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裸足の東京ウォーカー2008年7月

2011-02-01 05:37:00 | 日記
2008/07/11
ぽかぽか春庭やちまた日記>裸足の季節(2)裸足の東京ウォーカー

 それにしても、こんなふうに履き物がバラバラボロボロになるとは思わなかった。
 古いことは古いけれど、買ったまま、置き傘置き靴でひとくくりにして、学校のロッカーに何年も入れっぱなしにしておいたサンダル。何回も履いていないのに。
 ああ、足もとが崩れていく、、、、

 留学生教育センターにたどり着いたとき、サンダルは完全にバラバラ状態に壊れていた。もはや、履き物のていを為していない。
 事務室の人に、「スリッパがあったら貸していただけませんか」と、尋ねてみたけれど、ないって。

 ええい。1限目は、裸足で授業にでた。
 だれも私が靴履いてないことに気づきませんように。

 いつもは教室中動き回る春庭センセだけれど、足を怪我してから、机の前から動かないようにして授業することもあったので、本日も、椅子にすわって、机の前から動かないで授業しても、留学生たち、気づかない。午前中、中級文法のクラス、無事終了。

 昼休みに、大学生協の店へ行った。はだしで。
 私たちの世代にとって、裸足のランナーといえば、オリンピックマラソン2連覇、エチオピアのアベベですが、私は「裸足の東京ウォーカー」

 現代の東京の道路を裸足で歩く人は、たぶん、ゼロだろう。ホームレスの人でも、けっこうよい靴を履いている。

 大学生協で、「ビーチサンダルかスリッパ、おいてませんか。履き物ならなんでもいいんだけれど」と、言ってみたが、ない。品揃えの悪い生協じゃなあ。
 近くのコンビニまで行ったけれど、ない。

 夏だっていうのに、ビーチサンダルくらい揃えてもいいのに、、、、、そか、大学前のコンビニに、ビーチサンダルを買いにくる人いないよね。
 裸足で学外の歩道を歩く。雨が染みたあとの、濡れた歩道。

 午後の漢字のクラスにでるインドネシアの学生とすれ違い、「センセー」と、声をかけられた。ギクッ!
 う~ん、私の足、見ないでよ~。

 足には気づかれなかった。そういえば、私だって彼女のスカーフには目がいったけれど、足に何履いていたかなんて、見なかった。モスレム(イスラム教徒)の女性たちは、毎日すてきなスカーフでおしゃれをする。

 裸足で歩くこと、少数派だから恥ずかしいのか?
 人と同じ姿かっこうじゃないと、堂々と歩けないのか?
 裸足で歩いて悪いことは何もないのに。

<つづく>
06:17 コメント(4) 編集 ページのトップへ
2008年07月12日


ぽかぽか春庭「裸足の女神」
2008/07/12
ぽかぽか春庭やちまた日記>裸足の季節(3)裸足の女神

♪OH MY 裸足の女神よ キズをかくさないでいいよ(足の傷はもう目立たないけどね)
痛みを知るまなざしは 深く澄んでもう萎れることはない(そうよ、痛みを知っている私、二ヶ月前に左足指骨折)
♪OH MY 裸足の女神よ キズをかくさないでいいよ
風に消されることのない 歓びさがそう
♪DON'T YOU CRY(ちょいと、泣きたい気分)
MY 裸足の女神よ ひとりで泣かないでもいいよ(泣いてるよ、私の足もとが崩壊して)
心から他人[だれか]にほほえむ 君の肩をひき寄せたいよ
(by B'z)

 裸足を自己表現というか、芸能活動のスタイルにしていた歌手のうち、私にとって「これは、ほんとに彼女の生きていく姿勢の表れ、と思って共感できたのはCoccoだけ。あとの人たちは、単なるファッションとしての裸足。裸足と言うより「素足の私がステキ」というスタイルだ。
 Coccoは、一度沖縄に帰って絵本を作ったりしたのち再登場したときはスニーカーを履いていたけれど、それでも彼女の歌うすがたには、ひりひりした心の奥底をさらす痛々しさ、ギリギリ裸足をさらさずにはいられない切実さがにじみでる。

 私は、普段、家のなかでは厳冬期以外は素足ですごすし、いつもの夏は5月から10月まで、素足にサンダル。
 最近は、管理の悪い砂浜や公園の芝生では、素足で歩いているとガラス破片がささったりする事故もおきるので、めったに屋外では裸足にならないけれど。

 生き方をファッションで示したいなら、私は腰箕に裸足が一番好きなスタイル。まあ、私のトップレスなんぞだれも見たがらないだろうから、腰箕だけじゃさすがにまずいかな、と思う程度。

 私だって渋谷のセンター街とか、秋葉原の歩行者天国を歩くのなら、裸足だっていっこう気にならない。みな、奇妙きてれつな衣装を競いあっている場所だから。

 都会の道路を裸足で歩くのは、特殊な健康法を実践しているか、変な宗教に凝っているか、と見なされる。つまり、私は「変わったカッコウして歩いている変わった思想信条の持ち主」と、斜めに見られるのがイヤなのだった。

 文化的衣装コードというのは、どの地域にもある。パプアニューギニアの「ペニスケース」だって、時と場合によって「このペニスケースをつけてこの儀式に参加するのはタブー」というような、コードがあるにちがいない。ペニスケースについてよく知らないで言っているのだけど。

 結婚式にパジャマででたら、何かの余興用の衣装と思われる程度ですむが、日本の衣装コードだと、葬式に「赤い靴」を履いて出席したら、確実に遺族からにらまれる。

<つづく>
00:59 コメント(5) 編集 ページのトップへ
2008年07月13日


ぽかぽか春庭「裸足の400メートル」
2008/07/13
ぽかぽか春庭やちまた日記>裸足の季節(4)裸足の400メートル

 裸足で授業しても、誰にとがめられるということもないのもかかわらず、授業中落ち着かない気分でいたのは、やはり、私が「大学教師衣装コード」という、「無いようで、ある」ものに、しばられていたせいだ、ということが自分自身はっきりわかった。

 大学教師衣装コード、といっても、科目にもよるが、私立のほうが、「きちんとした格好」で授業することを求められる。
 しかし、最近の国立の若い男性講師には、ジーンズにTシャツで授業に出る人も増えた。
 芸術系の場合、スーツにネクタイなんて人のほうが少ない。

 国立で任期制ではないときの専任職の場合、けっこう自由度が高い。
 非合法な事件やセクハラ事件でも起こさない限り、服装の問題で首にされることなどないから。
 にもかかわらず、やはり、「シバリ」はあるのだ。

 私はいつもよれよれのシャツ&パンツスタイルで講義しているが、他の女性教師たち、みなそれなりにシャンとした服だし、特に年を取った女性たちは、勝負服としてスーツがお気に入り。カッチリ決めて仕事に臨む。

 「服なんて、気にしたことない。夏は裸でなければそれでよし、冬は寒くなればそれでOK」という服装ポリシー持ち主のつもりだったけれど、案外「服飾文化コード」に忠実な自分を発見した。

 私は、「他の人と同じ行動をとる」「社会常識からの逸脱をさけ、多勢に同化しようとする」という「日本社会のありかた」にいらだちを覚える方だ。

 それでも、服装に関しては、今後も、私は葬式に赤い服で出ることはしないだろうし、結婚式に招かれたら、花嫁花婿の親戚一同ににらまれないような服装は準備する。
 まあ、衣装にかんしては、社会生活上ごく平凡な、常識的衣装生活をおくるだろう。

 どんなポリシーがあろうと、服装コードごときにひっかかって悶着おこすほど、タフな精神を持ち合わせていない。

「男性はスーツかタキシード、女性はカクテルドレス以上の服装で」なんていう衣装コードを掲げるパーティやレストランなんぞには近寄らないし、学校の入学式卒業式にでるときは、それなりの見た目を準備するだろう。

 そう、私は、たかが「裸足で授業」程度でどきどきの気の弱い人間であるのだから。

 そんなことを考えながら、大学から最寄り駅まで歩いた。

 コンビニにもビーチサンダルやスリッパを売っていないとなると、次なる手段、隣の駅のイトーヨーカ堂までいって、履き物をなんでもいいから買わねば、と思って最寄り駅の前へ来た。

 コンビニから最寄り駅前までは400~500mほど。
 私が裸足で歩いていること、みんな気づかないみたい。うん、私の美しさにみとれるあまり、足には目がいかないのでは、、、、と信じて歩く。
 気分は「裸足の女神」、、、?

 駅前の冴えない洋品店に「大特価夏のサンダル」というのを売っていた。
 Lサイズのつっかけサンダル。う~ん、Lかあ。私の足、22センチ。

 特価サンダルの山の下のほうに、一足だけMサイズ。おお、これだ。色も形も、もはやカンケーない。Mでも、サンダルのかかとが1センチくらい大きいけれど、ま、いいか。
 大特価450円だった。

 とにかく、これで「はだしの日本語教師」からは脱却できる。
 駅前からの帰り道はサンダル履いて、堂々と歩く。

 「私の足を、だれも見ませんように」と、おそれることもない。
 だいたい、裸足で歩いたからといって、とがめられるわけでもない。

 無事「つっかけサンダル」を買えたからよかったものの、一日中裸足で動き、「隠れ特殊宗教信者」みたいな気持ちでいたら、よりいっそう疲れてしまったかも。

 現代において、「人前で何も履き物を足につけずに歩く」ということが、これほど「人目をはばかる」気分になるということに気づいた半日であった。

 次回から、シドニーオリンピック陸上400メートルの金メダリスト、キャシー・フリーマンやアボリジニアーティストのお話です。

 この「裸足の400メートル」は、次回の「裸足の1500マイル」のマクラとして書かれたのでして、「世界は足下から崩壊する」という大風呂敷タイトルには、ほど遠い話でした。すみません。

 次回からの「エミリー・ウングワレー」全15回連載は、30歳まで「文化人類学者になりたい」と思っていた春庭渾身の力作、と、また大風呂敷を広げまして、、、
 「エミリー・ウングワレー」シリーズは、『裸足の1500マイル』という映画の話からはじまります。

<おわり>

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