2012/02/03
ぽかぽか春庭十二単日記>写文ぷうさんの日記(1)2006年2月3月ぷうさん日記
カフェが消滅するということで、慌てて自分のカフェ日記をヤフーブログにコピペして、2月中にはgooかOCNブログに引っ越しもするつもりです。
今カフェ日記を書いている方々の移転先のお知らせも入ってきて、せっせとお気に入りに登録を続けています。
ふと、気になったのは、カフェ日記を続けていない人たちの記録。自分の意志で、もうブログは続けないと決めたのならいいのですが、自分では移転作業ができない方のカフェ日記もあります。それがそのまま消滅してしまうことになる。
私はこのカフェ日記を娘息子へ残す墓誌のつもりで書き始めたので、文字通り墓誌ともなった方の記録がそのまま消えてしまうのかと思うと、残念な気がします。
カフェ日記の書き手であるmitsubaさんが、亡くなった高校生の詩を書き写していたことを思い出し、私も亡くなった方の日記をコピペしておきたいと思います。
カフェ日記の中では、「ぷうさん」と名乗っていましたが、本名も知らないままでした。ぷうさんが、亡くなるまでの2年間、カフェ日記の中に生きていたことを、私は忘れたくない。著作権の問題はあるでしょうが、たったひとりのお身内であるお母様は高齢でもあり、ぷうさんがカフェに日記を書いていたこともおそらくはご存じなかあったのではないかと思います。
もうひとりのお身内、ぷうさんのお姉様。ぷうさんに骨髄移植をしてあげられるドナーとして、お医者さんから打診され、ぷうさんも懇願したのですが、さまざまな事情から、お姉様はドナーになることを断りました。ぷうさん側から見れば、ドナーがいれば助かったであろう妹の命を見殺しにした姉に思えます。他のドナーを探すには時間がかかり、万が一ドナーが見つかったとしても、そのころには、ぷうさんの体が移植手術に耐えられない状態になってしまう、というギリギリの選択で、ドナーとなることを断られたぷうさんの絶望は大きく、日記の最初のころは「鬱」の文字が頻出しました。
カフェ日記への励ましによって、鬱からは脱出したけれど、2006年2月に始まったぷうさんの日記は、2007年5月を最後に途絶えました。1年4ヶ月のぷうさん日記をコピーします。
ひとりひとりのコメントも貴重なものと思いますが、コメントにも著作権があるでしょうから、haruniwaからのコメントのみコピーします。
~~~~~~~~~~~
ID f046oj2c
住所 長野
性別 女性
誕生日 02月27日
<2006年2月&3月 ぷうさんの日記>
・2006年02月24日
鬱のようです
今日は眠れません。気が高ぶっています。
家の犬のキヤスターくんは今頃に元気に騒いで寝ません。こんな日は意味もなく涙が出てきて止まりません。鬱のようです。こんな日が何日も続きます。このような時は何か書きつらねます。手紙も好きですかきはじめるととまりません。今私は癌の病気です。私にのこされたこと何か書き留めることしかありません。もしかすると誰かが読んでくれるかもしれない。私という存在がいたことを知ってくれるかも知れないから、本当に辛い痛い日々ですが、まだ生きているから明日死んでしまうかもしれないけれど、、、「やっと寝ましたたくさん遊んで、いびきかいてます」私は眠れません、涙もでています。
やはり気が高ぶっています。やはり薬を飲むしか心が落ち着きません。精神安定剤です。動悸が速いこのままだと過呼吸になります。本当にいやですね。、、、
03:31 コメント(1) ページのトップへ
・2006年02月27日
雨の日
雨の日は好きです、においが好きです、こんな日はお香をたいて心静かにしていると落ち着きます。今日も私は生きてます。一日雨で寒いです。病院に行かなくてはいけないのに、体中痛くて起きれません。薬を飲んでも効きません。こんなときはさすってもらうのがいいのです。立つこと出来なくて横になっています。早く暖かくならないかな・・・少しは楽になるのに、今日も眠れません。また憂鬱になります。ps
今日も生きれたからいいです。胃がいたくなってきた。
03:42 コメント(0) ページのトップへ
・2006年02月28日
寂しいな・・・
今もう4時だけど27日はお誕生日でした
ここ何年間は病院でしてくれました。何の楽しみもない日々で楽しめるのは、花火、クリスマス、ドクター、ナースのコンサートや仲良くなった患者さんとのメールや会話ぐらいです。色々な病気をかかえてる人達の苦しみをお互いに話すことで少しでも気がはれればいいので、聞いてあげるいうことが一番の薬になるのです。皆孤独ですから・・・心の中は涙でいっぱいですから毎日、不安でたまらないのです。直らない病気としっていたとしても生きるしかないのです
・2006年03月02日
今日は・・・
今日は少し暖かくて少し動けます。寒い日は体温調整の出来ない私には辛い日です。毎日何故こんな病気になってしまったのか考えます、何罰のあたる悪いことしたのだろうかと・・・何故姉と義理の兄は助けてくれなかったのだろうと同じこと繰り返し考えます。医者から寝たきりになりずーと苦しみながら生きて、いつ死んでしまうかと不安を感じながらいることの辛さを二人は私に与えたのだろう、二人に何罪なことしたのだろう、なんの仕返しだろう、こんな辛い仕返しは普通の人間には出来ないだろう・・・と悩む毎日です。強い薬で髪の毛がまた抜けました。薬を飲まないと生きていけないなんて、こんなに苦しくて辛いなら生きていてもしょうがないかもしれない辛さからのがれられるならと・・・思う日々です。
12:48 コメント(1) ページのトップへ
・2006年03月03日
時間がさかさまに
また眠れない日が続いています、夜更かししてますでも昼間も眠れません。気がたかぶってますだから苛々して心が落ち着きません。こんな時は自然と涙が出てきてしまいますどうすることも出来ません泣くだけ泣くしかないのです。今とても寂しいです病気にならなければ好きな人と一緒になれたのに辛い別れをしなければならない。私の大切なもの全部奪っていってしまう、子供もほしかった、社会にもでれず外の生活ができず家にいるか病院にいるかの生活に疲れました。寂しいです・・・こんな生活を止めてしまいたい
01:45 コメント(0) ページのトップへ
・2006年03月04日
辛くて・・・
私は何故こんなに毎日苛々してるのだろう
血液の癌と宣告されてからの辛い日々が黄泉がってきて、抗がん剤投与、心臓が止まるかもしれない検査など沢山の治療をしたのに、骨髄移植ができなかったそれしか助かることができないのに、姉、義理の兄、兄の親が許してくれなかったため今私は寝たきりになってしまった。いずれはこうなるとわかっていても助けてはくれなかったいまの私には何も楽しいことなんてない。
苦しいことだけ、辛いことだけしかない
なんと寂しいことだろう・・・
だれか楽しいこと教えてください。
02:46 コメント(3) ページのトップへ
世の中はどうですか
病気で外に出れない私はもう3月なのに世間は毎日めまぐるしく過ぎているのだろうか友達とも離れて家にとじこもっているだけしかなくて、前はよくでかけた仕事のあと友達と楽しい時間があったのに、なにも話をしない日々がつづく一人でただぼーとしているだけ長い1日がはじまる今は誰かと話がしたい・・・でも出来ない
健康でもなにもしない人、・・・くやしい
病気でもなにかしたいでも社会にはでれない・・・辛い、苦しい、もとの体にもどしてほしい・・・かなわぬ願い・
18:01 コメント(0) ページのトップへ
・2006年03月05日
無理かもしれない
今夢中になれることしたらと励まされました。でも、あまり動くこと出来ない私には出かけることも、旅行も趣味で何かすることも中々出来ません。寝ながら本、やdydを見ることぐらいしかできません。いつも痛みがあるから横になっているしか・・・出来るならなんでもしたいでも私の体の状態では無理なのです。残りの日々、時間を寝たきりに過ごすしかないのです。歩けたら何でも出来るのに・・・出来ない
このはがゆさが苛々して、鬱状態になってしまう、自分ではどうすることもできない何も望めないのです。あきらめるしか・・車椅子ででかけても少しでも痛みがやわらいでいるときしかだから時間が限られてしまう。なにも望めない・・・
23:37 コメント(0) ページのトップへ
・2006年03月07日
やっぱりね・・・
今日は病院にいきました、やはり思っていたとうり薬が増えました。痛みがとれない薬が効かないのです、いつもなら飲むと効いてくるのですが足、股関節、などの痛みに効き目がなくて強い薬のため髪の毛も全部抜けてしまったこと、せっかく伸びたのに今頃になってまたつらい鬘をかぶらなくてはと思うと憂鬱です。でも13種類の薬をのまなくてはならないことの方が辛いです。体温調整が出来ないので寒くなったり暑くなったりが激しいのです。drも家にずーといるんだね・・・鬱がひどくなっているねとごめんね直せなくてと言われました薬しかだせなくてとこれからどうなるのだろう・・・私の体・・・
02:02 コメント(0) ページのトップへ
鬱です
難病で特定疾患の病気はなおりません。
どんなにがんばってもむりなのです。
この病気にかかると直す薬は無い。
いつ死んでしまうのかという恐怖に耐えるしかありません。
02:12 コメント(1) ページのトップへ
・2006年03月09日
苛々して
今日は1日中胃とお腹が痛くて薬を飲んでもおさまらなくて、母に八つ当たりをしてしまいました。一生懸命に私の面倒を自分も骨接して足が痛いのになのに私は母に自分の苛立ちをぶつけた感謝の言葉をかけてあげなければと思うのですが・・・
まだ寒くて外にもでれない苛立ちはピークになってました。1番心配してくれているのに何もできない歯痒さから・・・
いま鬱の状態です。心に落ち着きがないのです
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・2006年03月11日
私の1日
私の日々は毎日ばらばらです、時間が違います、眠れない日が続く日は昼間も起きていますのでほとんどおきてます。体の調子がいいときはご飯をつくります、もちろんすわってですけど、何日も眠り続けるときはご飯もなにも食べずにただ眠ったままで母が心配して起こしますが本人はきずかずにいます。何かするときはすわってしか出来ないからほとんど出来ないけど・・・
寒さに弱いから暖かい日しか動けません
体に痛みがはしって動けないのです
これからは暖かくなるので母と車椅子で散歩にいきます近くの駅まで行きそこで休んでお茶飲んで帰ります。それだけでも楽しいです、人に逢えるからです、外に出たいです・・・少しでも
03:18 コメント(0) ページのトップへ
・2006年03月13日
また冬に
今日また雪がふりました
昨日は4月の暖かさなのにまた寒い日です
寒くなると私は動けません。体が硬直して痛みが体中に走ります、だから横になっているしかないのです。部屋を暖めてもだめです寒いのに汗をかくのです、体温調整が出来なくてひや汗が出てきてまたすぐ寒くなるのです。こんな日は薬を飲んでもききません・・・あぁ早く暖かくならないでしょうか春が待ちどうしいです。
暖かくなれば散歩にいけるから・・・
車椅子だけど・・・元気でいれるだろうか
02:07 コメント(1) ページのトップへ
・2006年03月14日
友達に・・・
ある人が私の日記を見て友達にといってくれました、嬉しいです私が病気になり最初はよかったのです心配もしてくれてでもだんだん離れていきました、苦しむ私を見てどうすればいいのか分からないまた自分の生活もあるし私にばかりかかわっていられないのでしょう私は同じように苦しんでいる人達と入院してる人と仲良くなり少しでも楽しい日々を病院で過ごしました。
お互いに慰めあい病気にまけないようにとでもみんな死んでしまいました。でもいまその人達の分まで生きています。これからも少しでも長く生きたいと思います。辛い日々ですが・・・
03:00 コメント(2) ページのトップへ
・2006年03月15日
寒いけど
今日銀行に出掛けました、atmでするとき車椅子だと画面が見えませんでも低くするわけにも出来ないので杖をついて立ちます、そのときに後ろに寄りかかる手すりがあると楽なのですが寄りかかる所があると少しは立っていられるのです。何か書くにしても座って出来る場所が1つでもあると嬉しいのです、棚が高くて・・・昨日は朝方まで眠れず薬を飲んでから寝ました、いつもの通り目が覚めたのが夜の22時でした。
私の病気は眠れないと何日も徹夜して眠れません、でも突然眠りに入ると何日も眠り続けます、トイレもいかずご飯も食べず水さえ飲みません、ずーと眠り続けるのです母が心配して死んでいるのでは??と見に来ます、何日眠るのだろうと・・・このまま目が覚めないのではとハラハラしているそうです。でも私の意識が無く返事をしているらしいとの事・・・そして本人は少ししか寝てないと思っている・・・馬鹿だ??
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やらなくては
遣り残したこと沢山あるのです、父が亡くなりお墓がありません、父、母、私と三人しか入らないのですが後見てくれる人もいないし、それにお墓建てるお金もありません・・・宝くじ当たらないかなあ深刻です
話変わるけど私みたいに骨髄移植で治せるひとも治療費が高くて出来ない人沢山いる
皆さんの募金で助けてもらえる人は羨ましいです私も出来るなら助けてほしいです。
本当に沢山のお金がかかるから、ドナーの人の分も患者がもつのですから、沢山の人が宝くじが当たってもとりにこない分のお金骨髄移植の人に回してほしいです。出来ることなら・・・病気が治せるのにお金がなくて死んで逝く人も沢山いますから、無念です。
03:37 コメント(2) ページのトップへ
・2006年03月17日
何故私が
私の父は沢山の病気で亡くなった、でも腰の手術をしたら再発色々に転移してた聞いたのは亡くなる1週間前だった、医者はそのとき逃げた急に転移したがだめだった、もうておくれ、父が病気のとき私の癌も分かった、母も病気になった、私は父、母の付き添いをしながら病院から仕事に行き会社と病院のいききの生活になった。苦しく疲れた心の中はぐじゃぐじゃになっていた私も抗がん剤で苦しく目が開けていられる状態ではなくボロボロ、体が動けなく時間があると横になっていた、働なかなくては生活も、支払いも出来ない生きていけないでもそのとき私は医者に余命10カ月と言われていたあとこの短い時間で何が出来るのか副作用で動けない、薬は利かない、科学療法しかないでも入院しなくてならないそして父、母が少し元気になり退院した時今度私が辛い治療に入った。そこから少しでも長く生きられるようにと戦いが始まった、今度は父と母が毎日来てくれた
05:26 コメント(2) ページのトップへ
・2006年03月19日
辛い日々・・・
今日は家のもう一人(犬)の家族が可愛くなりかえってきた。犬には心が癒される
私の病気は骨髄移植しか助かることはないこれからつらい治療が始まる、抗がん剤でのおきた症状は吐き気、めまい、熱、かゆみ、口内炎、等また1日で抜けてしまう髪の毛頭はつるつるになる。生理も止まる、食べることも出来ない、目も開けられない免疫力がなくなる、血液からの体の数値は全部ゼロにする。無菌室からは治るまで出られない、部屋の中だけで生活をするしかない、外の物は何も見えない、点滴をずーとしながら何かをする。眠れない日々が続く眠剤を飲んでも効かない、何日ここですごすのだろうか、医者にも分からない。
何日泣いたことだろう。
00:50 コメント(1) ページのトップへ
・2006年03月20日
今日は
調子が悪くて、パソコンも打てない、これだけやっとうてた・・・だからまたね
00:04 コメント(1) ページのトップへ
2006年03月21日
今日は・・・
昨日は調子が悪くて辛い日でした。今日は少し楽になりました、暑い日と寒い日が毎日変わるとだめですね、私は移植するドナーは姉でした、何十万人に一人という確立で血液が合いました、それからの私は移植出来る体になるように検査を続け、治療をしつづけました、何ヶ月もそしていい時期がきました、これで第1段階の奇跡がおきると信じました、でも神様はいなかったのです。苦しいこと、辛い事に耐えてきたのにこれからだというのに・・・
00:38 コメント(2) ページのトップへ
・2006年03月22日
辛くて・・・
私は移植の為に、辛い検査も、治療も頑張りました。そして最後の医師の説明と移植の日を決めるため、父、母、姉、義理の兄とそろって聞きました。日取りもこの日を過ぎたらもう移植は出来ませんとまで言われました。話が終わり喜びもつかの間に、次の瞬間に姉はことわったのです。義理の兄とその両親が反対したのです。子供がいるのに1週間も家を開けることを許さないと、私の体はもう科学治療ではなおせないこと、移植しか助からないこと、このままだといつでも死んでしまうこと生きていても寝たきりになること、薬づけになることそれを知りながらことわったのです、父、母は頭を下げて頼みにいっても聞き入れてはくれませんでした。そこからまた私の戦いが始まりました。
00:49 コメント(1) ページのトップへ
・2006年03月23日
私の戦い
姉に移植を断られてから、何十万人に一人の割合しかないドナーは患者にも医師にも神様のようなものです、ナースが説得をしてくれたのですが気持ちは伝わらない様でした、姉の姑、舅は私に頭を下げに来いと言われましたが無菌室にいる私は部屋から出ることは出来ませんそれを知りながら、無理なことを言われました、いけるものなら何度でも頭を下げます。でも一言、嫁にもらったのだからもう家のものですのでお宅の都合で家を開けることは許しませんと言われてしまいました。もうそれ以上何も言うことは出来ませんでした。姉が電話の向こうで泣いていても私にはまだ理解できる気持ちの状態ではありませんでした。そして鬱病になり声がでなくなり、記憶もと
ころどころ抜けてしまいました。
PS・・・今日、介護保険の認定の面接のひとがきました、今の状態、生活の仕方、を聞かれましたでもまた一から病気の説明をしなくてはいけないこと色々と甦り涙がとまりません。でも認定をする人は書類の書いてあることだけで判断します、外見からではわかりませんまた見にくるわけでもありません、体の痛みは本人しか分からないのです・・・と言葉を残して帰りました。本当に疲れました。
03:06 コメント(4) ページのトップへ
・2006年03月24日
眠れないのです
また眠れない日々が続いています。眠剤を飲んでも効きません。決まった量しか飲めないので少し多く飲んでいるのですが駄目です。姉から移植を断られてから誰とも話しが出来なく逢うことも、薄暗い部屋の中で毎日、毎日泣き続けました涙が止まらないのです。何を言われても涙があふれて自分ではどうすることも出来ません。
医師、ナースさん達はカァーテン越しに声をかけてから顔を出します、必ずこういう患者は何かするから何度も見にきます。
何も手がつかずただぼーとしているだけ食べると吐いてしまうから24時間点滴をして、食べ物をうけつけない体になりました
痩せ細りもう立つことさえ出来ない起き上がることも一人では出来ません。面会は父母だけで友人がきても逢えないのです。
記憶が飛んでしまい誰だかわからない、声がでない、そんな私を父、母は側で見ているだけそしていつのまにか集まったぬいぐるみ達沢山一人部屋いっぱいになり、皆私をなぐさめてくれているようでした・・・
02:11 コメント(2) ページのトップへ
投稿者:haruniwa(2006-03-24 23:18
つらいですね。
妹のための移植を許してくれないような家に嫁いでしまったお姉さん、悲しいでしょう。人の命を救うという崇高な目的よりも、「嫁はうちのものだ」というような考えを持つ家のなかで暮らすのはお姉さんにとっても居心地が悪いでしょうね。
移植の適合は奇蹟のようだといいますが、どうぞ奇蹟がおきますように。提供者がみつかりますように。お祈りしています
・2006年03月25日
大切な人達・・・
私は入院している時沢山の人に助けられました。自分も苦しくて、切ないのに沢山の言葉を頂きました。病院で色々の科の患者さん達と話をするようになりました。時間があるときは皆で集まりナースさんに了解してもらい消灯をすぎても約束時間を守れば許される時間がある限りづーと一緒にいました。メールで何時に集まるよと声をかけ色んな話をしました。自分の事、病気、検査、手術、同室の人、医師、ナース等
歳も職業も住むところも皆ばらばらで、
高校生、先生、社長、お坊さん、保険外交員、大学生そしてやくざ!?まで待合室で朝から夜中まで、お正月、バレンタイン、ひな祭り、七夕、お盆、クリスマス、年越し
あらゆる行事をつくって楽しんだ。点滴を5個もつけてひきずって、中味を聞かれると、お酒、ワイン、ビール、焼酎を点滴してると冗談をいいながらお互いに体のことを心配しながら・・・なかには好きになって付き合う人もいた。学生には勉強を教えたり、楽しかった・・・
05:28 コメント(1) ページのトップへ
つづき・・・大切な人達
自分の事でなく相手のことを心配して、先に退院するとお見舞いに来てくれる、外泊するとお土産をもってきて、手術があると心配してお見舞いに来る。車椅子で。
皆本当に優しかった。自分のことでせいいっぱいなのに、自分であとどの位生きていられるか知りながら、頑張って生きようとしてた。でも癌の病気の人は皆亡くなってしまった・・・
私は皆に感謝してる生きる勇気をもらいました。此の人達は大切な宝物・者です
PS・・・このとき私は体も心もボロボロで生きていることさえ辛かったからどうせ死んでしまうのだから今でもいいよねと思って生きる気力もなかったから・・・
06:01 コメント(4) ページのトップへ
投稿者:haruniwa(2006-03-25 21:33
たくさんの人々との出会いほんとうに人生の宝物ですね。その人々の心を大切にして生き抜いてくださいね。
・2006年03月26日
大切な
私が移植が駄目になってから、精神的におかしくなり、こう鬱状態になりました。気力がなくなり何も出来ない、生きようとすること、食べること、話すこと、見ること眠ること他にも沢山の色々なことをするということに気力がない、時間をかけるしかない。私がもうこの癌という病気を治す方法が何1つないこともうなんの治療もきかないこと、これからおきることに向き合わなければならないことを医師から告げられた時、身がふるえたのを覚えてます。
私はこれからどうなるのだろう
いつまで生きれるのだろう
いつ喋れるようになるのだろう
考えれば考えるほど頭の中がおかしくなって怖くてどうしようもありませんでした。ただ父、母の前では冷静で笑顔がでてました。これからおきることを親子で戦うしかないことをどんな苦しみがあるかわからないまま・・・
04:24 コメント(5) ページのトップへ
投稿者:haruniwa(2006-03-26 22:56)
たった今、テレビで知った仏僧「くまらじゅう鳩摩羅什」のことば。
煩悩是道場」思い悩むことこそ、悟りへの修行である。
病とともに悩んですごすことも、人生の大事な修行なのですね。悩みながら生き抜きましょう。
・2006年03月27日
まえよりは
もう治療する方法がないと言われてこれからどうすればいいのか、これからおきる
さまざまなことにどう立ち向かえれば良いのか思い、無菌室をでてもいいことになりわたしは病院を変えることにした、なにをするにも鬱病を治さなくてはとケアー病院に入院しました。そこはなにをしてもいいところでナースは1度に5人で様子を見に来る1日中ひっきりなしに、10時、15時にお茶を出してくれる、ボランティアの人がお見舞いにきてる人の分も、本、ビデオも借りられるし2時間位の外室もいつでも許してくれる、ナースの方とお茶もできる、いつでも泊まりでつきそいもさせてくれる、何をしても自由なのです、そこで少しずつ心がやわらかくなっていきました。
PS・・・夜眠れません、朝方から眠りに入りますでもずーとおきているときもありますが・・・
くまのぷうさんが好きなのでプゥとよんでください
01:39 コメント(5) ページのトップへ
投稿者:haruniwa(2006-03-27 12:39
ぷぅさん、ケアー病院での生活、自由にすごせることはいいですね。
心が少しずつ柔らかくなっていって、ふうわりとやわらかにはずむ心が取り戻せる日まで、応援します。
・2006年03月29日
少しずつ
家の犬のキャスター君は何か心配でまだねません。今日私が調子が悪くて1日中寝てたので、私はケアー病院に入院してから前の病院で仲良くなった友達が毎日来てくれました。早く元気になって遊びに行こうよと励ましてくれました。その病院には牧師さんがいて毎日お祈りをしてくれるのです
はじめはうけつけられずにいました。でも何も言わずただ顔をだしていくのです、それから少しずつ話すようになりました。
ここへ移ってもはじめは全然話もできなく誰もうけつけることが出来なかったのですが皆何も言わずただ顔をだすだけ、牧師さんと同じように、ナースも医師もボランティアも私も何も話すことが出来なかった
雨とお香がこころを優しくさせてくれた落ち着かせてくれました
02:22 コメント(4) ページのトップへ
・2006年03月30日
雨の日
雨の日が好きです、病室にお香をたいていると心が落ち着きます。雨の日はとくにそうです、私がいた病棟はもう末期癌の人が入院している人ばかりです。ここから生きて帰れる人はいません、皆呼吸器をつけて眠ってます、ご飯も流動食です。ナースがご飯ですよと運んでいただきますといって入れてきますそして終わるとご馳走様と言うのです本人には分かりませんが、それでも生きているのです、おしっこもうんちもでるのですから・・・
私はビーズ作りをはじめました、ジグゾーパズルもはまりました、パソコンをもってなくて、本も沢山読みましたでもつかれてしまって、何故か毎日お洗濯をしました。私は少しずつ父、母がくるのを楽しみにし
てました。
PS病棟のご飯はナースの方が作るのです、だからいつも暖かいご飯でした。
05:04 コメント(3) ページのトップへ
投稿者:haruniwa(2006-03-30 09:36
私も雨の日は、じっと雨を見ているのがすきですよ。雨が静かに空から地上へと流れるようすをみていると、万物の生々流転を感じます。
私が住んでいるのは団地の9階なので、9階から下へ落ちていく雨をながめることもできます。
すべては流れさっていく。時間も命も。でも、いまのこのひととき、雨は雨として存在する。私は私として存在する。そんな思いもこめながら、雨をながめています。
・2006年03月31日
寒いです
もう4月なのに雪が降り寒いです。毎日眠れず夜中にパソコンにむかってます。
自然に眠りにつくまで・・・
前の病院で1人のナースはいつも八つ当たりしてくる、自分が妊娠して悪阻がひどくて、私が頼みごとしても全然してくれない
わざと辛くなることを言う、もう貴方の癌は治らないのよこれからはもっと辛くなるよとそんなことわかってるなのに毎日何かいってくる。頑張っているのに自分が苛々して・・・我慢出来なくて婦長にいった私の部屋にははいらないでほしいと腰を複雑骨接して1ヵ月入院した時は本当に大変で辛い入院でした。
04:22 コメント(3) ページのトップへ
投稿者:haruniwa(2006-03-31 15:08
眠れないときはつらいですが、無理に寝ようとしなくても、自然にまかせたほうがいいのかも。
パソコンで、ウェブ友を訪問するのは、いい過ごし方ですね。
看護師さんへの思いも、口に出して言ってしまったほうがすっきりすると思うよ。
ナースは患者にとって天使にも思える人がいるけれど、ときには自分の感情優先の人もいますから、そんなときには、カフェで愚痴をこぼしてね。
今の環境はどうですか?
~~~~~~~~~~
以下、2007年5月までの写文を続けます。
<つづく>
05:59 コメント(3) 編集 ページのトップへ
ぽかぽか春庭十二単日記>写文ぷうさんの日記(1)2006年2月3月ぷうさん日記
カフェが消滅するということで、慌てて自分のカフェ日記をヤフーブログにコピペして、2月中にはgooかOCNブログに引っ越しもするつもりです。
今カフェ日記を書いている方々の移転先のお知らせも入ってきて、せっせとお気に入りに登録を続けています。
ふと、気になったのは、カフェ日記を続けていない人たちの記録。自分の意志で、もうブログは続けないと決めたのならいいのですが、自分では移転作業ができない方のカフェ日記もあります。それがそのまま消滅してしまうことになる。
私はこのカフェ日記を娘息子へ残す墓誌のつもりで書き始めたので、文字通り墓誌ともなった方の記録がそのまま消えてしまうのかと思うと、残念な気がします。
カフェ日記の書き手であるmitsubaさんが、亡くなった高校生の詩を書き写していたことを思い出し、私も亡くなった方の日記をコピペしておきたいと思います。
カフェ日記の中では、「ぷうさん」と名乗っていましたが、本名も知らないままでした。ぷうさんが、亡くなるまでの2年間、カフェ日記の中に生きていたことを、私は忘れたくない。著作権の問題はあるでしょうが、たったひとりのお身内であるお母様は高齢でもあり、ぷうさんがカフェに日記を書いていたこともおそらくはご存じなかあったのではないかと思います。
もうひとりのお身内、ぷうさんのお姉様。ぷうさんに骨髄移植をしてあげられるドナーとして、お医者さんから打診され、ぷうさんも懇願したのですが、さまざまな事情から、お姉様はドナーになることを断りました。ぷうさん側から見れば、ドナーがいれば助かったであろう妹の命を見殺しにした姉に思えます。他のドナーを探すには時間がかかり、万が一ドナーが見つかったとしても、そのころには、ぷうさんの体が移植手術に耐えられない状態になってしまう、というギリギリの選択で、ドナーとなることを断られたぷうさんの絶望は大きく、日記の最初のころは「鬱」の文字が頻出しました。
カフェ日記への励ましによって、鬱からは脱出したけれど、2006年2月に始まったぷうさんの日記は、2007年5月を最後に途絶えました。1年4ヶ月のぷうさん日記をコピーします。
ひとりひとりのコメントも貴重なものと思いますが、コメントにも著作権があるでしょうから、haruniwaからのコメントのみコピーします。
~~~~~~~~~~~
ID f046oj2c
住所 長野
性別 女性
誕生日 02月27日
<2006年2月&3月 ぷうさんの日記>
・2006年02月24日
鬱のようです
今日は眠れません。気が高ぶっています。
家の犬のキヤスターくんは今頃に元気に騒いで寝ません。こんな日は意味もなく涙が出てきて止まりません。鬱のようです。こんな日が何日も続きます。このような時は何か書きつらねます。手紙も好きですかきはじめるととまりません。今私は癌の病気です。私にのこされたこと何か書き留めることしかありません。もしかすると誰かが読んでくれるかもしれない。私という存在がいたことを知ってくれるかも知れないから、本当に辛い痛い日々ですが、まだ生きているから明日死んでしまうかもしれないけれど、、、「やっと寝ましたたくさん遊んで、いびきかいてます」私は眠れません、涙もでています。
やはり気が高ぶっています。やはり薬を飲むしか心が落ち着きません。精神安定剤です。動悸が速いこのままだと過呼吸になります。本当にいやですね。、、、
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・2006年02月27日
雨の日
雨の日は好きです、においが好きです、こんな日はお香をたいて心静かにしていると落ち着きます。今日も私は生きてます。一日雨で寒いです。病院に行かなくてはいけないのに、体中痛くて起きれません。薬を飲んでも効きません。こんなときはさすってもらうのがいいのです。立つこと出来なくて横になっています。早く暖かくならないかな・・・少しは楽になるのに、今日も眠れません。また憂鬱になります。ps
今日も生きれたからいいです。胃がいたくなってきた。
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・2006年02月28日
寂しいな・・・
今もう4時だけど27日はお誕生日でした
ここ何年間は病院でしてくれました。何の楽しみもない日々で楽しめるのは、花火、クリスマス、ドクター、ナースのコンサートや仲良くなった患者さんとのメールや会話ぐらいです。色々な病気をかかえてる人達の苦しみをお互いに話すことで少しでも気がはれればいいので、聞いてあげるいうことが一番の薬になるのです。皆孤独ですから・・・心の中は涙でいっぱいですから毎日、不安でたまらないのです。直らない病気としっていたとしても生きるしかないのです
・2006年03月02日
今日は・・・
今日は少し暖かくて少し動けます。寒い日は体温調整の出来ない私には辛い日です。毎日何故こんな病気になってしまったのか考えます、何罰のあたる悪いことしたのだろうかと・・・何故姉と義理の兄は助けてくれなかったのだろうと同じこと繰り返し考えます。医者から寝たきりになりずーと苦しみながら生きて、いつ死んでしまうかと不安を感じながらいることの辛さを二人は私に与えたのだろう、二人に何罪なことしたのだろう、なんの仕返しだろう、こんな辛い仕返しは普通の人間には出来ないだろう・・・と悩む毎日です。強い薬で髪の毛がまた抜けました。薬を飲まないと生きていけないなんて、こんなに苦しくて辛いなら生きていてもしょうがないかもしれない辛さからのがれられるならと・・・思う日々です。
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・2006年03月03日
時間がさかさまに
また眠れない日が続いています、夜更かししてますでも昼間も眠れません。気がたかぶってますだから苛々して心が落ち着きません。こんな時は自然と涙が出てきてしまいますどうすることも出来ません泣くだけ泣くしかないのです。今とても寂しいです病気にならなければ好きな人と一緒になれたのに辛い別れをしなければならない。私の大切なもの全部奪っていってしまう、子供もほしかった、社会にもでれず外の生活ができず家にいるか病院にいるかの生活に疲れました。寂しいです・・・こんな生活を止めてしまいたい
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・2006年03月04日
辛くて・・・
私は何故こんなに毎日苛々してるのだろう
血液の癌と宣告されてからの辛い日々が黄泉がってきて、抗がん剤投与、心臓が止まるかもしれない検査など沢山の治療をしたのに、骨髄移植ができなかったそれしか助かることができないのに、姉、義理の兄、兄の親が許してくれなかったため今私は寝たきりになってしまった。いずれはこうなるとわかっていても助けてはくれなかったいまの私には何も楽しいことなんてない。
苦しいことだけ、辛いことだけしかない
なんと寂しいことだろう・・・
だれか楽しいこと教えてください。
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世の中はどうですか
病気で外に出れない私はもう3月なのに世間は毎日めまぐるしく過ぎているのだろうか友達とも離れて家にとじこもっているだけしかなくて、前はよくでかけた仕事のあと友達と楽しい時間があったのに、なにも話をしない日々がつづく一人でただぼーとしているだけ長い1日がはじまる今は誰かと話がしたい・・・でも出来ない
健康でもなにもしない人、・・・くやしい
病気でもなにかしたいでも社会にはでれない・・・辛い、苦しい、もとの体にもどしてほしい・・・かなわぬ願い・
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・2006年03月05日
無理かもしれない
今夢中になれることしたらと励まされました。でも、あまり動くこと出来ない私には出かけることも、旅行も趣味で何かすることも中々出来ません。寝ながら本、やdydを見ることぐらいしかできません。いつも痛みがあるから横になっているしか・・・出来るならなんでもしたいでも私の体の状態では無理なのです。残りの日々、時間を寝たきりに過ごすしかないのです。歩けたら何でも出来るのに・・・出来ない
このはがゆさが苛々して、鬱状態になってしまう、自分ではどうすることもできない何も望めないのです。あきらめるしか・・車椅子ででかけても少しでも痛みがやわらいでいるときしかだから時間が限られてしまう。なにも望めない・・・
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・2006年03月07日
やっぱりね・・・
今日は病院にいきました、やはり思っていたとうり薬が増えました。痛みがとれない薬が効かないのです、いつもなら飲むと効いてくるのですが足、股関節、などの痛みに効き目がなくて強い薬のため髪の毛も全部抜けてしまったこと、せっかく伸びたのに今頃になってまたつらい鬘をかぶらなくてはと思うと憂鬱です。でも13種類の薬をのまなくてはならないことの方が辛いです。体温調整が出来ないので寒くなったり暑くなったりが激しいのです。drも家にずーといるんだね・・・鬱がひどくなっているねとごめんね直せなくてと言われました薬しかだせなくてとこれからどうなるのだろう・・・私の体・・・
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鬱です
難病で特定疾患の病気はなおりません。
どんなにがんばってもむりなのです。
この病気にかかると直す薬は無い。
いつ死んでしまうのかという恐怖に耐えるしかありません。
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・2006年03月09日
苛々して
今日は1日中胃とお腹が痛くて薬を飲んでもおさまらなくて、母に八つ当たりをしてしまいました。一生懸命に私の面倒を自分も骨接して足が痛いのになのに私は母に自分の苛立ちをぶつけた感謝の言葉をかけてあげなければと思うのですが・・・
まだ寒くて外にもでれない苛立ちはピークになってました。1番心配してくれているのに何もできない歯痒さから・・・
いま鬱の状態です。心に落ち着きがないのです
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・2006年03月11日
私の1日
私の日々は毎日ばらばらです、時間が違います、眠れない日が続く日は昼間も起きていますのでほとんどおきてます。体の調子がいいときはご飯をつくります、もちろんすわってですけど、何日も眠り続けるときはご飯もなにも食べずにただ眠ったままで母が心配して起こしますが本人はきずかずにいます。何かするときはすわってしか出来ないからほとんど出来ないけど・・・
寒さに弱いから暖かい日しか動けません
体に痛みがはしって動けないのです
これからは暖かくなるので母と車椅子で散歩にいきます近くの駅まで行きそこで休んでお茶飲んで帰ります。それだけでも楽しいです、人に逢えるからです、外に出たいです・・・少しでも
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・2006年03月13日
また冬に
今日また雪がふりました
昨日は4月の暖かさなのにまた寒い日です
寒くなると私は動けません。体が硬直して痛みが体中に走ります、だから横になっているしかないのです。部屋を暖めてもだめです寒いのに汗をかくのです、体温調整が出来なくてひや汗が出てきてまたすぐ寒くなるのです。こんな日は薬を飲んでもききません・・・あぁ早く暖かくならないでしょうか春が待ちどうしいです。
暖かくなれば散歩にいけるから・・・
車椅子だけど・・・元気でいれるだろうか
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・2006年03月14日
友達に・・・
ある人が私の日記を見て友達にといってくれました、嬉しいです私が病気になり最初はよかったのです心配もしてくれてでもだんだん離れていきました、苦しむ私を見てどうすればいいのか分からないまた自分の生活もあるし私にばかりかかわっていられないのでしょう私は同じように苦しんでいる人達と入院してる人と仲良くなり少しでも楽しい日々を病院で過ごしました。
お互いに慰めあい病気にまけないようにとでもみんな死んでしまいました。でもいまその人達の分まで生きています。これからも少しでも長く生きたいと思います。辛い日々ですが・・・
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・2006年03月15日
寒いけど
今日銀行に出掛けました、atmでするとき車椅子だと画面が見えませんでも低くするわけにも出来ないので杖をついて立ちます、そのときに後ろに寄りかかる手すりがあると楽なのですが寄りかかる所があると少しは立っていられるのです。何か書くにしても座って出来る場所が1つでもあると嬉しいのです、棚が高くて・・・昨日は朝方まで眠れず薬を飲んでから寝ました、いつもの通り目が覚めたのが夜の22時でした。
私の病気は眠れないと何日も徹夜して眠れません、でも突然眠りに入ると何日も眠り続けます、トイレもいかずご飯も食べず水さえ飲みません、ずーと眠り続けるのです母が心配して死んでいるのでは??と見に来ます、何日眠るのだろうと・・・このまま目が覚めないのではとハラハラしているそうです。でも私の意識が無く返事をしているらしいとの事・・・そして本人は少ししか寝てないと思っている・・・馬鹿だ??
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やらなくては
遣り残したこと沢山あるのです、父が亡くなりお墓がありません、父、母、私と三人しか入らないのですが後見てくれる人もいないし、それにお墓建てるお金もありません・・・宝くじ当たらないかなあ深刻です
話変わるけど私みたいに骨髄移植で治せるひとも治療費が高くて出来ない人沢山いる
皆さんの募金で助けてもらえる人は羨ましいです私も出来るなら助けてほしいです。
本当に沢山のお金がかかるから、ドナーの人の分も患者がもつのですから、沢山の人が宝くじが当たってもとりにこない分のお金骨髄移植の人に回してほしいです。出来ることなら・・・病気が治せるのにお金がなくて死んで逝く人も沢山いますから、無念です。
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・2006年03月17日
何故私が
私の父は沢山の病気で亡くなった、でも腰の手術をしたら再発色々に転移してた聞いたのは亡くなる1週間前だった、医者はそのとき逃げた急に転移したがだめだった、もうておくれ、父が病気のとき私の癌も分かった、母も病気になった、私は父、母の付き添いをしながら病院から仕事に行き会社と病院のいききの生活になった。苦しく疲れた心の中はぐじゃぐじゃになっていた私も抗がん剤で苦しく目が開けていられる状態ではなくボロボロ、体が動けなく時間があると横になっていた、働なかなくては生活も、支払いも出来ない生きていけないでもそのとき私は医者に余命10カ月と言われていたあとこの短い時間で何が出来るのか副作用で動けない、薬は利かない、科学療法しかないでも入院しなくてならないそして父、母が少し元気になり退院した時今度私が辛い治療に入った。そこから少しでも長く生きられるようにと戦いが始まった、今度は父と母が毎日来てくれた
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・2006年03月19日
辛い日々・・・
今日は家のもう一人(犬)の家族が可愛くなりかえってきた。犬には心が癒される
私の病気は骨髄移植しか助かることはないこれからつらい治療が始まる、抗がん剤でのおきた症状は吐き気、めまい、熱、かゆみ、口内炎、等また1日で抜けてしまう髪の毛頭はつるつるになる。生理も止まる、食べることも出来ない、目も開けられない免疫力がなくなる、血液からの体の数値は全部ゼロにする。無菌室からは治るまで出られない、部屋の中だけで生活をするしかない、外の物は何も見えない、点滴をずーとしながら何かをする。眠れない日々が続く眠剤を飲んでも効かない、何日ここですごすのだろうか、医者にも分からない。
何日泣いたことだろう。
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・2006年03月20日
今日は
調子が悪くて、パソコンも打てない、これだけやっとうてた・・・だからまたね
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2006年03月21日
今日は・・・
昨日は調子が悪くて辛い日でした。今日は少し楽になりました、暑い日と寒い日が毎日変わるとだめですね、私は移植するドナーは姉でした、何十万人に一人という確立で血液が合いました、それからの私は移植出来る体になるように検査を続け、治療をしつづけました、何ヶ月もそしていい時期がきました、これで第1段階の奇跡がおきると信じました、でも神様はいなかったのです。苦しいこと、辛い事に耐えてきたのにこれからだというのに・・・
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・2006年03月22日
辛くて・・・
私は移植の為に、辛い検査も、治療も頑張りました。そして最後の医師の説明と移植の日を決めるため、父、母、姉、義理の兄とそろって聞きました。日取りもこの日を過ぎたらもう移植は出来ませんとまで言われました。話が終わり喜びもつかの間に、次の瞬間に姉はことわったのです。義理の兄とその両親が反対したのです。子供がいるのに1週間も家を開けることを許さないと、私の体はもう科学治療ではなおせないこと、移植しか助からないこと、このままだといつでも死んでしまうこと生きていても寝たきりになること、薬づけになることそれを知りながらことわったのです、父、母は頭を下げて頼みにいっても聞き入れてはくれませんでした。そこからまた私の戦いが始まりました。
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・2006年03月23日
私の戦い
姉に移植を断られてから、何十万人に一人の割合しかないドナーは患者にも医師にも神様のようなものです、ナースが説得をしてくれたのですが気持ちは伝わらない様でした、姉の姑、舅は私に頭を下げに来いと言われましたが無菌室にいる私は部屋から出ることは出来ませんそれを知りながら、無理なことを言われました、いけるものなら何度でも頭を下げます。でも一言、嫁にもらったのだからもう家のものですのでお宅の都合で家を開けることは許しませんと言われてしまいました。もうそれ以上何も言うことは出来ませんでした。姉が電話の向こうで泣いていても私にはまだ理解できる気持ちの状態ではありませんでした。そして鬱病になり声がでなくなり、記憶もと
ころどころ抜けてしまいました。
PS・・・今日、介護保険の認定の面接のひとがきました、今の状態、生活の仕方、を聞かれましたでもまた一から病気の説明をしなくてはいけないこと色々と甦り涙がとまりません。でも認定をする人は書類の書いてあることだけで判断します、外見からではわかりませんまた見にくるわけでもありません、体の痛みは本人しか分からないのです・・・と言葉を残して帰りました。本当に疲れました。
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・2006年03月24日
眠れないのです
また眠れない日々が続いています。眠剤を飲んでも効きません。決まった量しか飲めないので少し多く飲んでいるのですが駄目です。姉から移植を断られてから誰とも話しが出来なく逢うことも、薄暗い部屋の中で毎日、毎日泣き続けました涙が止まらないのです。何を言われても涙があふれて自分ではどうすることも出来ません。
医師、ナースさん達はカァーテン越しに声をかけてから顔を出します、必ずこういう患者は何かするから何度も見にきます。
何も手がつかずただぼーとしているだけ食べると吐いてしまうから24時間点滴をして、食べ物をうけつけない体になりました
痩せ細りもう立つことさえ出来ない起き上がることも一人では出来ません。面会は父母だけで友人がきても逢えないのです。
記憶が飛んでしまい誰だかわからない、声がでない、そんな私を父、母は側で見ているだけそしていつのまにか集まったぬいぐるみ達沢山一人部屋いっぱいになり、皆私をなぐさめてくれているようでした・・・
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投稿者:haruniwa(2006-03-24 23:18
つらいですね。
妹のための移植を許してくれないような家に嫁いでしまったお姉さん、悲しいでしょう。人の命を救うという崇高な目的よりも、「嫁はうちのものだ」というような考えを持つ家のなかで暮らすのはお姉さんにとっても居心地が悪いでしょうね。
移植の適合は奇蹟のようだといいますが、どうぞ奇蹟がおきますように。提供者がみつかりますように。お祈りしています
・2006年03月25日
大切な人達・・・
私は入院している時沢山の人に助けられました。自分も苦しくて、切ないのに沢山の言葉を頂きました。病院で色々の科の患者さん達と話をするようになりました。時間があるときは皆で集まりナースさんに了解してもらい消灯をすぎても約束時間を守れば許される時間がある限りづーと一緒にいました。メールで何時に集まるよと声をかけ色んな話をしました。自分の事、病気、検査、手術、同室の人、医師、ナース等
歳も職業も住むところも皆ばらばらで、
高校生、先生、社長、お坊さん、保険外交員、大学生そしてやくざ!?まで待合室で朝から夜中まで、お正月、バレンタイン、ひな祭り、七夕、お盆、クリスマス、年越し
あらゆる行事をつくって楽しんだ。点滴を5個もつけてひきずって、中味を聞かれると、お酒、ワイン、ビール、焼酎を点滴してると冗談をいいながらお互いに体のことを心配しながら・・・なかには好きになって付き合う人もいた。学生には勉強を教えたり、楽しかった・・・
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つづき・・・大切な人達
自分の事でなく相手のことを心配して、先に退院するとお見舞いに来てくれる、外泊するとお土産をもってきて、手術があると心配してお見舞いに来る。車椅子で。
皆本当に優しかった。自分のことでせいいっぱいなのに、自分であとどの位生きていられるか知りながら、頑張って生きようとしてた。でも癌の病気の人は皆亡くなってしまった・・・
私は皆に感謝してる生きる勇気をもらいました。此の人達は大切な宝物・者です
PS・・・このとき私は体も心もボロボロで生きていることさえ辛かったからどうせ死んでしまうのだから今でもいいよねと思って生きる気力もなかったから・・・
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投稿者:haruniwa(2006-03-25 21:33
たくさんの人々との出会いほんとうに人生の宝物ですね。その人々の心を大切にして生き抜いてくださいね。
・2006年03月26日
大切な
私が移植が駄目になってから、精神的におかしくなり、こう鬱状態になりました。気力がなくなり何も出来ない、生きようとすること、食べること、話すこと、見ること眠ること他にも沢山の色々なことをするということに気力がない、時間をかけるしかない。私がもうこの癌という病気を治す方法が何1つないこともうなんの治療もきかないこと、これからおきることに向き合わなければならないことを医師から告げられた時、身がふるえたのを覚えてます。
私はこれからどうなるのだろう
いつまで生きれるのだろう
いつ喋れるようになるのだろう
考えれば考えるほど頭の中がおかしくなって怖くてどうしようもありませんでした。ただ父、母の前では冷静で笑顔がでてました。これからおきることを親子で戦うしかないことをどんな苦しみがあるかわからないまま・・・
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投稿者:haruniwa(2006-03-26 22:56)
たった今、テレビで知った仏僧「くまらじゅう鳩摩羅什」のことば。
煩悩是道場」思い悩むことこそ、悟りへの修行である。
病とともに悩んですごすことも、人生の大事な修行なのですね。悩みながら生き抜きましょう。
・2006年03月27日
まえよりは
もう治療する方法がないと言われてこれからどうすればいいのか、これからおきる
さまざまなことにどう立ち向かえれば良いのか思い、無菌室をでてもいいことになりわたしは病院を変えることにした、なにをするにも鬱病を治さなくてはとケアー病院に入院しました。そこはなにをしてもいいところでナースは1度に5人で様子を見に来る1日中ひっきりなしに、10時、15時にお茶を出してくれる、ボランティアの人がお見舞いにきてる人の分も、本、ビデオも借りられるし2時間位の外室もいつでも許してくれる、ナースの方とお茶もできる、いつでも泊まりでつきそいもさせてくれる、何をしても自由なのです、そこで少しずつ心がやわらかくなっていきました。
PS・・・夜眠れません、朝方から眠りに入りますでもずーとおきているときもありますが・・・
くまのぷうさんが好きなのでプゥとよんでください
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投稿者:haruniwa(2006-03-27 12:39
ぷぅさん、ケアー病院での生活、自由にすごせることはいいですね。
心が少しずつ柔らかくなっていって、ふうわりとやわらかにはずむ心が取り戻せる日まで、応援します。
・2006年03月29日
少しずつ
家の犬のキャスター君は何か心配でまだねません。今日私が調子が悪くて1日中寝てたので、私はケアー病院に入院してから前の病院で仲良くなった友達が毎日来てくれました。早く元気になって遊びに行こうよと励ましてくれました。その病院には牧師さんがいて毎日お祈りをしてくれるのです
はじめはうけつけられずにいました。でも何も言わずただ顔をだしていくのです、それから少しずつ話すようになりました。
ここへ移ってもはじめは全然話もできなく誰もうけつけることが出来なかったのですが皆何も言わずただ顔をだすだけ、牧師さんと同じように、ナースも医師もボランティアも私も何も話すことが出来なかった
雨とお香がこころを優しくさせてくれた落ち着かせてくれました
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・2006年03月30日
雨の日
雨の日が好きです、病室にお香をたいていると心が落ち着きます。雨の日はとくにそうです、私がいた病棟はもう末期癌の人が入院している人ばかりです。ここから生きて帰れる人はいません、皆呼吸器をつけて眠ってます、ご飯も流動食です。ナースがご飯ですよと運んでいただきますといって入れてきますそして終わるとご馳走様と言うのです本人には分かりませんが、それでも生きているのです、おしっこもうんちもでるのですから・・・
私はビーズ作りをはじめました、ジグゾーパズルもはまりました、パソコンをもってなくて、本も沢山読みましたでもつかれてしまって、何故か毎日お洗濯をしました。私は少しずつ父、母がくるのを楽しみにし
てました。
PS病棟のご飯はナースの方が作るのです、だからいつも暖かいご飯でした。
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投稿者:haruniwa(2006-03-30 09:36
私も雨の日は、じっと雨を見ているのがすきですよ。雨が静かに空から地上へと流れるようすをみていると、万物の生々流転を感じます。
私が住んでいるのは団地の9階なので、9階から下へ落ちていく雨をながめることもできます。
すべては流れさっていく。時間も命も。でも、いまのこのひととき、雨は雨として存在する。私は私として存在する。そんな思いもこめながら、雨をながめています。
・2006年03月31日
寒いです
もう4月なのに雪が降り寒いです。毎日眠れず夜中にパソコンにむかってます。
自然に眠りにつくまで・・・
前の病院で1人のナースはいつも八つ当たりしてくる、自分が妊娠して悪阻がひどくて、私が頼みごとしても全然してくれない
わざと辛くなることを言う、もう貴方の癌は治らないのよこれからはもっと辛くなるよとそんなことわかってるなのに毎日何かいってくる。頑張っているのに自分が苛々して・・・我慢出来なくて婦長にいった私の部屋にははいらないでほしいと腰を複雑骨接して1ヵ月入院した時は本当に大変で辛い入院でした。
04:22 コメント(3) ページのトップへ
投稿者:haruniwa(2006-03-31 15:08
眠れないときはつらいですが、無理に寝ようとしなくても、自然にまかせたほうがいいのかも。
パソコンで、ウェブ友を訪問するのは、いい過ごし方ですね。
看護師さんへの思いも、口に出して言ってしまったほうがすっきりすると思うよ。
ナースは患者にとって天使にも思える人がいるけれど、ときには自分の感情優先の人もいますから、そんなときには、カフェで愚痴をこぼしてね。
今の環境はどうですか?
~~~~~~~~~~
以下、2007年5月までの写文を続けます。
<つづく>
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