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サクラ咲かそう2008年5月

2011-02-15 13:20:00 | 日記
2008/05/10
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>来年も桜さかそう(1)留学生から合格メール

 桜前線、北海道最北端までのぼり、全国の花見シーズンがおわりました。
 来年もまた花見が楽しめますように。

 桜さくのを待っているころ、仙台で学ぶリーエンさんから、うれしい「桜咲くメール」が届きました。
========== 
(リーエン より)
合格しました  Date: Fri, 21 Mar 2008 04:52:45 +0000

先生、お久しぶりですね。お元気ですか?
もうすぐ春が来ますね。東京の桜が咲いてくるそうですね。私達は四月13日に大河原で花見の計画があります。初めてなんですから、期待しています。

私やっと試験が終わって、四月から入学になります。来週は入学試験のためにスーツを買うに行くつもりです。
これから英語の論文や実験のことも山のようにきます。もっとがんばらなければなりません。

ご健康を祈るように。
リーエン
================

 昨2007年に、中国で受け持った教え子たち。中国全土の大学若手教師から選抜され、日本で博士号を取得すべく留学してきた留学生です。
 昨年10月に来日し、半年間、日本語の上達と研究準備、大学院博士課程入試準備に没頭してきました。ほとんどの人が、2月を中心に博士後期課程の試験を受け、4月入学を決めています。

 上記のリーエンさん、東北地方の大学でナノテクノロジーの研究をしています。
 まさに今、桜爛漫と咲いたようなメールをくれました。はじめての花見を楽しみにしているというメールでしたが、きっと楽しい春満開のお花見を堪能したことでしょう。
 博士課程に入学した教え子たち、よい研究が実るように祈っています。

 今年はダメでした、来年もう一度受験します、というメールも届いています。
 国立大学の博士後期課程の入学試験は、とても難しい。
 特に、文系の場合、大学内のポストが少なくて、オーバードクター(博士号を得ても就職先がない、フリーター状態の博士たち)がどんどん増えていることなどもあって、試験はいっそう厳しくなっています。

 全中国から選ばれて国費留学生となった教え子たち、それぞれの研究で博士号をとるため、博士後期課程の入試を受けても、全員が合格できるという保証はありませんでした。
 専門の研究と英語力が重視される理系に比べ、文系は日本語力が重視されます。日本語で博士論文を書く場合が多いからです。

<つづく>
04:38 コメント(4) 編集 ページのトップへ
2008年05月11日


ぽかぽか春庭「再チャレンジ食事会」
2008/05/11
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>来年も桜さかそう(2)再チャレンジ食事会

 2006年の10月から日本語の初歩を学びはじめて、1年半ですばらしい上達をみせた教え子たちですが、日本語で博士論文を書く日本語力となると、そうは簡単に身につきません。やはり、文系の学生にとっては、試験は難関でした。

 ジュンさんは、教育学を専攻する留学生。
 私の受け持ちクラスではなく、隣のクラスだったのですが、何回か読解の授業を受け持った縁で、隣のクラスの学生たちとも知りあいました。
 ジュンさんは、日本語の文を朗読するのもじょうずで、いつもニコニコと愛らしい女性研究者でした。

 来日以来、半年間、日本語能力向上に切磋琢磨してすごしてきても、すんなり博士後期課程に入学するのは難しい。ジュンさんも、2008年4月の入学はかないませんでした。

 ジュンさんからのメール。
================
 先生  最近いかがでしょうか。お元気でしょうか。
 桜が咲いて、お花見しましたか。
 本当に申し訳ありませんでした。遅く先生に連絡しました。

 先生の手紙を見ると、私の心はとても暖かくなりました。
 そのとき、私は日本語の期末テストと博士の入学試験のために、頑張りました。
 私は先生から力をいただいて、何も言わずにけれども、腹から感謝の気持ちを持っています。本当に先生に直接にありがとうございますと言いたいです。

 ですから、もし先生はいつかご時間があったら、連絡していただけませんか。とても先生とお会いしたいです。
 楽しみにしています。
ジュンウェン(Mon, 7 Apr 2008 21:37:29 +0900)

 入学試験については、残念ながら、合格できなかった。これから、来年の試験のために、もっと頑張りたいと思います。先生は心配しないでください。
 私も困るとき、先生に連絡させていただきます。
 では、集まる日を楽しみにしますね。
ジュンウェン(Tue, 8 Apr 2008 23:11:32 +0900)

==============

 他の中国教え子の留学生たちは、ほとんどが医学工学などの理系で、同じ大学に友達がいる人も多く、ストレス発散のおしゃべりもできます。でも、ジュンさんは教育専攻なので、たった一人で教員養成系の大学に留学しました。

 4月、新学期が始まってから、吉祥寺のロシア料理店にジュンさんをおさそいしました。
 来日してから、今まで博士後期課程の試験勉強や、修士論文を日本語に翻訳する作業をつづけてきたのに、不合格になってしまったジュンさん、がっかりしているかも知れない、と心配しながら会ったのですが、ジュンさんは、「先生、私はだいじょうぶ、来年がんばります」と、明るかったです。

<つづく>

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2008年05月12日


ぽかぽか春庭「めざせ博士号」
2008/05/12
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>来年も桜さかそう(3)めざせ博士号

 博士後期課程の入試に落ちてしまったジュンさんが、「ひとりぼっちで、不合格のつらさに耐えているのではないか」という心配は、杞憂でした。

 昨年10月に来日したときから、先に日本に来てエンジニアとして働いているの恋人といっしょに住んでいたのです。
 「あらあ、恋人といっしょだったのなら、心配しなくてもよかったわね」と、わらいました。

 中国での教え子のうち、ほとんどの人がが結婚していましたが、80%は同じ大学で学んだ同窓生、あるいは大学同僚との結婚でした。
 クラス最年長、名古屋で大学経営論を研究するリューさんにいたっては、「妻は中学、高校、大学、ずっと同級生。今は銀行の副頭取をしています」といっていました。
 ジュンさんの恋人も、同じ大学の人。

 博士課程に合格したら結婚の届けを出すそうなので、結婚届の提出もちょっと延期になったけれど、希望をもってすごして、来年は博士課程合格と、結婚のふたつの花が咲くことでしょう。

 昨年、中国では、自分のクラスの学生コンパのほか、いつもジュンさんのクラスのコンパにも招いてもらい、カラオケでうたったり、おいしい中華料理を食べたりしてきました。全部学生たちのおごりでした。

 中国ではコンパに先生を呼ぶ場合、完全にご招待です。先生がお金を出したりしたら、失礼なことになるのです。
 日本では、学生と教師がいっしょに食事したら、教師がおごるんだよ、と、日本の習慣について説明し、「今日のロシア料理は、私のおごりだから、たくさん食べてね!」

 ジュンさんは、「グルジア式チーズパイ」を頬張りながら、「先生に教えていただいたのは、読解の授業を10回くらいでした。でも、わたしにとっては、この10回の授業は、人生のなかでとても大きいものになりました。いつも元気で、にこにこしていた先生の授業が大好きでした」と、言ってくれます。(そりゃ、おごられている時に、あなたの授業はつまらなかったとは言えないけれどね)
 
 ジュンさんの出身大学は、私の、若い友人ランリンが日本語講師をしている大学です。
 ランリンも準教授の試験をめざしてがんばっています。去年、はじめて挑戦した昇任試験に不合格だったときは、ずいぶん落ち込んでしまったようですが、娘さんシンシンちゃんに励まされて、再チャレンジを決意した、というメールをくれました。

 そう、一度うまくいかなかったからといって、あきらめることはない、何度でも夢にむかって挑戦を!

 ランリンが住む町は、ジュンさんのふるさと。一人っ子のジュンさんを日本へ送りだし、心配しながらも応援してくれる故郷の両親の顔を思い浮かべ、日本語を共に習った学友たちの顔を思い浮かべながら、ジュンさんは、来年へ向けてまた新しい一歩を踏み出しました。

 東京で忙しい留学生活を送っていると、中国で日本語学習に励んだ日々がなつかしい、とジュンさんは言います。日本語学習で切磋琢磨、助け合い競い合った1年間。
 クラスメートそれぞれ、自分の夢にむかってすすんでいます。ジュンさんも、しっかりと来年へ向けて歩んでいくことでしょう。

<つづく>
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2008年05月13日


ぽかぽか春庭「夢にむかって」
2008/05/13
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>来年も桜さかそう(4)夢にむかって

 ジュンさんのクラス「博士3斑」の15人、私が担任した「博士2班」の22人、北海道から九州まで、日本各地の大学へ留学しました。

 ジュンさんは、2006年10月から2007年9月まで、中国教育部直属の教育機関で日本語を学びました。
 中国人大学教授たちと、文科省より派遣された日本人講師が協力して日本語を教える、国家プロジェクト。私は2007年度の文科省派遣教師でした。

 毎年100人前後の学生が、このプログラムで日本国文部科学省国費留学生となり、日本に留学しています。
 100人は、20人ずつ5つのクラスに分かれて日本語を学んでいました。「博士一斑」から「博士五班」まで。

 日本に来てしまうと、なかなか、かって同じクラスだった友達にも、会うチャンスはありません。
 私のクラス「博士二斑」は、年末とお正月に、東京で「ミニ・クラス会」をして、餃子パーティや「日本の家見学会」をしました。

 これは、「博士二斑」の担任リー先生が、現在日本の大学で研究研修期間中で、いっしょに日本にいるおかげ。担任の先生と教え子が同時に日本へやってきた、めずらしいケースです。

 ジュンさんのクラス「博士三斑」の担任先生は大阪在住なので、まだ、東京に住むクラスメートたちのクラス会は行われていません。

 トンシャオさんは、ジュンさんのかってのクラスメートのひとり。
 私は、二人が在籍しているクラス博士三斑の読解授業を担当しました。
 日本のロボット工業の文章を読解するときはアトムやアシモの写真、鎌倉の歴史について読むときは、大仏や鶴岡八幡宮の写真など、さまざまな画像を読解の助けとして読んでいきました。

 今はインターネットから拾えるので、読解参考資料づくりが13年前に比べればずっと楽でしたが、それをパワーポイント教材にととのえるのに、一晩がかりだった。これも、1年たつ今では、なつかしい思い出。

 読解という名の授業なのに、文章を読みとることよりも、「日本文化紹介」の授業になってしまいましたが、ジュンさんもトンシャオさんも面白そうに、日本の生活のあれこれについて聞いてくれました。

 トンシャオさんは、私が出講している国立大学のひとつに留学しました。工学部大学院で工業デザインの研究をしています。
 理系の彼は、2月の入試に無事合格し、博士後期課程の大学院生になりました。

 大学院の研究と同時に、国際教育センターで日本語を学ぶトンシャオさん。
 彼と話をしていたら、ジュンさんが2007年後期に留学先の大学で日本語を習ったY先生と、4月からトンシャオさんが学ぶ日本語クラスのY先生は、同じ先生だということもわかりました。

 非常勤講師はあちこちの大学を掛け持ちするので、大学が異なっても、同じ先生に習うこともありえます。
 私も、国立大学2校と私立大学2校を掛け持ちで週5日授業をしています。
 以前から劣悪な条件で働いていた語学教師は、国立公立大学の法人化により、ますます過酷な条件であちこち掛け持ちしています。それでも食べていけません。

 ジュンさんとトンシャオさんが1年前、私の教え子だったことについて、偶然のことながら、「これもご縁ですね」と、Y先生と講師室で話しました。
 こんな偶然を知ると、100人の留学生が日本全国に散らばってすごしていても、どこかにつながりがあるもんだなあ、と思います。

<つづく>
02:44 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2008年05月14日


ぽかぽか春庭「加油!」
2008/05/14
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>来年も桜さかそう(5)加油!

 トンシャオさん、去年は、研究留学生だったから、朝お弁当をつくって持ってくる余裕もあったけれど、2月に博士後期課程に合格し、4月から博士後期課程大学院生になったら、本当に毎日忙しくて、あまりお弁当を作れなくなった、といいます。
 大学内の食堂で、お昼ご飯をいっしょに食べることにしました。

 5月2日、トンシャオさんとランチ。
 図書館近く、大学会館のレストランで。あまりおいしくはないけれど、ワイワイしている生協学食よりは落ち着いて食べることができます。

 トンシャオさんの悩みのタネは、やはり日本語。
 大学院の指導教官と話すときは、先生が気をつかって専門用語などを説明しながら言ってくれるので、大丈夫だけれど、問題は、大学院生同士のディスカッション。

 日本人院生たちの会話は、とても早いし若者言葉も混じるし、専門用語の解説なしに話がすすむので、ディスカッションなのに、自分の意見を言うこともできない、と、トンシャオさんは嘆いていました。
 だんだんに耳がなれてくるし、若者言葉も覚えていくから大丈夫、と励ましました。

 トンシャオさん、若者言葉の会話に悩みつつも、とても元気で、研究の抱負を語っていました。
 また、北京オリンピックに日本人を連れて行くボランティアスタッフに応募したので、運がよければ、スタッフに選ばれるかもしれない。そしたら、この夏にはボランティアとして日本人といっしょにオリンピック見物ができるんだけれど、、、と、言っていました。

 「北京オリンピックも見たいけれど、なにより、日本人といっしょに行動していれば、自分の日本語の勉強にもなると思うので」と、語るトンシャオさん。
 応募する中国人留学生はとても多いそうなので、「宝くじ」みたい、ということですが、うまく当たるといいね。

 「ジュンさんトンシャオさんのクラスもそのうち集まってコンパをすることがあるでしょう、そのときはまた、私やチュンツォン先生も呼んでね」と、トンシャオさんに話しました。

 14年前に中国で教えたときの教え子のひとりに、耐震構造の研究をしている女性がいました。
 自分が子供のころに経験した四川省の大地震を心にきざみ、地震に耐える建物を研究しようと志したのです。

 たぶん、政府の建物などには、耐震構造の研究成果が生されていることだろうと思います。
 でも、一般の人の家までは、まだ耐震構造がいきわたってはいない。
 彼女が望んだ「二度と地震のために人が死なないように、丈夫な家を研究する」という志が、かなうのはいつの日でしょうか。
 きっとその日をめざしていることでしょう。

 留学生たち、みな日本での研究生活、かんばっています。
 私も授業と研究、がんばるよ。
 加油!チャーヨゥ!

<おわり>
08:16 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2008年05月15日


ぽかぽか春庭「ホワイトフォックス」
2008/05/15
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>桜さいたランチ(1)ホワイトフォックス

 3月4日に、コピルアックを飲んだ店、ホワイトフォックス。
 ランチの「サーモンマリネとイクラとアボガドのどんぶり」、とてもおいしかったので、息子と娘にも食べさせようと思いました。
 ちょっとしたお祝い事があったので、3月14日、いっしょに「ホワイトフォックス」へ行きました。

 2006年10月にオープンしたレストラン&日本酒ワインバーは、洋食に和食を取り入れた創作メニューがウリの店。店名は、「王子の狐」に由来する「ホワイトフォックス」です。

 オーナーシェフ:トレバー・ブライスさん。HPに詳しい料理修行歴、コンテスト受賞歴があります。イギリスやフランスの三つ星レストランで修行をつんできました。
 サブシェフ:八木晴絵さん。笑顔が愛らしい美人シェフ。トレバーさんの兄弟弟子シェフのもとで修行をしてきました。 
 サービス:ひろみ・ブライスさん。天才シェフを支えるしっかり者の奥さん、こまやかな心づかいを見せてくれます。

 トレバーさんは欧州の数々の料理大会で優勝し、2000年に来日しました。
 長野や東京銀座のレストラン総料理長として活躍。著書『モダン・ブリティッシュの秘密レシピ』(日本放送出版協会2002)
 2007年には国際的な大会「Eat-Japan創作寿司第六回コンテスト」で優勝しました。
http://www.eat-japan.co/sushuaward/sushi_competiotion.html

 お昼ご飯と夕食の間の空いている時間をねらって行ったのですが、3月14日に予約しておいたら、ねらったように「東京大雨注意報」が出た。
 びしょぬれで店に入りました。さっと一筆書きしたような洒脱な狐が描かれている、ホワイトフォックスの看板も濡れています。

 食べ始めたときに隣のテーブルにいた二人連れの女性客は、私たちがスープを終える頃にはいなくなり、私たちが出ていくとき、男性ひとり客が入ってきました。
 テーブル3つに10脚、カウンター8脚の小さな店内ですが、私娘息子の3人、貸し切り状態でゆったり食べることができました。

 コース料理といっても、テーブルごとに盛り皿がおかれて、とり皿に各自が取り分ける、という気軽な居酒屋風コースです。和風と洋食のフュージョン料理だから、お箸も出してくれます。

 ホワイトフォックスでの食事。3人前、デザートとコーヒー含めて1万円の予算でアレンジをお願いしました。
 ひとり3千円ちょっとのコース、といえども、我が家の外食では、「高い方」なのです。ちょっと高いけれど、お祝いだから、奮発。

<つづく>
06:09 コメント(2) 編集 ページのトップへ
2008年05月16日


ぽかぽか春庭「フルコースでおめでとう」
2008/05/16
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>桜さいたランチ(2)フルコースでおめでとう

 え~、ちょっとしたお祝いというのが、何のお祝いかというと、、、、「ダイエット成功祝い」じゃないことだけは確か。

 ホワイト・フォックスのメニュー
・本日のスープ・きのこと豆腐の和風コンソメスープ(わけぎとレモンジュースと醤油が隠し味)
・モツァレラチーズとトマト&バジルのブルスケッタ(フランスパンの上にチーズ&トマトのせ)
・新鮮野菜のサラダ 味噌ドレッシング
・クリームチーズムースと大根
・海老のグリル ニンニクとハーブ風味 マーシュとミズナ添え
・サーモンとアボカド、イクラのご飯物
・デザート 私ダークチョコレートとくるみのケーキとオレンジピールのスパイシー風味添え 娘ブラックライス部ディング、ライムとジンジャー風味のパイナップル添え 息子バナナと黒ごまのバヴォワーズ梅酒のグラニテ添え(バナナムースの上に梅酒シャーベットが乗っていた)
・紅茶と珈琲

 私は、グルメではなく、食事に関しては「おいしい」「とてもおいしい」というくらいしか表現力がないのですが、トレバーシェフの独特の味の世界は、味音痴の私にもよく分かりました。
 自分自身の味の世界を追求する姿勢がよくわかる個性ある味でした。ほんとにおいしかった。

 味にうるさい娘と、他の人が大勢いるなかで食事するのが苦手な息子、ともに満足のランチでした。
 ま、当分「フルコース」など食べる機会はないでしょう。
 「貧乏なうえに、さらに貧乏になるっていうお祝い」のフルコースだったのです。

 収入は減る一方ですが、支出は増える一方。
 去年、息子が大学生になって、私立だもんだから、学費がかかる、卒業までたいへんだなあと思っていました。
 それに加えて、もう一人分さらに私立大学の学費がかかることになりました。

 息子に加えてもう一人学生が増えたのはどうしてかというと、私自身が学生になったから。
 っていうのは、私の年来の夢の実現にむかってのプロジェクト、スタートしたのです。
 大学院の博士後期課程を受験し、合格しました。
 大学講師の仕事をつづけながら、博士課程で学び、博士号をめざすことになりました。

 私は、修士号を取得し日本語教育能力検定試験にも合格しているので、今の仕事を続ける上で不足はありません。
 でも、博士号をとりたいというのは、私の年来の夢なのです。

<つづく>
06:27 コメント(7) 編集 ページのトップへ
2008年05月17日


ぽかぽか春庭「出発(たびだち)は何度あってもいい」
2008/05/17
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>桜さいたランチ(3)出発(たびだち)は何度あってもいい

 私の同僚には、コツコツと論文を書き上げ、大学に提出して審査をうける「論文博士」で博士号を取得した人もいます。でも、元来怠け者の私には「コツコツの努力」は不向きです。

 それで、指導教官を得て、「研究計画」のプログラムに沿って発表や学会論文をこなしていく「課程博士」で、博士号をめざすことにしました。
 指導教官から、ムチを入れられながら、叱咤激励を受ければ、なんとかゴールをめざせるかもしれません。
 「コツコツ」のかわりに「締め切りに追われるレポート」と「発表」を積み上げていく方式。3年間の課程で博士論文が書き上がるかどうかは、ちと不安ですが。

 英語の苦手な私、入試に一回で合格できないだろうから、今年は来年のための「お試し受験」と思い、受験願書受付締め切り日の夕方、願書を大学院事務所に提出しました。最後の応募者であろう私の受験番号は33番。9名合格というので、三倍強。こりゃダメだ、とあきらめて、英語の復習もせずに出たとこ勝負で試験に望みました。

 お試しのはずが、ラッキーなことに合格したのです。10名合格していたので、1人多い。たぶん、このオマケの一人がわたし。
 これで一生の運を使い果たしたのではないことを祈っています。宝くじ1億円もあてたいので。

 この挑戦は、去年受け持った教え子たちからの刺激によります。
 つぎつぎに「博士後期課程に合格」という知らせが入り、「ハカセ、いいなあ、私も博士号とりたいっていう夢、もう一度追いかけてみようかなあ」という気になってのチャレンジでした。

 15年前、私が修士号をとったとき、息子は4歳でした。
 子育てと大学院での研究と、日本語教師の仕事と夫の会社の手伝いと、4足のわらじを履き替えながら暮らしていた日々。
 今から思うと、よくもあんなサーカス綱渡りみたいな生活ができたと思います。

 なんとか修士号取得にたどり着けたのは、家族みなが大病にかからず、事件事故にあわなかったおかげと、運の強さに感謝しています。
 私が倒れても、姑に介護が必要になっても、どこかひとつ歯車がかけちがえば、達成できないめぐりあわせ。

 しかし、大学に再入学してから8年間続いた「主婦兼母兼日本語教師兼会社アシスタント兼大学院学生」という忙しすぎた日々に疲れ果てていて、博士後期課程への進学は断念しました。
 「娘と息子が成人するまでは、子育て優先。子供の食費をかせぐことが第一」と、博士号への夢を封印したのです。

 その息子が、今19歳、大学2年生。今年の秋には、20歳になります。
 夢への封印を解いてもいいころです。
 私もずいぶんと年をとってしまいました。でも、チャレンジに年齢は関係ない。
 「夢を実現しよう」と決意したときが、「そのとき!」です。

 息子と娘が合格祝いをしたいと言います。
 それで、コピルアックを飲んだ店ホワイトフォックスへ行って、「サクラさく、合格おめでとう!」の、楽しい食事になりました。
 あ、「ハハのためのお祝い」と言っても、支払い担当は私です。

 自分のために学費入学金を支払ったら、乏しい貯金は底をつき、息子の学費はまだ払っていません。学費未納による退学勧告が来る前に、ジャンボ宝くじあてなくちゃ。

本日の徘徊俳諧
博士望む女弟子いて山笑う


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