茶 (ハイティー)パン バター ジャム 茶 (夜)パン バター 
・日曜日(朝)小麦粉焼き菓子 バター 茶 (昼)ローストビーフ ジャガイモ キャベツ ヨークシャープディング (ハイティー)パン バター ジャム 茶 (夜)パン ジャム

C:職工長(週給38シリング)
上記と同様の献立に、昼はスープと肉またはソーセージ、サーディンなどが加わる。飲み物は茶、コーヒーのほか牛乳も加わる。

 19世紀末(1800年代末)週給20シリングの家庭では、しばしば夜の食事は抜きになったけれど、38シリングもらえる職工長になると、チーズが食卓に上ることも増え、肉類も多くなることがわかる。いずれにせよ、現代からみると単調なメニューであり、食べる楽しみはどれほどであったろうか。
 メニューは書いてあったけれど、量が書いてないので、果たしてこの食卓が家族みなに十分行き渡っていたのかどうかわかりません。

<つづく>
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2010年04月17日


ぽかぽか春庭「たのしみは」
2010/04/17
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ごはん食べた?(5)たのしみは

 19世紀末のイギリスや、昭和時代の日本の庶民の食事からみると、現在の日本人の食卓は王侯貴族の食事のように思えます。
 我が家のメニュー、贅沢をしているつもりもなく、飽食のつもりはありませんが、若い頃に比べ太ってきたことは事実。必要なカロリーより余分に摂取しているから太るのに違いない。

 「隣の晩ご飯」という番組は長寿番組のひとつになっています。みな、お他所の家の食卓にどんなおかずがのっているのかは気になるから、番組も長く続いているのでしょう。春休み夏休みに昼のテレビをつけて、たまに「隣の晩ご飯」を見ることがあるのだけれど、アポなし突撃というにしては、どの家もたっぷりのメニューでおいしそうなおかずがテーブルの上に並びます。我が家のように買ってきた出来合いお総菜や生協レトルト食品が貧相に並んでいる、というような家庭はテレビには登場しないみたい。

 2007年に私が中国に単身赴任して「我が家シェフ」は、娘と交代いたしました。以来、娘が夕食係です。朝ご飯と昼は起きる時間もまちまちなので、それぞれが勝手に食べたいものを食べることになっているのですが、夕食は娘が作り必ず息子と私といっしょに食べます。

 我が家の献立は、ご飯に一汁二菜(汁・スープがないときはおかず3品)が基本。肉または魚のメインディッシュに、野菜のおかずが1品(煮物、温サラダなど)。ミネストローネやけんちん汁、豚汁などの汁物、または付け合わせとして揚げ出し豆腐などの副菜。プラス漬け物など。
 栄養のバランスはよいと思うのだけれど、問題点は量。確実に消費カロリーより多い。飽食のつもりはないといいながら、これはやはり飽食なんでしょう。減らすべきです。はい、了解してはおります。

 食べる喜びは生きる喜び、、、、ですが、これからは食べる意欲をもう少し別の意欲にかえていこうかと思います。
 道浦母都子が食べ物をテーマにして詠んだ歌を集めた本、絵本のような体裁の歌集(短歌とイラストのコラボ)を持っていたはずなのですが、水害騒動で廃棄したほうに入っていたのか、見当たらなくなりました。あれ?道浦ではなくて俵万智の歌だったかしら。こんなふうに、記憶も曖昧になるので、たとえ読み返すことはしなくても、本は持っていたいと思うのです。

 2009年度芸術選奨を受けた柳宣宏歌集『施無畏』から、食べる喜びに溢れる歌を抜き書き。
・コロッケを肉屋に買ひて歩みつつ少年の日のよろこびを食ふ 柳宣宏
・セロファンに包まれたるを春の野に光らせながらほどくおむすび 柳宣宏
・饅頭の白きを食ひてニッと笑む死にさうもない母に寄り添ふ 柳宣宏

 次は、食べる歌の古典。橘曙覧(たちばな あけみ1812~1868)。あけみの「たのしみ」は食べることだけじゃなかったですけれど、食べる歌だけ抜き書き。
・たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物をくふ時
・たのしみはあき米櫃に米いでき今一月はよしといふとき
・たのしみは門(かど)売りありく魚買(かひ)て煮(に)る鐺(なべ)の香を鼻に嗅ぐ時
・たのしみはまれに魚煮て兒等(こら)皆がうましうましといひて食ふ時
・たのしみは雪ふるよさり酒の糟あぶりて食(くひ)て火にあたる時
・たのしみは木芽(きのめ)煮(にや)して大きなる饅頭(まんぢゆう)を一つほゝばりしとき
・たのしみはつねに好める燒豆腐うまく煮(に)たてゝ食(くは)せけるとき
・たのしみは小豆の飯の冷(ひえ)たるを茶漬(ちやづけ)てふ物になしてくふ時
・たのしみはとぼしきまゝに人集め酒飲め物を食へといふ時
・たのしみは客人(まらうど)えたる折しもあれ瓢(ひさご)に酒のありあへる時

<つづく>
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2010年04月18日


ぽかぽか春庭「今朝の麺麭」
2010/04/18
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ごはん食べた?(6)今朝の麺麭

 食べたつもりで一首詠むってことで、食べる量を減らせるかしら。
食べたたつもりで、春庭も「食べ物の歌」。 
・慶州の旅より戻りてビビンバは吾子の得意の料理となりぬ(我が家のシェフは娘)春庭
・コロッケに揚げるジャガイモ潰すとき娘の指に力みなぎる(握力は私のほうがあるのだけれど) 春庭
・ツナ缶はパッカンと開く缶切りもいらずサラダは出来上がりけり(サラダ担当は息子) 春庭
・春キャベツのサラダは息子が刻みます千切りならず百切りまたよし 春庭
・惚け伯母が最後につぶやく「ビーフストなんとかってのをも一度食べたい」 春庭
・亡き母のひとつ話よ嫁に来て烏賊さばき方知らずに泣いたと 春庭
・八宝菜が亡き母自慢の料理ゆえ八宝菜は今も宝菜(パオツァイ) 春庭
・朝鶏が産んだ卵を飯にかけ命いただき命に感謝(うちのは無精卵だったけど) 春庭
・今朝の麺麭(パン)昼餉の饂飩(うどん)小麦粉の生まれし大地は地球の裏とふ 春庭

 食べ物短歌、、、、なんだか余計おなかがすいてきました。

 休みの日、朝はコーヒーを飲んでから布団に戻って二度寝しながら新聞を読み、ゆっくりしてから起きて10:30~11:30にブランチをいただきます。3時~4時にハイティ(しっかりおなかにたまるおやつを食べるティータイム)のメニューは、ホットケーキだったりバナナだったりします。最近は「キャベツをチンしてポン酢をかけたもの」など食すようにして、カロリーに気をつけてはいますが、甘い物の誘惑を完全排除したらストレスになるからと、自分に甘い食生活管理。

 休日の食生活。ブランチ、ハイティ、夜ごはんという3食、結局は朝ごはん、昼ごはん、夕ごはんと3食食べているのと同じことに思えるのですが、3時ごろ食べるものはどうしても食事というよりおやつという感覚です。3月27日土曜日のハイティは、ひとりでテレビを見ながら、「ナッツクッキーと、タイみやげの固形トムヤムクンスープの素でコンニャクを煮たもの」という自分でもおかしな組み合わせと思うメニューだったのですが、これも一食食べたという感じにはならず、おやつ。

 夜のご飯は8時~9時ごろです。娘の生活リズムで、7時頃からテレビを横目で見ながら作りはじめ、ゴールデンアワーに好きなテレビ番組を見ながら食べたい、という。
 日曜日なら、「ダーウィンが来た」という動物番組を見ながら作って、「龍馬伝」を見ながら食べる、という具合。1月~3月の月曜日、9時からのゴールデンアワーのドラマ『コードブルー』では、緊急手術シーンとか災害救助シーンでは、「血を見るとごはん食べられなくなるから」と目をつぶってしまうこともあり、「そんなくらいなら9時からのテレビ見ながら食べる」という方針を変えたらいいのに、娘は「みんなでワイワイしゃべりながら食べながらテレビ見るのが好き」と言うのです。救助シーンで目をつぶってはらはらしながら「あの人、助かるよね、助かってほしいなあ」なんて言いながら、口にぱくっとご飯を放り込む、そんな「消費される日常」がわれらの生活なので。

 今年の元旦。「書き留めるだけダイエット」をしようと思い立ち、食べたものをを書き留めることにしたのですが、たった一日だけの記録であとはなし崩し、、、、
 毎日のメニューを書き留めておくことで「あ、昨日はちょっと食べ過ぎたから今日は節制しておこう」という気分が生まれて、ダイエットできる、と、岡田斗司夫が『いつまでもデブと思うなよ』に書いてあったのを実践しようと思ったのですが、作る人にとっては自己表現ともなるメニュー記録、食べるだけの人が書き留めるのは案外たいへんなのだとわかりました。食べることの情熱に比べると、メニュー記録は強い意志がないと続かない。

<つづく>
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2010年04月20日


ぽかぽか春庭「いつまでもデブと思う、、、、よ」
2010/04/20
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ごはん食べた?(7)いつまでもデブと思う、、、よ

 我が家のメインディナーは、主菜一品を娘が調理し、副菜は生協から配達してもらう市販品のおかず、というのが基本です。メニューの中、(生協)と書いてあるのは、この出来合いおかずです。生協品の漬け物やサラダを並べたり、副菜類を袋から出してチンして盛りつける係は息子。春休み中は私が調理することもありましたので、メニューを書き留める気分も出てきました。3月下旬からのメニューを書いておきます。

 夜遅い夕食なので、私はデザートを省略することもある。娘と息子は私が寝たあとに夜食としてデザートを食べています。有名パティシエのケーキ、なんていうときは、我慢できないからつい食べてしまいますけれど、今年の目標は「デザートは我慢」です。おやつはたいてい毎日食べているけれど、食べていないつもりにしているので、書かない。見て見ぬふりってところです。
 調理者の名が書いてないのは私が作ったもの、娘担当のときは(娘)と書いてあります。(生協)とあるときは、息子が袋から出してそのままお皿に出したりチンしたりして並べた物。

3月22日(月)ブランチ:キャベツ蒸し煮 長崎角煮まんじゅう(冷凍品を解凍してチン。K子さんから届いたもの) 夜:ごはん、豚汁(豚肉鶏肉大根人参ジャガ芋キャベツ葱こんにゃく豆腐油揚げ)、肉巻きチーズ(チーズを鶏肉で巻き、その上から豚肉薄切りで巻く。油で焼き付けて周囲を固めたあと蒸し煮)、トリ煮物(鶏胸肉と生姜を微塵切りにして油揚げに詰めて煮た)、(生協)蕪の甘酢漬

3月23日(火)ブランチ:チーズトースト 夜:(娘)生ラーメン(チャーシュー、メンマ、ノリ)、かに玉甘酢あんかけ、(生協)チーズはんぺん

3月24日(水)ブランチ:トースト&コロッケ(近くのスーパーの揚げ物コーナーの男爵&牛挽コロッケ) 夜:(娘)バラちらし寿司(鯛・いくら・まぐろ・ほたて・卵)、(生協)玉こんにゃく醤油煮、(生協)春野菜漬け物、お吸い物(小袋の粉をお湯で溶く「松茸風味吸い物」)

3月25日(木)ブランチ:煮込みうどん(豚肉人参キャベツ市販品つゆ)夜:(娘)ごはん、もやし鳥肉炒め物、(生協)冷や奴と湯葉、(生協)キュウリぬか漬け、デザート:(生協)心斎橋チーズロールケーキ(大阪のパティスリーセイロワンスタージュの直経8cm、長さ12cmくらいを3人で分けた。パティシエの西園誠一郎さんは、1981年バレンタインデー生まれ29歳という若くてイケメンの関西では有名な人なんですと。「デザートは我慢」のつもりが我慢できなくなってしまうではないか)

3月26日(金)ブランチ:もやしキャベツ蒸し煮、チンしたジャガイモのマヨネーズ和え 夜(スパゲティ屋でダンスサークル仲間と食事)老醤(ラオジャン)スパゲティ(ラオジャンというピリ辛の調味料が入ったクリームソース、アスパラガスと小エビのスパゲティ)

3月27日(土)ブランチ:(娘)トマトと豆のペンネ(缶詰のうずら豆、大豆、ひよこ豆を利用) おやつ:クッキー 夜(娘)ご飯、刺身(生協品刺身セットを解凍。まぐろ、サーモン烏賊巻き、ホタテ、えんがわ、海老)、(生協)白菜漬け物、(生協)桜豆腐(ほんのりピンクの豆腐の真ん中に桜の塩漬けが載っていた)、デザート:(生協)エクレア

3月28日(日)ブランチ:塩ラーメン(人参、わかめ、卵)おやつ:羊羹、クッキー 夜:(娘)玉葱ごぼう春雨牛肉の炒め煮、(生協)ポテトサラダ、(生協)チーズかまぼこ、デザート:チョコクッキー(台湾土産としてもらったのだけれどポーランド製)

3月29(月)ブランチ:ジャガイモチーズ焼き(チンしたジャガイモに味噌マヨネーズをかけてスライスチーズをのせてオーブントースターで焼いたもの) ハイティ:カップラーメン(生協、沖縄そば) 夜:(娘)カレーうどん、(生協)揚げ出し豆腐、(生協)長いもの梅酢漬け デザート:(生協)富良野雪解けチーズケーキ(富良野市菓子司新谷)

3月30日(火)昼:コロッケパン(近所のパン屋カンパネルラ製) おやつ:カシューナッツ1袋120g 夜:(娘)ごはん、小エビのオーロラソース和え、ゆでキャベツハーブレモンソース和え(生協)チーズはんぺん、鶏肉ハンバーグ、(スーパー市販品)春巻き デザート:いちご(とちおとめ小粒)ヨーグルト&メープルシロップ

3月31日(水)昼:チーズトースト(8枚切りの1枚) おやつ:おせんべい、クッキー 夜:(娘)生ラーメン(チャーシュー、コーン、のり)、大根サラダ(胡麻油醤油)、椎茸チーズ焼き

<つづく>
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2010年04月23日


ぽかぽか春庭「タケノコ生活」
2010/04/23
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ごはん食べた?(8)タケノコ生活

 4月6日に大きな筍を買いました。忙しい毎日の夕食では「筍水煮」を買って済ませることが多くなり、皮付きを久しぶりに買いました。娘が調理担当になってから野菜類は煮物が減り、サラダ系が多くなりましたから、筍の煮物も家では作らなくなったのです。私はたまに食べたくなると、おやつ用としてスーパーの出来合い土佐煮を買っていました。

 久しぶりに筍の皮をむくので、息子に「筍生活」という言葉の意味を知っているか尋ねると、案の定知らないという。そこで、皮を何枚か剥かせてみた。「このように着ている着物を一枚一枚はがして質入れしたり家の中のものを売って食いつなぐ貧しい暮らしがタケノコ生活」と教えたけれど、「蜘蛛の子を散らすよう」とか「虱潰しに探す」とかと同じように、シラミも筍の皮を剥くこともトンと生活の中に無くなってしまい、これらの比喩も死語になっていくのでしょう。私だって、蜘蛛の子が巣から四方八方に散るのを現場で見たのは一度だけです。

 筍を買うに当たって、ハタと困ったことに、「筍は米のとぎ汁でまたは糠をひとつかみ入れてウデる」という母の教え。「ウデる」は、母の言葉で「ゆでる」のこと。米糠は筍のえぐみを取るために必要なのですが、うちのお米は無洗米。糠がついていません。それで、筍といっしょに糠漬け用の糠を一袋買いました。筍を煮るのに使った残りは糠床を作ってキュウリでもつけようと思うけれど、たぶん、ぬか漬けはいい味の糠床が仕上がるまでに手入れが悪くて捨てることになるのがオチ。
 
 筍は、ゆでたあと冷めるまで糠入りのまま鍋においておくって手間をおかずに、すぐに湯から引き上げて煮てしまったためにエグ味が残ってしまい、娘も息子も食べてくれません。ひとりで一鍋分あった筍、全部食べました。3食たけのこ。こういうのも「たけのこ生活」?

 我が家の献立メモ4月上旬。
4月1日(木)昼:スクランブルエッグ トースト おやつ:クッキー、煎餅、ゆでキャベツ 夜(娘)ビビンバ(牛肉、もやし、菜、人参、ゼンマイ他)キャベツコーンミニトマトサラダ お吸い物

4月2日(金)昼:ビビンバ(夕べの残り) 夜:ステーキ、ポテトソーセージ

4月3日(土)朝:おじや(たけのこ、椎茸、人参、鶏肉)昼:(留学生とのお花見ピックニックに、教師として自作お弁当をみなにふるまいました)五目寿司(いくら、サヤエンドウ、卵、人参、筍、椎茸、鶏肉、油揚げ)、鶏と椎茸のコチジャン焼き、大根キャベツ浅漬け ツナサンドイッチ おやつ:卵焼き おにぎり 夜:(娘)海鮮丼(いくら、鮪、ウニ)、揚げ出し豆腐、大根とキャベツの浅漬け

4月4日(日)朝:卵雑炊 昼:花見弁当(飛鳥山公園前ほかほか亭ひとつ500円。キンキン司会のアドマチックで紹介されていたので買ってみましたが、まあ、味はそこらのホカ弁屋とかわりません。醤油味のご飯の上にピンクの桜花びらのはんぺんと錦糸卵がのっているほかは、コンビニ弁当のおかずと変わりなし。海老フライ。肉より衣が大きい鶏唐揚げ、煮物蓮根人参がんもどきひとつずつ、肉団子、枝豆3つ) 夜:ホワイトシチュー(牛肉、じゃがいも、人参、大根) キャベツ漬け物

4月5日(月)昼:ホワイトシチュー残り 夜:(娘)生ラーメン(メンマ、(生協)豚角煮 牛肉細切り(シチューで煮たのをほぐしておいたもの)(生協)蕪漬け物 (生協)冷や奴(商品名・波乗りジョニー)

4月6日(火)ブランチ:雑炊(ごはん、人参、椎茸、油揚げ) ハイティ:筍姫皮サラダ 煎餅&クッキー 夜:(娘)ソテー盛り合わせ(チキンソテー 豚肉ワイン漬け焼きはんぺんチーズ ニラ饅頭) ほうれん草とベーコン炒め物 筍土佐煮 

4月7日(水)朝:バナナ ほうれん草ベーコン炒め(夕食のこり) 昼:(椿山荘)さくら御膳(桜エビのかき揚げ 蕗の薹とタラの芽の天ぷら)胡麻豆腐 柴漬け 味噌汁 羊羹) 夜:(娘)刺身(まぐろ ほたて)(姑からのお持たせ)南瓜煮物 ひじき炒め煮 筍土佐煮(私だけ食べた) デザート(コージーコーナー)4種チーズのチーズケーキ

4月8日(木)朝:焼き芋三分の一(姑が自慢の「石焼き芋と同じ仕組みでおいしく芋が焼ける鍋」を使って焼いたもの)昼:キャベツ味噌汁 おやつ:マコロン クッキー 椎茸チーズ焼き 夜:(娘)ごはん もやしと豚肉の炒め物 大根とキュウリの浅漬け 

4月9日(金)朝:バナナ(夕食残りもの)もやしと豚肉の炒め物 昼:(上野駅構内イタリアンの店レモネッロ)前菜・牛肉煮込みソーススパゲティ・ベリータルト、コーヒー 夜:(生協)チャーハン (生協)揚げ出し豆腐 (生協)グリーンサラダ

4月10日(土)ブランチ:日清チキンラーメン 卵  おやつ 饅頭(あんこ)ひとつ 煎餅3枚 夜:(娘)海鮮丼(まぐろ サーモン いくら トビッコ 卵)(生協)白菜漬け物 (生協)胡麻豆腐 デザート:(生協)チーズケーキ

<つづく>
07:30 コメント(4) ページのトップへ
2010年04月24日


ぽかぽか春庭「ボナペティ」
2010/04/24
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ごはん食べた?(9)ボナペティ

 4月7日に見た映画2本立ての1本は「ココとイゴール」。ブランコシリーズで紹介しました。もう1本は「ジュリアとジュリー」という映画でした。
 ジュリアとは、アメリカの家庭料理にフランス料理を取り入れたテレビ料理番組の有名料理家ジュリア・チャイルドです。

 メリル・ストリープは、料理好きアメリカ人の記憶に残っているジュリアの印象を再現し、「役になりきっていながらメリルの個性はそのまま」というメリル式演技で、16回目のアカデミー主演女優賞ノミネート。オスカーはのがしたけれど、ゴールデングローブ賞は6回目の受賞を果たしました。
2003年にキャサリン・ヘプバーンが亡くなったあとは、私にとって「特にファンと思っているわけではないのに、どうしてもその出演作を見て、演技を見ておきたくなる女優」のNo.1です。こういうのを隠れファンと言うのかも。

 さて、ジュリア・チャイルドは、40歳近くなってから結婚し、子供には恵まれなかったけれど、夫とはラブラブです。夫のパリ転勤でパリとフランス料理が大好きになり、ル・コルドン・ブルーの料理学校に入ったことから、料理教室講師、料理本執筆、テレビ料理番組出演と人生を広げていきました。食べることが大好き。好きなことを極めたいから料理に夢中になり、料理を通して自分の生きる道を探っていきます。
 ボナペティ(Bon Appetit)は、フランス語で「おいしく召し上がれ」(原義は「よい食欲を!」)です。
 ジュリアがテレビ番組で家庭向けのフランス料理を作った後、「ボナペティ」と言うのがシメになっていました。

 ジュリアの料理本出版から40年後のニューヨーク。
 ジュリーは作家になるという若い頃の夢をあきらめ、政府機関の職員として働いています。ジュリーの仕事は、9・11の衝撃から立ち直れない人々への電話相談係。本当に悩みを抱えて電話してくる人もいるけれど、単なる鬱憤晴らしに電話係を攻撃してくる人もいる。仕事のストレスが大きくなる中、知り合いのブログが出版のチャンスを得たことを知り、ジュリーもブログを書き始めます。ブログのテーマは「ジュリア・チャイルドのフランス料理レシピ524を365日で作る記録」
 夫は、ジュリーのブログにもクッキングにも協力的でした。最初のうちは。

 書き続けるうち、ジュリーは読者が増えていく喜びを知り、コメントに一喜一憂します。ブログに熱中するあまり夫との仲違いも経験し、料理雑誌記者に料理を振る舞おうと欠勤したことがばれる結果にもなりました。このときは「寛大な上司」という評判を得たい上役だったので、危うくセーフ。
 ブログが新聞に取り上げられ、ジュリーは念願の作家デビューを果たしました。ブログが本になり映画にもなりました。その映画が『ジュリア&ジュリー』

 さて、この「ご飯食べた?」シリーズも、ジュリアの決まり文句でシメましょう。「ボナペティ、よい食欲を!」
 「女と料理」話の次は「女と掃除」話です。

<おわり>
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