2010/01/01
ぽかぽか春庭十人十色日記01>新年寅年(1)新年おめでとうございます
新年おめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
暮れに、春庭はなけなしの虎の子はたいてジャンボ宝くじ買ったのですが、まあ、例年に変わらず、、、おっと、正月早々縁起悪い話をしちゃいけませんね。言霊、ことだま。せめて元旦くらいは「虎の子を得る」ような景気のいい話しをしておきましょう。虎にまつわる諺など。もっとも大切なもののたとえとして、虎が子を大切にするようすから、「虎の子」という成句ができました。たいていは現金をさすのですが、一番大切な虎の子、あなたにとっては、何でしょうか。私にとっては、このコラムを書き続けることが元気の元でもありますので、2010年もせっせとつづってまいります。
ジャンボくじでは3億得ることができませんでしたが、HALの志は、「虎は子を思うて千里を帰る」
千里を走れるという虎は、巣穴にいる自分の子供を思って、千里先まで獲物を追いかけ、また千里を走って子のもとへ帰ってくる。親が子を思う気持ちの強さをたとえているのですが、仕事して疲れて千里とまではいかないけれど、片道90分を駆けて帰宅してみれば、子はゲーム三昧、ゴミ出しひとつやってない、という有様で、、、あれれ、また景気の悪い話しになってきた。
ひとつ、虎にまつわる勢いのいい諺など紹介して、縁起良く新年を始めましょう。
虎の故事成句・諺で、一番人口に膾炙しているのは、
・牡丹に唐獅子、竹に虎=ぴったり調和して絵柄が会っている組み合わせ。
・虎穴に入らずんば虎子を得ず=虎の住む洞穴に入らなければ虎の子は得られない。何事も危険をおかさなければ、目的を達したり、大きな成果を得たりすることはできないことのたとえ。現代語では「ハイリスクハイリターン」。英語ではThe more danger, the more honour. Nothing venture,nothing win.でしょうか。
四字熟語では、
・虎視眈々=虎が獲物を狙って鋭い目でじっと見下ろすように、おのれの野望を遂げるため、じっと機会を狙っている様子。
・虎嘯風生(虎うそぶけば風しょうず)=虎がほえると谷風(春風)が起こる。立派な君主のもとにはすぐれた臣下が現れる、また、英雄が出現して天下に風雲の起こることのたとえ。出典『「淮南子(えなんじ)』天文訓(てんもんくん)虎嘯きて谷風至り、竜挙がりて景雲属(あつ)まる。
そのほか、虎は威勢があったり、能力が高いことのたとえに使われることが多い。
・虎豹豈犬羊の欺きを受けんや=虎や豹のような強い獣は犬や羊などには騙されない。徳のある者は凡人などにあなどられることはない。
・之を用いれば即ち虎となり、用いざれば即ち鼠となる=人は、重い地位を与えられれば虎のように勢いづいて大きな働きをするが、用いられないとなると鼠のようにこそこそと逃げ隠れする小人物で終わってしまう。人はその地位によって能力を発揮できる。出典『東方朔(とうほうさく)』
・雲は竜に従い風は虎に従う=雲は雨をもたらす竜に従って現れ、風は虎が吠える息の勢いに従って起こる。立派で聡明な君主のもとにはすぐれた臣下が出現し、これを助けるというたとえ。また、相応しいものを伴うことで物事がうまくいくというたとえ。(成語林より)出典『易教(えききょう)』乾(けん)
・騎虎の勢い=走る虎に乗ってしまった者は、途中で降りれば虎に食われるから、降りたくても降りられず、行き着くところまでいくしかない。無茶な勢いで物事を始める蛮勇のたとえ。
・苛政は虎よりも猛し=租税を厳しく取り立てるむごい政治は、人を食う虎よりも恐ろしがられる。
あれれ、なんだか話が難しくなってきて、景気も先行き不安な様子になってきたので、ここらでおひらき。
みなさまの1年が、虎穴に入らんでも虎の尾を踏まずとも、「虎の子を得る」ものとなりますように。
<つづく>
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2010年01月02日
ぽかぽか春庭「虎の子のゆくえ」
2010/01/02
ぽかぽか春庭十人十色日記01>新年寅年(2)虎の子のゆくえ
2009年の春庭メインイベントは中国赴任でした。古代高句麗の好太王石碑(広開土王碑)を訪ねる旅や長白山(白頭山)登山など、楽しい思い出がたくさん残りましたが、ひとつだけできないまま終わって残念だったことがあります。東北虎(アムール虎・シベリアンタイガーの亜種)の保護飼育施設(虎園)の見学ができなかったこと。同僚のリグン先生が「絶滅危惧種になっている東北虎を集めて繁殖をはかっている施設なのでぜひお目にかけたい」と、二度も見物日程をつくってくれたのに、二度とも体調が悪くなったり、仕事が入ったりして行けませんでした。
そのときは、「虎より仕事優先」と思ったのですが、今年が寅年だったことを考えると「無理しても見学に行って写真の一枚もとっておけばよかった」と思います。市内の動物園では東北虎の写真をとったのですが、広い虎舎の奥にいて、私のデジカメではズームを最大にしても、ちっちゃくて、虎か猫かわからないような姿しか撮れませんでした。
遠目であっても、虎舎のなかにいる東北虎、風格ある姿は美しかったです。
東北虎は、長白山の山中の王として生きてきたのに、開発が続き今や野生の虎は絶滅危惧。ハルビン近郊などに「虎園」が設けられ、保護繁殖の対象になっています。日本のトキみたいな存在。日本トキが絶滅してしまったのは、その美しい羽が狙われて捕獲されたこともありますが、何より大きい原因は、田圃に農薬がまかれてトキが餌にする田の小動物がいなくなったこと、トキが営巣して卵を温める静かな森がなくなったこと。
トラの生息地も同じ環境破壊にあいました。山は切り開かれ、野に鉄道が通り、虎が生きていく環境がなくなってしまった。
トキは同種の中国トキを人工繁殖させてから野生に戻す努力が続けられていますが、東北虎は、繁殖して個体数が増えたとして、野生に戻すことは難しいのではないかと思います。開発と自然破壊はとどまることなく進んできました。虎園の飼育場から野生に戻そうにも、虎がウサギや狐を狩る広い野山は、消えています。かって虎が生息していた長白山も、虎が生きていけるだけの生態系は確保できない。
開発された田畑や工場の土地を「森に戻そう」と主張しても難しいだろうから、せめて、東北虎を主人公にした「虎文学」をご紹介いたしましょう。
ニコライ・A. バイコフ, 今村 龍夫訳『偉大なる王(ワン)』完訳版(中公文庫)
東北の開発によって倒れていく虎を描いています。シートン動物記などの動物文学が大好きだった小学生のころ読んだきり読み返していないので、細部は忘れていますが、最後に王と呼ばれた虎が倒れるところでは泣いたことを覚えています。
虎の次に滅亡するのは、人間です。まあ、私はこのまま環境破壊が続いて人間が絶滅したとしても、カンブリア紀の生物大絶滅の再来、そういうこともあるだろうさ、という派なので、人間が地球の「王」になった次には、猿がなろうともゴキブリがなろうとも、それでいいと思っています。恐竜はジュラ紀には地球の王となり、体長40mというデカさまで進化しました。崖の岩が落ちてきてしっぽにコツンとあたると、数分後に脳が「痛い」と感じるくらいだった、というのは冗談ですが、その身体のデカさゆえに、寒冷化した地球で生き延びることができなかった。
隕石衝突で舞い上がった灰が天空を覆って日差しが遮られ地球の温度が下がったとき、卵が孵化することができなかったので、恐竜は生き延びることができなかった。胎生のほ乳類が地球の覇者になり、人間が「王」となった。この王は愚かな王で、「偉大なる王」ではなかったゆえ、次は人間が滅びるのです。人間は体長をでかくする方向には進化せず、脳の精度を上げる方向に進化したけれど、恐竜が身体のデカさをもてあましたように、人間は発達した脳を制御できなかった。快適に暮らしたいという欲望のほうが、環境保全の欲望より強かったのだから、欲望ゆえに人間が滅びるのだとしたら、これは人間という種に備わった滅亡プログラムの一環であり、運命を変える努力をしなかった人間は、当然地球の「種の変転」に組み込まれて滅びます。恐竜は自らが滅びただけですが、人間は他の種をさんざん滅ぼしていますから、罪深い。
人間の次に何が地球の王となるのかわかりませんが、地球が太陽に飲み込まれて新星になる日まで、あと50億年はいろんな生物が覇者として交代するでしょう。地球100億年の時間のなか、その中程の、太陽を一周するこの時に、私は生きて生活してまいります。生き延びることができるかしら。人間滅ぶその前に、春庭は飢えて滅びることになりそうです。今年は去年より授業数減って、収入ますます減少。ううっ、私の虎の子が、千里を走って去っていく。
東北の虎吠えし野に一人居て千里は遠しと立ちつくすかな
長白山生態再現コーナーに東北虎の剥製吠えたり(東北師範大学自然博物館にてソンイェンティン、魏シャンユエと)
東北虎と白虎指さし虎(フー)フーとはしゃぐシャンユエ高校生なり(長春市動物園にてルールー、シャンユエと)
渤海の浜に寄り添う友のいて「偉大なる王」読みし日語りき(葫蘆島の海岸にて周アリンと)
<つづく>
07:33 コメント(2) ページのトップへ
2010年01月03日
ぽかぽか春庭「時代を駆ける-駅伝を見ながら」
2010/01/03
ぽかぽか春庭十人十色日記01>新年寅年(3)時代を駆ける-駅伝を見ながら
虎は一日に千里を駆け千里を戻る。日本の若者は正月早々、箱根山まで100kmを駆け、百キロを戻る。今年も箱根駅伝のテレビ観戦楽しみました。
夫と娘と私の出身校が出場できるので、応援にも力が入ります。私が在籍中の大学もいれて4校の応援ができるから、どこかひとつくらいは優勝に絡んでいけると、娘とふたりわいわいとテレビの前へ。往路は、娘が手に汗握って応援する展開。4区あたりで息子が起きてきた。息子の在籍校に駅伝部はないから、客観的にレース展開を見るだけ。
新キャッチフレーズが「山の竜神」となった柏原竜二。去年2009年は「山の神(今井正人)を越えた、山の神童」というネーミングでしたが、神童っても童はこどもなんだから、神を越えちゃまずいだろ、と批判され、1年間考え抜かれたネーミングが「山の竜神」。おっと、それって、ただ竜二っていう本名に「ん」つけただけじゃん、なんていうツッコミを一応しましたが、竜神という字面は重々しいけれど、サユリンとかマスミンとか名前に「ん」をつけるニックネームと思えば、足取りも軽くなる感じ。リュージン、いいんじゃない。予想通りに6人抜きを演じて往路優勝のテープを切りました。
竜神がトップを奪ったあと、娘は「1区から4区までトップを応援できて、それだけでもさい先よい年と思うことにしましょう」と、残念そう。「自分の出身校が下位で走っていたときは、テレビがトップばかりうつすので、もっと下位も映してくれればいいのに、と思ったけれど、自分の応援するところがトップになると、下位なんか映さなくていいから、トップをずっと映せばいいのに、って思うもんだ」と、おかしそうです。
私は、辺見庸の『自分自身への審問』を読みながら見ていました。私にとって辺見庸は、「単行本が出版されたら発売と同時に買う作家」のひとりだったのですが、このところ新刊書店にはとんとご無沙汰で、専門書をアマゾンで買うか、百円本ショップで買うかのどちらかになってしまって、2006年新刊の『審問』を買い損ねていました。百円ショップで見つけて買ったのです。辺見様、闘病中なのに印税納めなくてすみません。なにしろ夫が生活費持ち出していってしまうから、石油も買えない状態でいましたので。
いつもぐずぐずとヤワな志しか持ち得ない自分の心を脇において、「時代の良心」として辺見が語るのを聞いてきました。辺見庸を時代を併走する人として愛読することで、自分の不運を愚痴るばかりの私自身の「良心の代理」を得てきたというところ。
辺見庸は2004年に脳出血に倒れ癌を患い、壮絶な闘病の中、ますますとぎすまされた言葉のかずかずを結晶させている。
また愚痴で始まりそうな年初に、ガツンと活を入れてほしくて、走り抜ける若者達の姿を追いながら、順位展開のない画面の間やCMの時間、細切れで読みました。細切れで読むには惜しい、ギリギリと時代を切り取る言葉たちを片目で追いながら、耳では、ケニア人留学生ダニエルがごぼう抜きを演じ、コスマスがトップに迫る活躍するのを聞きました。ダニエルやコスマスの故郷を思い、ケニアのサバンナや海辺の青空を思う。
辺見庸はアフガニスタンの空を「たんば(胆礬)色」と形容しました。胆礬色とは硫酸銅の結晶が持つ半透明の青を言います。辺見庸がアフガニスタンで見た美しい青空の色は、また、「正義の名のもとに人を殺す行為」が、システマティック平然と実施される大地の上に広がる空の色でもありました。
若者達の力走を見ながら、私は、辺見の「闘い続ける言葉」にどこまで併走できるのやら、と思います。
<つづく>
06:41 コメント(5) ページのトップへ
2010年01月04日
ぽかぽか春庭「復路リユース」
2010/01/04
ぽかぽか春庭十人十色日記01>新年寅年(4)復路リユース
箱根駅伝、東洋大の二連覇というフィナーレ。復路は往路を折り返して走るリユース(再使用)です。
娘の出身校は往路の活躍に比べ復路はぎりぎりシード校入り。往路に主力選手を投入したのは作戦通りなのだそうですが、娘は「ぎゃあ、父のところが復路優勝しちゃって、また選手起用術の良否とか解説を聞かされる羽目になりそう」と悔しそう。
観戦したほうは、「あそこは1キロ3分10秒以内のペースで運ぶべきだったでしょう」とかなんとか、勝手に走り方を批評して見ていますが、どの選手も精一杯走ったのは間違いない。シード落ちしたところも、たすきを渡せなかったところも、選手一人一人が己と闘って走り続けたのでしょう。
私?私とて己との闘いを続けていました。わたしは、「食べたい、もっと食べたい」という果てしない食欲と闘っておりました。
娘は、「母、確か大晦日には、新年から甘い物と炭水化物は食べないって言ってたよね。お正月になったら、三が日過ぎたら食べないに変わった。こりゃ、三が日過ぎると松の内過ぎたらに変わって、結局決意はいつもの、明日はいつも明日ってことになりそうだ」と、言います。そうね、2010年の出だしは、闘いにちょっと負けてる。はい、娘が作った栗きんとんは甘さ控えめでおいしかった。暮れに姑が煮て持たせてくれた小豆を冷凍して置いたのを解凍してお汁粉をつくって息子と食べた。(娘はあんこが嫌いでお汁粉を作ってくれないので、これは自分で作る)
いやあ、眼圧が高いの、ガンマなんたらの数値が悪いのとさんざん脅されて、これまで健康を過信していたことの反省は十分にしております。明日から、炭水化物は控え、腹八分目を決意し、ゆっくり噛んで満腹中枢が働くよう、心がけます。早食いがイケマセンのです。わかってます。あ、大食いもいけません。あ~ん、食べるしか楽しみがないのに、つらい。
辺見庸は、脳出血と癌の両方を患った後も、身体の変調とも世の変節とも闘っている。 今、同じように九州のウェブ友は「首から下が完全麻痺」という状態と闘っています。車椅子の生活を改善するために、難しい手術を勇気を出してうけたところ、手術後に首から下がまったく動かなくなってしまったのです。車椅子生活の中、パソコンでウェブ友と通信したり、詩を日記に載せたりすることをなによりの生き甲斐にしていたchiruchiru77さん、パソコンをクリックすることも不可能になり、どれほどつらいことでしょう。そのような状況であっても、チルチルさんは未来への希望を失わず、全身麻痺と闘っています。
チルチルさんとの会話を、看護に通う妹さんが代理で書き留め、「青い鳥日記」にのせてくれました。
Ifもしも
(姉)ねぇ!もし、もしもね、もしも手が自由に使えるようになったら、何が一番にしたいかわかる?
(妹)ハナクソホジリ!
(姉)がはっはっはっはー、なんでわかったとぉ!?
首から下がまったく動かないという状態でも、読者に笑いを届けようとする友の志を受けながら、私もまた今年、書き続けることで時代を走っていこうと思うのです。
箱根駅伝往復応援している間に、辺見庸の『自分自身への審問』を読み終わりました。食事制限すらできないヤワな私の心身に、ずっしり重い読後感でした。
たんば(胆礬)色の空の下では、今年も「テロに対抗するために撤退はあり得ない」という「正義」のいくさがつづくのでしょう。今年も職を失い住む所も心の拠り所も失った人が3万人を越えて自死していくのでしょう。辺見は、この3万の自死を「見えない内戦」と評していました。何でもかんでも金銭に換算する価値観しか持てなくなった国での、「価値なきもの」とされた人々、己の生きていく価値を見いだせなくされた人々が内戦に負けた結果の自死です。勝ち組は株や相場の高下に一喜一憂しながら、笑顔も介護の質も思いやりもすべてに値札を張りながら勝ち続けていくのでしょう。
私も病身となっても働き続けなければ食べていくこともできないので働きます。がんばります。書き続けます。
<つづく>
05:40 コメント(4) ページのトップへ
2010年01月05日
ぽかぽか春庭「復路リデュース」
2010/01/05
ぽかぽか春庭十人十色日記01>新年寅年(5)復路リデュース
人生、とっくに折り返し点を超えて、山下りが始まっていたというのに、自分の下り坂を考えずに突っ走ってきました。走り続けなければ倒れてしまう自転車操業ということもありましたし、山道を駆けめぐるアップダウンの激しい道で、今が登りか下りかも考える暇なく、ただひたすら働き続けてきたのです。クロスカントリーロード駆けめぐる山道が破壊されてずたずたであることにも目をつぶり、ひたすらペダルをこぎ、走り続けてきました。
トキも東北虎も絶滅危惧種となりましたが、環境破壊が続いて、次に倒れるのは人間です。「地球に優しく」というエコ標語に対して、誰が言ったせりふか忘れましたが、「本当に地球にやさしくしたければ、地球にとって一番いいのは人間が絶滅することだ。スーパーにエコ袋持っていって環境保護した気になるな、割り箸使わないくらいで、自分はエコ生活しているなんて思うな、まず、あんたが地球から消えることが、あんたにできる最高のエコロジー」と、喝破した方がいました。
私は地球から消えてしまいたくはないので、せめてリユース・リサイクルにでも励みましょう。2010年最初のシリーズは、再利用リユースから始めます。
2003年にカフェ日記を始めたのですが、2003年9月と10月に書いた文章は、カフェコラムから削除して、本サイト『話しことばの通い路』に格納してあります。読もうと思えば、本サイトのを見ればいいことなのですが、カフェコラムとして書いたのに削除してしまったのは残念に思うので、再録したいと思います。
2003年9月10月の春庭コラムをどうしてカフェ日記から削除したのかというと、2003年10月30日に書いたコラムにある人物の実名を書いてしまったからです。
40年前、私が大学病院内科検査室の検査士として働いていたときの思い出話を書きました。その中に、同期同僚の仲良しだった友達カコさんを登場させ、その同僚が結婚した相手の名を実名で書き込みました。連絡が途絶えた友が、今どうしているのか、知りたいという思いがありました。
カコさんがおつきあいしていた人の名前を検索すると、某県の赤十字病院副院長をしているお医者さんが出てきます。カコさんは学生時代に知り合った医者の卵と結婚したいと望んでいたので、この副院長さんの奥さんになっているのではないかしら、赤十字病院に問い合わせのはがきでも出してみようか、いや、長年連絡が来ないのは、連絡をとりたくない事情があるのかもしれないから、迷惑をかけるかもしれない、と躊躇していたら、思いがけなくカコさん本人が、春庭コラムを読んだ、というメールをくれたのです。ネットが人捜しに役立つことが実感できましたが、結果はあまりよい方向に向かいませんでした。
カコさんからのメールは、なつかしい友にネット上で再会できた、という内容ではなく、夫の実名を削除してほしい、という依頼でした。それは本当に申し訳ないことでした。勝手に実名を出されたりしたら、迷惑に思うでしょう。実名を仮名かイニシャルに変えようと思ったのですが、古いバージョンのころのカフェ日記は、日記の「一部分書き換え」ができなかったのです。一箇所でも書き換えをすると、それは新規作成となって、作成当日の欄に移動してしまい、日付が変わってしまう。
日付と内容の順番を違えると、当時書いていたシリーズが成立しなくなってしまう。「アイウエオ順に作者名をあげて、本の内容と自分語りを連動させる」という試みをしているシリーズだったので、ひとつだけ順番を変えると、アイウエオ順からひと文字が抜けてしまう。この時は、ひと文字でも抜けるとシリーズ整合性がなくなってしまうような気がして、2003年10月分を全部カフェ日記から削除しました。春庭の本サイト『話しことばの通い路』に格納し、カフェコラムからはリデュース(削減)してしまったのです。
<つづく>
05:23 コメント(3) ページのトップへ
2010年01月06日
ぽかぽか春庭「復路リサイクル」
2010/01/06
ぽかぽか春庭十人十色日記01>新年寅年(6)復路リサイクル
今になってみれば、削除要請があった10月30日の日記だけ削除すればよかったのだ、と思いますが、そのときは一ヶ月分削除がベストに思えたのでした。カコさんの意志を尊重し、カコさんに少しでも迷惑がかからないようにしたい、という思いが強かったのです。
文章から「カコさんの夫の実名削除」だけを実行することができないなら、10月執筆分を全文削除する、ということにして、そのときはそれで仕方がないとと思えました。
カコさんから連絡が来て、私はネットが結ぶ縁に大喜びしたのですが、カコさんのメールは再び途絶えました。「現在、英語教育を学ぶために、大学院修士課程に在学中」というカコさんの近況報告を受けたあと、パソコンメールにあるアドレスのバックアップを取らないうちパソコンが壊れて、アドレス不明になってしまったのです。
春庭サイトに掲げてあるメールアドレスは変えていないので、カコさんが連絡したいと思えば、連絡してくるだろう、連絡がないということは、昔の友情をなつかしく思っておつきあいを復活させる気持ちが薄いのだろうと諦めてしまいました。
私は大学病院で働いた時代をなつかしく思い、一番仲良しだったカコさんを今でも古い友人として大切に思っているのですが、当時も今も、これは片思い。当時カコさんは、恋人のタロさんとのおつきあいが大切で、同僚の私は単に仕事場での仲良しにすぎなかった。
カコさん、今どうしているでしょうか。たぶん、英語教育の仕事や赤十字病院副院長夫人としての生活を続けて充実した人生を送っていることと思います。
大学病院で内科検査士をして働いたころのこと、たった1年半の検査士生活でした。取得した衛生検査技師の資格は今ではただの紙切れですが、東京に出てきて一生懸命働いたころの思い出、今では宝物のように思います。
(調べてみたら、2005年に衛生検査技師資格は臨床検査技師に統合されて、今ではこの資格は廃止されていました。衛生検査技師と臨床検査技師の違い。臨床検査技師は、医師看護師の指導の元、静脈からの採血検査ができるけれど、衛生検査技師は採血を行うことはできない、と、わかりました。そういえば、私は耳たぶにメスを入れて採血する業務を行ったけれど、注射での採血をしたことがなかった、今頃気づいた。最近の検査では採取する血液量が多くなったので、耳たぶ切開の採血法では十分な量を確保できないから、静脈採血業務ができない資格では不自由だから臨床検査技師に統合されたのでしょう)
2003年に最初に書いたカフェコラムシリーズ、これも7年たった今になってみれば、宝物のように思えます。何も削除することはなかったなあ、と思うので、再録します。リユース&リサイクル掲載。
1977年以前に読んだ本の作者名を(あ)から(む)まで並べ、作品の思い出たどってつづった自分語り。
(め)以後の分は、2003年11月からのカフェコラムに掲載してありますので、すでに読んでくださった方もいるかもしれません。2003年に9月と10月の分を、読んでくださった方もいたとして、もう忘れていると思います。記憶に残るようなことは書いていないから。二度目の掲載リユースでも、もう一度お読みくださるなら、ありがたく存じます。
たいしたこと書いてないけれど、自分語りってのは、年寄りに何度でも語らせてあげるのが、親切ってもんです。私など、姑が「生まれ故郷の家から女学校に通学するのに、駅のある所まで普段は片道歩いて1時間の道のりだけど、冬になると雪の道を踏んで片道2時間もかかったんだべした。冬だけ町に下宿する人もいたけれど、うちは貧乏だから下宿させてもらうお金がなかった」と語るのを、年始のたびに冬の思い出として聞かされております。そのたびに、「ええ、えぇ、米沢の雪はたいへんだったでしょうねぇ」と相づちうって、姑孝行相務めておりまする。
2003年に「老いの準備」として書き始めた内容なのですが、今では本当に老いと戦う日々が始まって、ああ、このころは老いることが身にしみていなかったから、気楽に「老い支度」なんて言っていたんだなあと思います。では、2010年1月2月の春庭コラム、新年会報告のあと、2003「おい老い笈の小文」リユース&リサイクル掲載いたします。
<つづく>
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ぽかぽか春庭十人十色日記01>新年寅年(1)新年おめでとうございます
新年おめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
暮れに、春庭はなけなしの虎の子はたいてジャンボ宝くじ買ったのですが、まあ、例年に変わらず、、、おっと、正月早々縁起悪い話をしちゃいけませんね。言霊、ことだま。せめて元旦くらいは「虎の子を得る」ような景気のいい話しをしておきましょう。虎にまつわる諺など。もっとも大切なもののたとえとして、虎が子を大切にするようすから、「虎の子」という成句ができました。たいていは現金をさすのですが、一番大切な虎の子、あなたにとっては、何でしょうか。私にとっては、このコラムを書き続けることが元気の元でもありますので、2010年もせっせとつづってまいります。
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千里を走れるという虎は、巣穴にいる自分の子供を思って、千里先まで獲物を追いかけ、また千里を走って子のもとへ帰ってくる。親が子を思う気持ちの強さをたとえているのですが、仕事して疲れて千里とまではいかないけれど、片道90分を駆けて帰宅してみれば、子はゲーム三昧、ゴミ出しひとつやってない、という有様で、、、あれれ、また景気の悪い話しになってきた。
ひとつ、虎にまつわる勢いのいい諺など紹介して、縁起良く新年を始めましょう。
虎の故事成句・諺で、一番人口に膾炙しているのは、
・牡丹に唐獅子、竹に虎=ぴったり調和して絵柄が会っている組み合わせ。
・虎穴に入らずんば虎子を得ず=虎の住む洞穴に入らなければ虎の子は得られない。何事も危険をおかさなければ、目的を達したり、大きな成果を得たりすることはできないことのたとえ。現代語では「ハイリスクハイリターン」。英語ではThe more danger, the more honour. Nothing venture,nothing win.でしょうか。
四字熟語では、
・虎視眈々=虎が獲物を狙って鋭い目でじっと見下ろすように、おのれの野望を遂げるため、じっと機会を狙っている様子。
・虎嘯風生(虎うそぶけば風しょうず)=虎がほえると谷風(春風)が起こる。立派な君主のもとにはすぐれた臣下が現れる、また、英雄が出現して天下に風雲の起こることのたとえ。出典『「淮南子(えなんじ)』天文訓(てんもんくん)虎嘯きて谷風至り、竜挙がりて景雲属(あつ)まる。
そのほか、虎は威勢があったり、能力が高いことのたとえに使われることが多い。
・虎豹豈犬羊の欺きを受けんや=虎や豹のような強い獣は犬や羊などには騙されない。徳のある者は凡人などにあなどられることはない。
・之を用いれば即ち虎となり、用いざれば即ち鼠となる=人は、重い地位を与えられれば虎のように勢いづいて大きな働きをするが、用いられないとなると鼠のようにこそこそと逃げ隠れする小人物で終わってしまう。人はその地位によって能力を発揮できる。出典『東方朔(とうほうさく)』
・雲は竜に従い風は虎に従う=雲は雨をもたらす竜に従って現れ、風は虎が吠える息の勢いに従って起こる。立派で聡明な君主のもとにはすぐれた臣下が出現し、これを助けるというたとえ。また、相応しいものを伴うことで物事がうまくいくというたとえ。(成語林より)出典『易教(えききょう)』乾(けん)
・騎虎の勢い=走る虎に乗ってしまった者は、途中で降りれば虎に食われるから、降りたくても降りられず、行き着くところまでいくしかない。無茶な勢いで物事を始める蛮勇のたとえ。
・苛政は虎よりも猛し=租税を厳しく取り立てるむごい政治は、人を食う虎よりも恐ろしがられる。
あれれ、なんだか話が難しくなってきて、景気も先行き不安な様子になってきたので、ここらでおひらき。
みなさまの1年が、虎穴に入らんでも虎の尾を踏まずとも、「虎の子を得る」ものとなりますように。
<つづく>
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2010年01月02日
ぽかぽか春庭「虎の子のゆくえ」
2010/01/02
ぽかぽか春庭十人十色日記01>新年寅年(2)虎の子のゆくえ
2009年の春庭メインイベントは中国赴任でした。古代高句麗の好太王石碑(広開土王碑)を訪ねる旅や長白山(白頭山)登山など、楽しい思い出がたくさん残りましたが、ひとつだけできないまま終わって残念だったことがあります。東北虎(アムール虎・シベリアンタイガーの亜種)の保護飼育施設(虎園)の見学ができなかったこと。同僚のリグン先生が「絶滅危惧種になっている東北虎を集めて繁殖をはかっている施設なのでぜひお目にかけたい」と、二度も見物日程をつくってくれたのに、二度とも体調が悪くなったり、仕事が入ったりして行けませんでした。
そのときは、「虎より仕事優先」と思ったのですが、今年が寅年だったことを考えると「無理しても見学に行って写真の一枚もとっておけばよかった」と思います。市内の動物園では東北虎の写真をとったのですが、広い虎舎の奥にいて、私のデジカメではズームを最大にしても、ちっちゃくて、虎か猫かわからないような姿しか撮れませんでした。
遠目であっても、虎舎のなかにいる東北虎、風格ある姿は美しかったです。
東北虎は、長白山の山中の王として生きてきたのに、開発が続き今や野生の虎は絶滅危惧。ハルビン近郊などに「虎園」が設けられ、保護繁殖の対象になっています。日本のトキみたいな存在。日本トキが絶滅してしまったのは、その美しい羽が狙われて捕獲されたこともありますが、何より大きい原因は、田圃に農薬がまかれてトキが餌にする田の小動物がいなくなったこと、トキが営巣して卵を温める静かな森がなくなったこと。
トラの生息地も同じ環境破壊にあいました。山は切り開かれ、野に鉄道が通り、虎が生きていく環境がなくなってしまった。
トキは同種の中国トキを人工繁殖させてから野生に戻す努力が続けられていますが、東北虎は、繁殖して個体数が増えたとして、野生に戻すことは難しいのではないかと思います。開発と自然破壊はとどまることなく進んできました。虎園の飼育場から野生に戻そうにも、虎がウサギや狐を狩る広い野山は、消えています。かって虎が生息していた長白山も、虎が生きていけるだけの生態系は確保できない。
開発された田畑や工場の土地を「森に戻そう」と主張しても難しいだろうから、せめて、東北虎を主人公にした「虎文学」をご紹介いたしましょう。
ニコライ・A. バイコフ, 今村 龍夫訳『偉大なる王(ワン)』完訳版(中公文庫)
東北の開発によって倒れていく虎を描いています。シートン動物記などの動物文学が大好きだった小学生のころ読んだきり読み返していないので、細部は忘れていますが、最後に王と呼ばれた虎が倒れるところでは泣いたことを覚えています。
虎の次に滅亡するのは、人間です。まあ、私はこのまま環境破壊が続いて人間が絶滅したとしても、カンブリア紀の生物大絶滅の再来、そういうこともあるだろうさ、という派なので、人間が地球の「王」になった次には、猿がなろうともゴキブリがなろうとも、それでいいと思っています。恐竜はジュラ紀には地球の王となり、体長40mというデカさまで進化しました。崖の岩が落ちてきてしっぽにコツンとあたると、数分後に脳が「痛い」と感じるくらいだった、というのは冗談ですが、その身体のデカさゆえに、寒冷化した地球で生き延びることができなかった。
隕石衝突で舞い上がった灰が天空を覆って日差しが遮られ地球の温度が下がったとき、卵が孵化することができなかったので、恐竜は生き延びることができなかった。胎生のほ乳類が地球の覇者になり、人間が「王」となった。この王は愚かな王で、「偉大なる王」ではなかったゆえ、次は人間が滅びるのです。人間は体長をでかくする方向には進化せず、脳の精度を上げる方向に進化したけれど、恐竜が身体のデカさをもてあましたように、人間は発達した脳を制御できなかった。快適に暮らしたいという欲望のほうが、環境保全の欲望より強かったのだから、欲望ゆえに人間が滅びるのだとしたら、これは人間という種に備わった滅亡プログラムの一環であり、運命を変える努力をしなかった人間は、当然地球の「種の変転」に組み込まれて滅びます。恐竜は自らが滅びただけですが、人間は他の種をさんざん滅ぼしていますから、罪深い。
人間の次に何が地球の王となるのかわかりませんが、地球が太陽に飲み込まれて新星になる日まで、あと50億年はいろんな生物が覇者として交代するでしょう。地球100億年の時間のなか、その中程の、太陽を一周するこの時に、私は生きて生活してまいります。生き延びることができるかしら。人間滅ぶその前に、春庭は飢えて滅びることになりそうです。今年は去年より授業数減って、収入ますます減少。ううっ、私の虎の子が、千里を走って去っていく。
東北の虎吠えし野に一人居て千里は遠しと立ちつくすかな
長白山生態再現コーナーに東北虎の剥製吠えたり(東北師範大学自然博物館にてソンイェンティン、魏シャンユエと)
東北虎と白虎指さし虎(フー)フーとはしゃぐシャンユエ高校生なり(長春市動物園にてルールー、シャンユエと)
渤海の浜に寄り添う友のいて「偉大なる王」読みし日語りき(葫蘆島の海岸にて周アリンと)
<つづく>
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2010年01月03日
ぽかぽか春庭「時代を駆ける-駅伝を見ながら」
2010/01/03
ぽかぽか春庭十人十色日記01>新年寅年(3)時代を駆ける-駅伝を見ながら
虎は一日に千里を駆け千里を戻る。日本の若者は正月早々、箱根山まで100kmを駆け、百キロを戻る。今年も箱根駅伝のテレビ観戦楽しみました。
夫と娘と私の出身校が出場できるので、応援にも力が入ります。私が在籍中の大学もいれて4校の応援ができるから、どこかひとつくらいは優勝に絡んでいけると、娘とふたりわいわいとテレビの前へ。往路は、娘が手に汗握って応援する展開。4区あたりで息子が起きてきた。息子の在籍校に駅伝部はないから、客観的にレース展開を見るだけ。
新キャッチフレーズが「山の竜神」となった柏原竜二。去年2009年は「山の神(今井正人)を越えた、山の神童」というネーミングでしたが、神童っても童はこどもなんだから、神を越えちゃまずいだろ、と批判され、1年間考え抜かれたネーミングが「山の竜神」。おっと、それって、ただ竜二っていう本名に「ん」つけただけじゃん、なんていうツッコミを一応しましたが、竜神という字面は重々しいけれど、サユリンとかマスミンとか名前に「ん」をつけるニックネームと思えば、足取りも軽くなる感じ。リュージン、いいんじゃない。予想通りに6人抜きを演じて往路優勝のテープを切りました。
竜神がトップを奪ったあと、娘は「1区から4区までトップを応援できて、それだけでもさい先よい年と思うことにしましょう」と、残念そう。「自分の出身校が下位で走っていたときは、テレビがトップばかりうつすので、もっと下位も映してくれればいいのに、と思ったけれど、自分の応援するところがトップになると、下位なんか映さなくていいから、トップをずっと映せばいいのに、って思うもんだ」と、おかしそうです。
私は、辺見庸の『自分自身への審問』を読みながら見ていました。私にとって辺見庸は、「単行本が出版されたら発売と同時に買う作家」のひとりだったのですが、このところ新刊書店にはとんとご無沙汰で、専門書をアマゾンで買うか、百円本ショップで買うかのどちらかになってしまって、2006年新刊の『審問』を買い損ねていました。百円ショップで見つけて買ったのです。辺見様、闘病中なのに印税納めなくてすみません。なにしろ夫が生活費持ち出していってしまうから、石油も買えない状態でいましたので。
いつもぐずぐずとヤワな志しか持ち得ない自分の心を脇において、「時代の良心」として辺見が語るのを聞いてきました。辺見庸を時代を併走する人として愛読することで、自分の不運を愚痴るばかりの私自身の「良心の代理」を得てきたというところ。
辺見庸は2004年に脳出血に倒れ癌を患い、壮絶な闘病の中、ますますとぎすまされた言葉のかずかずを結晶させている。
また愚痴で始まりそうな年初に、ガツンと活を入れてほしくて、走り抜ける若者達の姿を追いながら、順位展開のない画面の間やCMの時間、細切れで読みました。細切れで読むには惜しい、ギリギリと時代を切り取る言葉たちを片目で追いながら、耳では、ケニア人留学生ダニエルがごぼう抜きを演じ、コスマスがトップに迫る活躍するのを聞きました。ダニエルやコスマスの故郷を思い、ケニアのサバンナや海辺の青空を思う。
辺見庸はアフガニスタンの空を「たんば(胆礬)色」と形容しました。胆礬色とは硫酸銅の結晶が持つ半透明の青を言います。辺見庸がアフガニスタンで見た美しい青空の色は、また、「正義の名のもとに人を殺す行為」が、システマティック平然と実施される大地の上に広がる空の色でもありました。
若者達の力走を見ながら、私は、辺見の「闘い続ける言葉」にどこまで併走できるのやら、と思います。
<つづく>
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2010年01月04日
ぽかぽか春庭「復路リユース」
2010/01/04
ぽかぽか春庭十人十色日記01>新年寅年(4)復路リユース
箱根駅伝、東洋大の二連覇というフィナーレ。復路は往路を折り返して走るリユース(再使用)です。
娘の出身校は往路の活躍に比べ復路はぎりぎりシード校入り。往路に主力選手を投入したのは作戦通りなのだそうですが、娘は「ぎゃあ、父のところが復路優勝しちゃって、また選手起用術の良否とか解説を聞かされる羽目になりそう」と悔しそう。
観戦したほうは、「あそこは1キロ3分10秒以内のペースで運ぶべきだったでしょう」とかなんとか、勝手に走り方を批評して見ていますが、どの選手も精一杯走ったのは間違いない。シード落ちしたところも、たすきを渡せなかったところも、選手一人一人が己と闘って走り続けたのでしょう。
私?私とて己との闘いを続けていました。わたしは、「食べたい、もっと食べたい」という果てしない食欲と闘っておりました。
娘は、「母、確か大晦日には、新年から甘い物と炭水化物は食べないって言ってたよね。お正月になったら、三が日過ぎたら食べないに変わった。こりゃ、三が日過ぎると松の内過ぎたらに変わって、結局決意はいつもの、明日はいつも明日ってことになりそうだ」と、言います。そうね、2010年の出だしは、闘いにちょっと負けてる。はい、娘が作った栗きんとんは甘さ控えめでおいしかった。暮れに姑が煮て持たせてくれた小豆を冷凍して置いたのを解凍してお汁粉をつくって息子と食べた。(娘はあんこが嫌いでお汁粉を作ってくれないので、これは自分で作る)
いやあ、眼圧が高いの、ガンマなんたらの数値が悪いのとさんざん脅されて、これまで健康を過信していたことの反省は十分にしております。明日から、炭水化物は控え、腹八分目を決意し、ゆっくり噛んで満腹中枢が働くよう、心がけます。早食いがイケマセンのです。わかってます。あ、大食いもいけません。あ~ん、食べるしか楽しみがないのに、つらい。
辺見庸は、脳出血と癌の両方を患った後も、身体の変調とも世の変節とも闘っている。 今、同じように九州のウェブ友は「首から下が完全麻痺」という状態と闘っています。車椅子の生活を改善するために、難しい手術を勇気を出してうけたところ、手術後に首から下がまったく動かなくなってしまったのです。車椅子生活の中、パソコンでウェブ友と通信したり、詩を日記に載せたりすることをなによりの生き甲斐にしていたchiruchiru77さん、パソコンをクリックすることも不可能になり、どれほどつらいことでしょう。そのような状況であっても、チルチルさんは未来への希望を失わず、全身麻痺と闘っています。
チルチルさんとの会話を、看護に通う妹さんが代理で書き留め、「青い鳥日記」にのせてくれました。
Ifもしも
(姉)ねぇ!もし、もしもね、もしも手が自由に使えるようになったら、何が一番にしたいかわかる?
(妹)ハナクソホジリ!
(姉)がはっはっはっはー、なんでわかったとぉ!?
首から下がまったく動かないという状態でも、読者に笑いを届けようとする友の志を受けながら、私もまた今年、書き続けることで時代を走っていこうと思うのです。
箱根駅伝往復応援している間に、辺見庸の『自分自身への審問』を読み終わりました。食事制限すらできないヤワな私の心身に、ずっしり重い読後感でした。
たんば(胆礬)色の空の下では、今年も「テロに対抗するために撤退はあり得ない」という「正義」のいくさがつづくのでしょう。今年も職を失い住む所も心の拠り所も失った人が3万人を越えて自死していくのでしょう。辺見は、この3万の自死を「見えない内戦」と評していました。何でもかんでも金銭に換算する価値観しか持てなくなった国での、「価値なきもの」とされた人々、己の生きていく価値を見いだせなくされた人々が内戦に負けた結果の自死です。勝ち組は株や相場の高下に一喜一憂しながら、笑顔も介護の質も思いやりもすべてに値札を張りながら勝ち続けていくのでしょう。
私も病身となっても働き続けなければ食べていくこともできないので働きます。がんばります。書き続けます。
<つづく>
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2010年01月05日
ぽかぽか春庭「復路リデュース」
2010/01/05
ぽかぽか春庭十人十色日記01>新年寅年(5)復路リデュース
人生、とっくに折り返し点を超えて、山下りが始まっていたというのに、自分の下り坂を考えずに突っ走ってきました。走り続けなければ倒れてしまう自転車操業ということもありましたし、山道を駆けめぐるアップダウンの激しい道で、今が登りか下りかも考える暇なく、ただひたすら働き続けてきたのです。クロスカントリーロード駆けめぐる山道が破壊されてずたずたであることにも目をつぶり、ひたすらペダルをこぎ、走り続けてきました。
トキも東北虎も絶滅危惧種となりましたが、環境破壊が続いて、次に倒れるのは人間です。「地球に優しく」というエコ標語に対して、誰が言ったせりふか忘れましたが、「本当に地球にやさしくしたければ、地球にとって一番いいのは人間が絶滅することだ。スーパーにエコ袋持っていって環境保護した気になるな、割り箸使わないくらいで、自分はエコ生活しているなんて思うな、まず、あんたが地球から消えることが、あんたにできる最高のエコロジー」と、喝破した方がいました。
私は地球から消えてしまいたくはないので、せめてリユース・リサイクルにでも励みましょう。2010年最初のシリーズは、再利用リユースから始めます。
2003年にカフェ日記を始めたのですが、2003年9月と10月に書いた文章は、カフェコラムから削除して、本サイト『話しことばの通い路』に格納してあります。読もうと思えば、本サイトのを見ればいいことなのですが、カフェコラムとして書いたのに削除してしまったのは残念に思うので、再録したいと思います。
2003年9月10月の春庭コラムをどうしてカフェ日記から削除したのかというと、2003年10月30日に書いたコラムにある人物の実名を書いてしまったからです。
40年前、私が大学病院内科検査室の検査士として働いていたときの思い出話を書きました。その中に、同期同僚の仲良しだった友達カコさんを登場させ、その同僚が結婚した相手の名を実名で書き込みました。連絡が途絶えた友が、今どうしているのか、知りたいという思いがありました。
カコさんがおつきあいしていた人の名前を検索すると、某県の赤十字病院副院長をしているお医者さんが出てきます。カコさんは学生時代に知り合った医者の卵と結婚したいと望んでいたので、この副院長さんの奥さんになっているのではないかしら、赤十字病院に問い合わせのはがきでも出してみようか、いや、長年連絡が来ないのは、連絡をとりたくない事情があるのかもしれないから、迷惑をかけるかもしれない、と躊躇していたら、思いがけなくカコさん本人が、春庭コラムを読んだ、というメールをくれたのです。ネットが人捜しに役立つことが実感できましたが、結果はあまりよい方向に向かいませんでした。
カコさんからのメールは、なつかしい友にネット上で再会できた、という内容ではなく、夫の実名を削除してほしい、という依頼でした。それは本当に申し訳ないことでした。勝手に実名を出されたりしたら、迷惑に思うでしょう。実名を仮名かイニシャルに変えようと思ったのですが、古いバージョンのころのカフェ日記は、日記の「一部分書き換え」ができなかったのです。一箇所でも書き換えをすると、それは新規作成となって、作成当日の欄に移動してしまい、日付が変わってしまう。
日付と内容の順番を違えると、当時書いていたシリーズが成立しなくなってしまう。「アイウエオ順に作者名をあげて、本の内容と自分語りを連動させる」という試みをしているシリーズだったので、ひとつだけ順番を変えると、アイウエオ順からひと文字が抜けてしまう。この時は、ひと文字でも抜けるとシリーズ整合性がなくなってしまうような気がして、2003年10月分を全部カフェ日記から削除しました。春庭の本サイト『話しことばの通い路』に格納し、カフェコラムからはリデュース(削減)してしまったのです。
<つづく>
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2010年01月06日
ぽかぽか春庭「復路リサイクル」
2010/01/06
ぽかぽか春庭十人十色日記01>新年寅年(6)復路リサイクル
今になってみれば、削除要請があった10月30日の日記だけ削除すればよかったのだ、と思いますが、そのときは一ヶ月分削除がベストに思えたのでした。カコさんの意志を尊重し、カコさんに少しでも迷惑がかからないようにしたい、という思いが強かったのです。
文章から「カコさんの夫の実名削除」だけを実行することができないなら、10月執筆分を全文削除する、ということにして、そのときはそれで仕方がないとと思えました。
カコさんから連絡が来て、私はネットが結ぶ縁に大喜びしたのですが、カコさんのメールは再び途絶えました。「現在、英語教育を学ぶために、大学院修士課程に在学中」というカコさんの近況報告を受けたあと、パソコンメールにあるアドレスのバックアップを取らないうちパソコンが壊れて、アドレス不明になってしまったのです。
春庭サイトに掲げてあるメールアドレスは変えていないので、カコさんが連絡したいと思えば、連絡してくるだろう、連絡がないということは、昔の友情をなつかしく思っておつきあいを復活させる気持ちが薄いのだろうと諦めてしまいました。
私は大学病院で働いた時代をなつかしく思い、一番仲良しだったカコさんを今でも古い友人として大切に思っているのですが、当時も今も、これは片思い。当時カコさんは、恋人のタロさんとのおつきあいが大切で、同僚の私は単に仕事場での仲良しにすぎなかった。
カコさん、今どうしているでしょうか。たぶん、英語教育の仕事や赤十字病院副院長夫人としての生活を続けて充実した人生を送っていることと思います。
大学病院で内科検査士をして働いたころのこと、たった1年半の検査士生活でした。取得した衛生検査技師の資格は今ではただの紙切れですが、東京に出てきて一生懸命働いたころの思い出、今では宝物のように思います。
(調べてみたら、2005年に衛生検査技師資格は臨床検査技師に統合されて、今ではこの資格は廃止されていました。衛生検査技師と臨床検査技師の違い。臨床検査技師は、医師看護師の指導の元、静脈からの採血検査ができるけれど、衛生検査技師は採血を行うことはできない、と、わかりました。そういえば、私は耳たぶにメスを入れて採血する業務を行ったけれど、注射での採血をしたことがなかった、今頃気づいた。最近の検査では採取する血液量が多くなったので、耳たぶ切開の採血法では十分な量を確保できないから、静脈採血業務ができない資格では不自由だから臨床検査技師に統合されたのでしょう)
2003年に最初に書いたカフェコラムシリーズ、これも7年たった今になってみれば、宝物のように思えます。何も削除することはなかったなあ、と思うので、再録します。リユース&リサイクル掲載。
1977年以前に読んだ本の作者名を(あ)から(む)まで並べ、作品の思い出たどってつづった自分語り。
(め)以後の分は、2003年11月からのカフェコラムに掲載してありますので、すでに読んでくださった方もいるかもしれません。2003年に9月と10月の分を、読んでくださった方もいたとして、もう忘れていると思います。記憶に残るようなことは書いていないから。二度目の掲載リユースでも、もう一度お読みくださるなら、ありがたく存じます。
たいしたこと書いてないけれど、自分語りってのは、年寄りに何度でも語らせてあげるのが、親切ってもんです。私など、姑が「生まれ故郷の家から女学校に通学するのに、駅のある所まで普段は片道歩いて1時間の道のりだけど、冬になると雪の道を踏んで片道2時間もかかったんだべした。冬だけ町に下宿する人もいたけれど、うちは貧乏だから下宿させてもらうお金がなかった」と語るのを、年始のたびに冬の思い出として聞かされております。そのたびに、「ええ、えぇ、米沢の雪はたいへんだったでしょうねぇ」と相づちうって、姑孝行相務めておりまする。
2003年に「老いの準備」として書き始めた内容なのですが、今では本当に老いと戦う日々が始まって、ああ、このころは老いることが身にしみていなかったから、気楽に「老い支度」なんて言っていたんだなあと思います。では、2010年1月2月の春庭コラム、新年会報告のあと、2003「おい老い笈の小文」リユース&リサイクル掲載いたします。
<つづく>
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