2010/03/01
ぽかぽか春庭十人十色日記3月>災害(1)大雨洪水
テレビに臨時ニュースのテロップが出た。南米で大きな地震が起きたという。南米じゃ、地球の裏側だし、ここまで揺れることはないだろうに、と、遠い地震をよそ事だと思っていたら、この地震の余波が太平洋を横断して、日本にも津波を起こすおそれがあるのだという。チリでは400人もの死者を出したという地震による津波。はたして28日には、日本に津波が来たというニュース。大津波警報も出ました。
地球の裏側から伝わって、1mの津波が日本の浜辺に押し寄せました。どれほど大きなエネルギーなのだろうと思います。海辺にいた人には避難勧告も出て、たいへんだったでしょうけれど、十分に備えをする時間があったろうから、今のところ人的被害の報告はなし。津波によって市街が水浸しになった地区もあるそうで、被害にあった方々にはお見舞い申し上げます。それにしても。
遠くの地震より、我が家の水被害。津波が日本の海岸に届く前に、我が家への災害が何の前触れもなく大惨事となって押し寄せ、パニックになりました。部屋のなかに大雨が降り、洪水となりました。
集合住宅ではありふれた災害である「水漏れ事故」が上階の住人によって引き起こされ、深夜の1時から5時まで、部屋の天井全体から大雨が降りつづきました。
家中のバケツ鍋釜を水受けに使い、タオル、毛布、布団を部屋に敷き詰めて下の階までは水が行かないようにしたのだけれど、我が家の下の階にまで水は伝わり水漏れが及びました。どれほど大量の水が出たのか。
もとより部屋中に書類、本、服、その他もろもろ散乱していた汚部屋であるけれど、急激な天井からの漏水に、おおかたのものは水びたしになってしまいました。
水が落ち始めてすぐに上階のドアをたたいたけれど、反応なし。団地の緊急連絡電話に連絡して、玄関脇にある水道元栓を閉めることが先決というので、あわてて上階の部屋の水道元栓をしめましたが、すでにそれまでに大量の水が10階の床から9階の天井へ落ちてしまいました。集合住宅の悲しいところ。上階の床は我が部屋の天井とコンクリ何センチ。
1時半から2時ころまでドアをたたき続けて、ようやく起きてきた上階住人は、洗面台の水道栓を閉め忘れて、寝込んでしまったとの弁。私がいくら激しくドアをたたいても、起きてこなかったのは、お酒を飲んでいて寝入っていたからみたい。起きてきたときも酒臭かった。(個人情報の問題が起きて以後、団地内住人電話帳は廃止され、上階の人が引っ越しても挨拶もしなくなって久しいので、電話番号は知らなかった)
上階の住人は、本人の弁によれば、子供は独立し妻とは離婚したあとの一人暮らしという。一人暮らしの人こそ、火災や水漏れに細心の注意を払うべきだと思うけれど、そんなことは一人一人の心がけだから、こちらがあとからどう言っても遅い。団地災害の保険にも入っていないという。
ノートパソコンやいくらかの本はベランダに出したけれど、ディスクトップパソコンやプリンターは移動する間もなく、水濡れ。ものの移動をするより、下の階に水が落ちないようにする方を優先したので、広辞苑も大漢和も水浸しになった。
服も布団も水びたしになった被害についてより、自分自身の気持ちの落ち込みが強かった。平静な日常生活を送り続けることは、貴重なものだとわかって暮らしていても、いざ、自分が災害に遭ってみると、どうして私にこのような災難がふりかかってくるのか、ささやかにまじめに生きてきて、なぜ私ばかりがこのようなめにあわされてしまうのか、部屋を片づける気もおきず、うなだれているばかり。
ようやく気持ちのリハビリとして、助かったノートパソコンをあけた。私にとって、パソコンで文字を打ち出しているのが一番の「日常生活」なのだとよくわかる。
少し落ち着いて、濡れた衣類や防水に使ったタオル類などの洗濯にかかったけれど、あいにくの雨天。干すところもない。また気分が落ち込む。下着などの洗濯は頼めないけれど、タオル類なら人様に頼んでもいいかと、上階のオッサンが「コインランドリーで洗濯してくる」と申し出てきたので、頼んだ。何度も「申し訳ない」と謝るのだけれど、謝られても、気分は晴れない。
部屋の畳が水浸しなので、時間がたつにつれ悪臭がただよって、汚部屋度UPです。畳屋が見積もりのために来るというのだけれど。憂鬱度増すばかり。
<つづく>
06:07 コメント(6) ページのトップへ
2010年03月02日
2010/03/31
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>プレ復活祭春のことば(4)ブランコ
え~、3月末のコラムでは殊勝げに『自分もいつかは誰かに「ほっと一息」つけるような安心した気分を味わえる温かいお茶の一服のような文章を書くことができるよう文章修行を続ける」なんて書いたのですが、これは、復活祭向けのアドバルーンというか、確かに、「施無畏」という語を見て、気持ちとしては殊勝な気分であったのです。しかしながら、自分の資質というのもを考えると、これは己を知らぬことばでありました。
私のキャラというものを冷静に見れば、私の書く文は、「毒を含む知ったかぶり」で言いたい放題しゃべり倒すのが持ち味なのですから、「ほっこり温かい気分になれる文章」は、その資質を持った方におまかせしたほうがよさそうです。
鋭いとげや毒を含んでしかも人を傷つけないというのも文の芸の中では高度な芸と思うのですが、まだまだ未熟な春庭の文では、きわどい毒を含もうとすると人を攻撃したり傷つけたりしてしまう恐れがあるので、毒といっても「寸鉄人を刺す」ような切れ味ではなく、ぼよよ~ん、どんよりと「腹ぐあいがおかしい」程度の毒です。
さて、2009年に中国赴任から帰ってきて、どうも頭痛や腹痛など微弱ではあっても不調が続き、これまでそのような不調知らずで「元気なだけがとりえ」と思ってきた身にはにわかに不安がつのり、脳波MRIとか、眼底検査とかいろんな検査を受けてきました。昨日30日には腹部音波検査というのをやりました。
検査結果のお達しでは。脾臓腎臓など、すべて異常はありませんが、肝臓が「脂肪肝」です。はい、これは音波検査をやらなくても、すでに血液検査で指摘されてきたことでした。悪玉コレストロールがたまり、肝臓の周りは真っ白く脂肪でおおわれているようすが音波でもはっきりとわかるのだそうです。ぐすん。要は、脂っこいもの甘い物の食べ過ぎです。
私がほっこりしに行く何軒かの「ウェブご近所さん」。勝手に私がご近所と思っているだけなんですけれど、年齢が同年代だと思えたり、本の好みが似ていたりする方々のサイトを毎日一回りしています。sumitomoさんの日記、さりげない日常と愉快な川柳や俳句の文章を楽しみに寄らせていただいてます。
3月30日のsumitomoさんのコラムでは季語「鞦韆しゅうせん」についてで、「鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし」という三橋鷹女(本名たか子)の句が紹介されていました。口語を生かした現代俳句として国語教科書にも記載されている句のひとつが「鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし」です。ぶらんこを高く高くこぎ上げるときの高揚感開放感と、既婚か恋人のある人なのかわからないけれど、すんなりとは愛をはぐくめないであろう人を我がものとしたいという恋愛の情熱とが、春の空に向かって上がり下がりまた上がる気分を彷彿とさせます。
さて、sumitomoさんは、「なぜ鞦韆は春の季語なのか」とおたずねなので、ここはひとつ知ったかぶりを発揮したいと思います。これが私の持ち味なので。
では、明日4月1日より、「なぜ鞦韆は春の季語なのか」へのお答えからスタートします。温かくなったりまた急に真冬並みの寒さに戻ったり、それにつれてこちらの気分もあがったり下がったりが続きました。春庭コラムを読んで、「ほっこり温かい気分」にならずに、とげとげしい気分になったりうんざりしたり、寒々としたり、まあ、いろいろあっても、「いろいろあらーな」がこのコラムの目的のひとつです。
ブランコも上がったと思ったら下がったり、また上がって下がる、そんな日常を繰り返しながら、3月もおひらきです。あ~あ、片付けがたいへんな月でした。
<おわり>
ぽかぽか春庭「洪水のあと」
2010/03/02
ぽかぽか春庭十人十色日記3月>災害(2)洪水のあと
10階住人の水漏れ事故により、9階の我が家はもちろん、その下の8階まで水害が及びました。8階の部屋の人は、「留守中に電話機の上に水が垂れたので、電話機がこわれた」と、我が家に電話してきた。「文句は10階に言ってほしい」と、伝えたけれど、我が家は電話機どころか、パソコンプリンタ本服布団が濡れた。
畳もびしょぬれだから、畳替えもしなければならないけれど、そうなると引っ越し並の荷物の移動が必要となる。部屋の中は、大量の本で埋まっている。濡れた本など捨てたらいいように思うだろうけれど、貴重な専門書類は、ページがよれよれになったとしても捨てる気にはなれない。この本、5千円もしたのに。ぐすん。ま、多くは百円本なんですけどね。
気持ちのリハビリのためには毎日更新するという「私の日常」を続けたほうがいいと思うのだけれど、3月中、しばし更新不定期となります。
お見舞いのことば、ありがとうございます。
チリやハイチの地震その他もっとたいへんな災害にあっている人もいるなか、水濡れぐらいで落ち込んではならじと思うものの、目の前の惨状にただイヤになるばかり。
でも、片づけをせねばなるまい。
<つづく>
00:33 コメント(7) ページのトップへ
2010年03月10日
ぽかぽか春庭「捨てる」
2010/03/10
ぽかぽか春庭十人十色日記03月>災害(3)捨てる
27日の深夜1時から5時まで部屋に落ちた漏水。具合が悪くなって、27日と28日は寝ていました。3月1日と2日は、病院へ。3日、4日にものの移動と廃棄。
3月3日に畳の寸法取りというのがありました。畳なんて、団地規格の既製品なのだと思っていたのですが、ひとつひとつの部屋の寸法がそれぞれ微妙に違うので、部屋にぴったり合わせて敷き詰めるには、きちんと寸法を測らなければならないのだそうです。
部屋のものを運び出さずに畳をすべて入れ替えるというのは、引っ越し以上にたいへんなのだということがわかりました。
3月8日に新しい畳が入り、さてそのあともステル捨てるすてる。古い演劇やバレエ公演のパンフレットとか、駄本の類。そんなもの後生大事にとっておいてと言われるようなものばかり、狭い部屋に詰め込まれていました。なんだか捨てがたくて大事にしてきたものも多いけれど、田舎のお屋敷で倉が並んでいるとか、納戸や物置がたくさんあるとかならともかく、都会の団地暮らしではそうもいきません。そうもいかないのに、無理矢理詰め込んでおいたから、いざ漏水事故にあったら、悲惨の極みでした。
人は十人十色、「向き不向き」があり「好き不好き」がある。「不好き」という語、私はこれまで使ったことはなかった。が、辞書にはあるのでフィネガンズウェイクの翻訳に使ったと、柳瀬尚紀が書いていたので、まねして使ってみました。「不好き」について書かれていた柳瀬の『広辞苑を読む』も水にうたれて廃棄処分。
私の「不好き」の第一番は掃除と片づけ事です。整理整頓ということがまるでできない。これは私の短所の一つであることは重々承知なのですが、お茶碗洗いや洗濯はイヤではなく、きれいにするのが嫌いというわけでない。茶碗洗いや洗濯は一ヶ所にじっとしてできるので、「ぼうっとしている時間」を過ごせる。茶碗を洗いながら水を出したり止めたりしていても、頭はぼうっとしたり考え事をしたりできる。でも片づけ事は物を移動したり自分も移動するから、なかなかぼうっとできないのだが、それでもぼうっとしながら片づけるから、たいてい片づけたはずのものをどこにしまったのか記憶になくて、一年中さがしものをするハメになる。だから、片づけないで出しっぱなしのほうが、捜し物が減る。
せっせと捨てていかないと、住み続けるうちに部屋はたちまちゴミ箱状態に。
で、ここ15年以上は片づけを放棄して部屋中、物で埋まるに任せていたのだけれど、これでもなんとか暮らしていた。でもそれらが全部水浸しになり、捨てなければならなくなって、ただもうイヤで厭で、、、。足の踏み場もなく本、服、その他もろもろ散乱していた部屋に雨が降り注いだ惨状については報告してありましたが、足跡ご挨拶に「足の踏み場は確保しとけと言う天の啓示です そうに決まってる ニコッ」と、あったので、そう思うことにしました。部屋を片づけなさいという啓示であったのでしょう。それから、片づけの日々が続きました。もとより大嫌いなことだから、遅々として進まなかったですけれど。
片づけられない人というのは、捨てられない人でもあるのです。たとえば、服、2シーズン着なかった服は捨てろ、というのが片づけ整頓名人の言葉であることは承知しているのです。しかし、これは裁縫好きの伯母が縫ってくれた服、これは姑からプレゼントされたコートなのでもう着られないけれど義理でとっておいたもの、というふうになかなか捨ててしまうことができずにいました。思い出の服を、何か別のものに作り替えることができるかも、と未練でとっておいたものも多い。昔はリサイクルで子供の服に作り替えたこともしたけれど、今は洋裁も手芸もとんとご無沙汰。もったいない精神だけが残っているので、いらないものが貯まるたまる。
2002年に姉が亡くなったとき、衣装道楽だった姉の服のうち、ブランドものだとかは姪達が引き取ったのですが、地味めの服は私にまわってきました。「これ、すごく高級な布地を買ってきて仕立ててもらったものだから、捨てるに惜しい。おばちゃん、着られたら、着てね」なんて言われて「もうちょっとやせたらウエストが入るかも」と思ってとっておいたのとか、結局一度も着ないで捨てることに。狭い部屋のタンスをふさいだだけの服ということになるのか。いや、姉が亡くなってすぐにその場でどんどん姉の服を捨ててしまったら、寂しく思っただろうから、何年かタンスにしまって置いた意味はあったのだ、と思うことにしました。
濡れた本はダスターシュートへ。濡れなかった本もかなり捨てました。「いつか参考にすることがあるに違いない」と思ってとっておいたり、「この専門書9000円だったのを、無理して買ったんだっけ」とか、思い入れのある本も多かったのですが、必要なときは、ネットで探せば必ず買えると自分におまじないをかけて、捨てました。絶版になっているような希少本や、論文紀要など、捨てるに躊躇するものもありましたが、捨てるのもタイミングってもんでしょう。「縁があったら、またいつか会える」と思って、団地の段ボール新聞紙本雑誌のリサイクル置き場へ。
狭い団地の一室によくもこれほど物が詰まっていたもんだ、と思います。留学生の作文とか、捨てがたいものも多い。作文の誤用分析などいつできるかわからないのですが、捨てようとしてまたしまい込む紙類も多かった。でも、友人の論文コピーなんてのも思い切って捨てる。すてる。
あと2週間くらいは、捨てる捨てるすてる生活。
これまでに本を段ボール箱10箱以上、古着を45リットルの東京都指定ゴミ袋に10袋以上捨てました。古着など余裕があるときにリサイクル処理をしておけばよかったのに、今は余裕がないから、ただ捨てるだけ。
ようやく半分くらいは片づきました。あと半分、また捨てるステルすてる生活。月末までにはなんとか人間らしい住みかにしたいです。それまではしばし、更新お休みします。
<つづく>
19:40 コメント(13) ページのトップへ
2010年03月18日
ぽかぽか春庭「復活までもうちょっと」
2010/03/18
ぽかぽか春庭十人十色日記03月>災害(4)復活までもうちょっと
上階からの漏水事故の後始末、3週間かかってようやくなんとか足の踏み場も見えるようになってきました。お見舞いや励ましの言葉をお寄せいただきありがとうございます。
捨てても捨てても、まだまだ山積みの紙、本、衣類。これまでゴミ屋敷のままに放置してきた自分が悪いのですけれど。十年前の学生の授業感想文とか、あとからあとから出てきます。押入の奥に詰め込んだあと上に積み重ねてしまうと、もう下に何があるかわからなくなって、そのままにしてきたので、別段読み返すこともないものがやたらに詰め込まれていました。災難だったとはいえ、片づけなさいという天の声としてよい機会になったと思っています。
思いはすれど、大嫌いな整理整頓片づけ事ですから、さっぱりはかどりません。
なかなか片づかない第一の理由は、嫌いなことをしなければならない自分自身の憂鬱気分によるものです。3月中はずっと「ふさぎの虫」にとりつかれていました。カタカナ言葉で言うならメランコリー、心理用語なら鬱、、、、果てしない落ち込み気分。これがずっと続くなら鬱病へと深みに陥るところでしょう。ストレス解消の甘い物ドカ喰いも禁じられているので、なかなか気分が晴れませんが、幸いなことに南の方から桜咲くニュースも伝わってきたし、少しは気分もぬくまった気分。
一日ひとつでも整理できたらよしとして、少しずつ、ほんとうに少しずつやっています。たぶん、片づけ名人なら一日でこなすことを1ヶ月かかってのろのろ進む。でも、しゃかりきにがんばるばかりではない、人生停滞時期もあってよい、と、自分を甘やかしています。あと一息というところまできているのですが、その一息にあと一ヶ月くらいかかりそうではあります。
カフェコラムも気力減退ゆえに「毎日更新」というのを今月はお休みしていますけれど、桜咲いたらまた毎日更新をしていきます。私にとっては書くことは生きること。別段毎日更新しなくても誰も気にとめないのだけれど、自分自身、さて、あったかくなったら冬ごもりから抜け出して蘇生しなくちゃなあと思うのです。
私は「仏教系汎神論者」なので、キリスト教の復活祭も私のお祭り。復活祭(イースター)は、春分の日(3/21)以降の満月の次の日曜ということで、2010年の復活祭は4月4日らしい。
私もそのころには復活しますので。
<おわり>
ぽかぽか春庭十人十色日記3月>災害(1)大雨洪水
テレビに臨時ニュースのテロップが出た。南米で大きな地震が起きたという。南米じゃ、地球の裏側だし、ここまで揺れることはないだろうに、と、遠い地震をよそ事だと思っていたら、この地震の余波が太平洋を横断して、日本にも津波を起こすおそれがあるのだという。チリでは400人もの死者を出したという地震による津波。はたして28日には、日本に津波が来たというニュース。大津波警報も出ました。
地球の裏側から伝わって、1mの津波が日本の浜辺に押し寄せました。どれほど大きなエネルギーなのだろうと思います。海辺にいた人には避難勧告も出て、たいへんだったでしょうけれど、十分に備えをする時間があったろうから、今のところ人的被害の報告はなし。津波によって市街が水浸しになった地区もあるそうで、被害にあった方々にはお見舞い申し上げます。それにしても。
遠くの地震より、我が家の水被害。津波が日本の海岸に届く前に、我が家への災害が何の前触れもなく大惨事となって押し寄せ、パニックになりました。部屋のなかに大雨が降り、洪水となりました。
集合住宅ではありふれた災害である「水漏れ事故」が上階の住人によって引き起こされ、深夜の1時から5時まで、部屋の天井全体から大雨が降りつづきました。
家中のバケツ鍋釜を水受けに使い、タオル、毛布、布団を部屋に敷き詰めて下の階までは水が行かないようにしたのだけれど、我が家の下の階にまで水は伝わり水漏れが及びました。どれほど大量の水が出たのか。
もとより部屋中に書類、本、服、その他もろもろ散乱していた汚部屋であるけれど、急激な天井からの漏水に、おおかたのものは水びたしになってしまいました。
水が落ち始めてすぐに上階のドアをたたいたけれど、反応なし。団地の緊急連絡電話に連絡して、玄関脇にある水道元栓を閉めることが先決というので、あわてて上階の部屋の水道元栓をしめましたが、すでにそれまでに大量の水が10階の床から9階の天井へ落ちてしまいました。集合住宅の悲しいところ。上階の床は我が部屋の天井とコンクリ何センチ。
1時半から2時ころまでドアをたたき続けて、ようやく起きてきた上階住人は、洗面台の水道栓を閉め忘れて、寝込んでしまったとの弁。私がいくら激しくドアをたたいても、起きてこなかったのは、お酒を飲んでいて寝入っていたからみたい。起きてきたときも酒臭かった。(個人情報の問題が起きて以後、団地内住人電話帳は廃止され、上階の人が引っ越しても挨拶もしなくなって久しいので、電話番号は知らなかった)
上階の住人は、本人の弁によれば、子供は独立し妻とは離婚したあとの一人暮らしという。一人暮らしの人こそ、火災や水漏れに細心の注意を払うべきだと思うけれど、そんなことは一人一人の心がけだから、こちらがあとからどう言っても遅い。団地災害の保険にも入っていないという。
ノートパソコンやいくらかの本はベランダに出したけれど、ディスクトップパソコンやプリンターは移動する間もなく、水濡れ。ものの移動をするより、下の階に水が落ちないようにする方を優先したので、広辞苑も大漢和も水浸しになった。
服も布団も水びたしになった被害についてより、自分自身の気持ちの落ち込みが強かった。平静な日常生活を送り続けることは、貴重なものだとわかって暮らしていても、いざ、自分が災害に遭ってみると、どうして私にこのような災難がふりかかってくるのか、ささやかにまじめに生きてきて、なぜ私ばかりがこのようなめにあわされてしまうのか、部屋を片づける気もおきず、うなだれているばかり。
ようやく気持ちのリハビリとして、助かったノートパソコンをあけた。私にとって、パソコンで文字を打ち出しているのが一番の「日常生活」なのだとよくわかる。
少し落ち着いて、濡れた衣類や防水に使ったタオル類などの洗濯にかかったけれど、あいにくの雨天。干すところもない。また気分が落ち込む。下着などの洗濯は頼めないけれど、タオル類なら人様に頼んでもいいかと、上階のオッサンが「コインランドリーで洗濯してくる」と申し出てきたので、頼んだ。何度も「申し訳ない」と謝るのだけれど、謝られても、気分は晴れない。
部屋の畳が水浸しなので、時間がたつにつれ悪臭がただよって、汚部屋度UPです。畳屋が見積もりのために来るというのだけれど。憂鬱度増すばかり。
<つづく>
06:07 コメント(6) ページのトップへ
2010年03月02日
2010/03/31
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>プレ復活祭春のことば(4)ブランコ
え~、3月末のコラムでは殊勝げに『自分もいつかは誰かに「ほっと一息」つけるような安心した気分を味わえる温かいお茶の一服のような文章を書くことができるよう文章修行を続ける」なんて書いたのですが、これは、復活祭向けのアドバルーンというか、確かに、「施無畏」という語を見て、気持ちとしては殊勝な気分であったのです。しかしながら、自分の資質というのもを考えると、これは己を知らぬことばでありました。
私のキャラというものを冷静に見れば、私の書く文は、「毒を含む知ったかぶり」で言いたい放題しゃべり倒すのが持ち味なのですから、「ほっこり温かい気分になれる文章」は、その資質を持った方におまかせしたほうがよさそうです。
鋭いとげや毒を含んでしかも人を傷つけないというのも文の芸の中では高度な芸と思うのですが、まだまだ未熟な春庭の文では、きわどい毒を含もうとすると人を攻撃したり傷つけたりしてしまう恐れがあるので、毒といっても「寸鉄人を刺す」ような切れ味ではなく、ぼよよ~ん、どんよりと「腹ぐあいがおかしい」程度の毒です。
さて、2009年に中国赴任から帰ってきて、どうも頭痛や腹痛など微弱ではあっても不調が続き、これまでそのような不調知らずで「元気なだけがとりえ」と思ってきた身にはにわかに不安がつのり、脳波MRIとか、眼底検査とかいろんな検査を受けてきました。昨日30日には腹部音波検査というのをやりました。
検査結果のお達しでは。脾臓腎臓など、すべて異常はありませんが、肝臓が「脂肪肝」です。はい、これは音波検査をやらなくても、すでに血液検査で指摘されてきたことでした。悪玉コレストロールがたまり、肝臓の周りは真っ白く脂肪でおおわれているようすが音波でもはっきりとわかるのだそうです。ぐすん。要は、脂っこいもの甘い物の食べ過ぎです。
私がほっこりしに行く何軒かの「ウェブご近所さん」。勝手に私がご近所と思っているだけなんですけれど、年齢が同年代だと思えたり、本の好みが似ていたりする方々のサイトを毎日一回りしています。sumitomoさんの日記、さりげない日常と愉快な川柳や俳句の文章を楽しみに寄らせていただいてます。
3月30日のsumitomoさんのコラムでは季語「鞦韆しゅうせん」についてで、「鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし」という三橋鷹女(本名たか子)の句が紹介されていました。口語を生かした現代俳句として国語教科書にも記載されている句のひとつが「鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし」です。ぶらんこを高く高くこぎ上げるときの高揚感開放感と、既婚か恋人のある人なのかわからないけれど、すんなりとは愛をはぐくめないであろう人を我がものとしたいという恋愛の情熱とが、春の空に向かって上がり下がりまた上がる気分を彷彿とさせます。
さて、sumitomoさんは、「なぜ鞦韆は春の季語なのか」とおたずねなので、ここはひとつ知ったかぶりを発揮したいと思います。これが私の持ち味なので。
では、明日4月1日より、「なぜ鞦韆は春の季語なのか」へのお答えからスタートします。温かくなったりまた急に真冬並みの寒さに戻ったり、それにつれてこちらの気分もあがったり下がったりが続きました。春庭コラムを読んで、「ほっこり温かい気分」にならずに、とげとげしい気分になったりうんざりしたり、寒々としたり、まあ、いろいろあっても、「いろいろあらーな」がこのコラムの目的のひとつです。
ブランコも上がったと思ったら下がったり、また上がって下がる、そんな日常を繰り返しながら、3月もおひらきです。あ~あ、片付けがたいへんな月でした。
<おわり>
ぽかぽか春庭「洪水のあと」
2010/03/02
ぽかぽか春庭十人十色日記3月>災害(2)洪水のあと
10階住人の水漏れ事故により、9階の我が家はもちろん、その下の8階まで水害が及びました。8階の部屋の人は、「留守中に電話機の上に水が垂れたので、電話機がこわれた」と、我が家に電話してきた。「文句は10階に言ってほしい」と、伝えたけれど、我が家は電話機どころか、パソコンプリンタ本服布団が濡れた。
畳もびしょぬれだから、畳替えもしなければならないけれど、そうなると引っ越し並の荷物の移動が必要となる。部屋の中は、大量の本で埋まっている。濡れた本など捨てたらいいように思うだろうけれど、貴重な専門書類は、ページがよれよれになったとしても捨てる気にはなれない。この本、5千円もしたのに。ぐすん。ま、多くは百円本なんですけどね。
気持ちのリハビリのためには毎日更新するという「私の日常」を続けたほうがいいと思うのだけれど、3月中、しばし更新不定期となります。
お見舞いのことば、ありがとうございます。
チリやハイチの地震その他もっとたいへんな災害にあっている人もいるなか、水濡れぐらいで落ち込んではならじと思うものの、目の前の惨状にただイヤになるばかり。
でも、片づけをせねばなるまい。
<つづく>
00:33 コメント(7) ページのトップへ
2010年03月10日
ぽかぽか春庭「捨てる」
2010/03/10
ぽかぽか春庭十人十色日記03月>災害(3)捨てる
27日の深夜1時から5時まで部屋に落ちた漏水。具合が悪くなって、27日と28日は寝ていました。3月1日と2日は、病院へ。3日、4日にものの移動と廃棄。
3月3日に畳の寸法取りというのがありました。畳なんて、団地規格の既製品なのだと思っていたのですが、ひとつひとつの部屋の寸法がそれぞれ微妙に違うので、部屋にぴったり合わせて敷き詰めるには、きちんと寸法を測らなければならないのだそうです。
部屋のものを運び出さずに畳をすべて入れ替えるというのは、引っ越し以上にたいへんなのだということがわかりました。
3月8日に新しい畳が入り、さてそのあともステル捨てるすてる。古い演劇やバレエ公演のパンフレットとか、駄本の類。そんなもの後生大事にとっておいてと言われるようなものばかり、狭い部屋に詰め込まれていました。なんだか捨てがたくて大事にしてきたものも多いけれど、田舎のお屋敷で倉が並んでいるとか、納戸や物置がたくさんあるとかならともかく、都会の団地暮らしではそうもいきません。そうもいかないのに、無理矢理詰め込んでおいたから、いざ漏水事故にあったら、悲惨の極みでした。
人は十人十色、「向き不向き」があり「好き不好き」がある。「不好き」という語、私はこれまで使ったことはなかった。が、辞書にはあるのでフィネガンズウェイクの翻訳に使ったと、柳瀬尚紀が書いていたので、まねして使ってみました。「不好き」について書かれていた柳瀬の『広辞苑を読む』も水にうたれて廃棄処分。
私の「不好き」の第一番は掃除と片づけ事です。整理整頓ということがまるでできない。これは私の短所の一つであることは重々承知なのですが、お茶碗洗いや洗濯はイヤではなく、きれいにするのが嫌いというわけでない。茶碗洗いや洗濯は一ヶ所にじっとしてできるので、「ぼうっとしている時間」を過ごせる。茶碗を洗いながら水を出したり止めたりしていても、頭はぼうっとしたり考え事をしたりできる。でも片づけ事は物を移動したり自分も移動するから、なかなかぼうっとできないのだが、それでもぼうっとしながら片づけるから、たいてい片づけたはずのものをどこにしまったのか記憶になくて、一年中さがしものをするハメになる。だから、片づけないで出しっぱなしのほうが、捜し物が減る。
せっせと捨てていかないと、住み続けるうちに部屋はたちまちゴミ箱状態に。
で、ここ15年以上は片づけを放棄して部屋中、物で埋まるに任せていたのだけれど、これでもなんとか暮らしていた。でもそれらが全部水浸しになり、捨てなければならなくなって、ただもうイヤで厭で、、、。足の踏み場もなく本、服、その他もろもろ散乱していた部屋に雨が降り注いだ惨状については報告してありましたが、足跡ご挨拶に「足の踏み場は確保しとけと言う天の啓示です そうに決まってる ニコッ」と、あったので、そう思うことにしました。部屋を片づけなさいという啓示であったのでしょう。それから、片づけの日々が続きました。もとより大嫌いなことだから、遅々として進まなかったですけれど。
片づけられない人というのは、捨てられない人でもあるのです。たとえば、服、2シーズン着なかった服は捨てろ、というのが片づけ整頓名人の言葉であることは承知しているのです。しかし、これは裁縫好きの伯母が縫ってくれた服、これは姑からプレゼントされたコートなのでもう着られないけれど義理でとっておいたもの、というふうになかなか捨ててしまうことができずにいました。思い出の服を、何か別のものに作り替えることができるかも、と未練でとっておいたものも多い。昔はリサイクルで子供の服に作り替えたこともしたけれど、今は洋裁も手芸もとんとご無沙汰。もったいない精神だけが残っているので、いらないものが貯まるたまる。
2002年に姉が亡くなったとき、衣装道楽だった姉の服のうち、ブランドものだとかは姪達が引き取ったのですが、地味めの服は私にまわってきました。「これ、すごく高級な布地を買ってきて仕立ててもらったものだから、捨てるに惜しい。おばちゃん、着られたら、着てね」なんて言われて「もうちょっとやせたらウエストが入るかも」と思ってとっておいたのとか、結局一度も着ないで捨てることに。狭い部屋のタンスをふさいだだけの服ということになるのか。いや、姉が亡くなってすぐにその場でどんどん姉の服を捨ててしまったら、寂しく思っただろうから、何年かタンスにしまって置いた意味はあったのだ、と思うことにしました。
濡れた本はダスターシュートへ。濡れなかった本もかなり捨てました。「いつか参考にすることがあるに違いない」と思ってとっておいたり、「この専門書9000円だったのを、無理して買ったんだっけ」とか、思い入れのある本も多かったのですが、必要なときは、ネットで探せば必ず買えると自分におまじないをかけて、捨てました。絶版になっているような希少本や、論文紀要など、捨てるに躊躇するものもありましたが、捨てるのもタイミングってもんでしょう。「縁があったら、またいつか会える」と思って、団地の段ボール新聞紙本雑誌のリサイクル置き場へ。
狭い団地の一室によくもこれほど物が詰まっていたもんだ、と思います。留学生の作文とか、捨てがたいものも多い。作文の誤用分析などいつできるかわからないのですが、捨てようとしてまたしまい込む紙類も多かった。でも、友人の論文コピーなんてのも思い切って捨てる。すてる。
あと2週間くらいは、捨てる捨てるすてる生活。
これまでに本を段ボール箱10箱以上、古着を45リットルの東京都指定ゴミ袋に10袋以上捨てました。古着など余裕があるときにリサイクル処理をしておけばよかったのに、今は余裕がないから、ただ捨てるだけ。
ようやく半分くらいは片づきました。あと半分、また捨てるステルすてる生活。月末までにはなんとか人間らしい住みかにしたいです。それまではしばし、更新お休みします。
<つづく>
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2010年03月18日
ぽかぽか春庭「復活までもうちょっと」
2010/03/18
ぽかぽか春庭十人十色日記03月>災害(4)復活までもうちょっと
上階からの漏水事故の後始末、3週間かかってようやくなんとか足の踏み場も見えるようになってきました。お見舞いや励ましの言葉をお寄せいただきありがとうございます。
捨てても捨てても、まだまだ山積みの紙、本、衣類。これまでゴミ屋敷のままに放置してきた自分が悪いのですけれど。十年前の学生の授業感想文とか、あとからあとから出てきます。押入の奥に詰め込んだあと上に積み重ねてしまうと、もう下に何があるかわからなくなって、そのままにしてきたので、別段読み返すこともないものがやたらに詰め込まれていました。災難だったとはいえ、片づけなさいという天の声としてよい機会になったと思っています。
思いはすれど、大嫌いな整理整頓片づけ事ですから、さっぱりはかどりません。
なかなか片づかない第一の理由は、嫌いなことをしなければならない自分自身の憂鬱気分によるものです。3月中はずっと「ふさぎの虫」にとりつかれていました。カタカナ言葉で言うならメランコリー、心理用語なら鬱、、、、果てしない落ち込み気分。これがずっと続くなら鬱病へと深みに陥るところでしょう。ストレス解消の甘い物ドカ喰いも禁じられているので、なかなか気分が晴れませんが、幸いなことに南の方から桜咲くニュースも伝わってきたし、少しは気分もぬくまった気分。
一日ひとつでも整理できたらよしとして、少しずつ、ほんとうに少しずつやっています。たぶん、片づけ名人なら一日でこなすことを1ヶ月かかってのろのろ進む。でも、しゃかりきにがんばるばかりではない、人生停滞時期もあってよい、と、自分を甘やかしています。あと一息というところまできているのですが、その一息にあと一ヶ月くらいかかりそうではあります。
カフェコラムも気力減退ゆえに「毎日更新」というのを今月はお休みしていますけれど、桜咲いたらまた毎日更新をしていきます。私にとっては書くことは生きること。別段毎日更新しなくても誰も気にとめないのだけれど、自分自身、さて、あったかくなったら冬ごもりから抜け出して蘇生しなくちゃなあと思うのです。
私は「仏教系汎神論者」なので、キリスト教の復活祭も私のお祭り。復活祭(イースター)は、春分の日(3/21)以降の満月の次の日曜ということで、2010年の復活祭は4月4日らしい。
私もそのころには復活しますので。
<おわり>