KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

百歳の幸せ

2024年01月14日 | 俳句
天気 晴

写真は八海山なのだが、雪の風景を探していたら出てきた、カレンダーに使ったもののようだ。毎年、自分の撮影作品6枚を使って2ヶ月1枚の自分用のカレンダーを作り印刷、親しい人にも送ったりしていた。懐かしい・・
この作品は2010年のもの。

昨日、新しい入所者があって昼食の時に紹介された。なんと、100歳の男性で、足腰耳としっかりしていて姿勢も良い。無論滑舌も良くて、年齢を言わなければ外見は私と変わらない。100歳はここでも珍しくはないとはいえ、今まで一番元気と思われて称賛されているKさん(男)は、認知症には縁がなく、館内は不自由なく歩いている。が、酸素吸入をしながらの暮らしで、おまけに耳が異常に遠くて、もう補聴器でも聴力が出ないとか。

奇しくも、昨夜、元気に暮している百歳の方たちの日常を、テレビで紹介していた。以前はこういう番組は興味あって感心しながら見ていたのだが、昨日は見たいものもなく仕方なしに見ていたような・・
百歳は珍しくもない時代になったものの、百歳になって普通の暮らしが出来るのは、本当に稀有なこと。施設暮らしの100歳は、元気であっても普通の暮らしではないのだから。誰もが「百歳まで生きたい」と思えるかどうか・・結局、血流障害のない、足腰の丈夫な、認知症とは縁のない100歳にならなければ、「幸せな暮らし」は無理。私は無論、今の体調でそこまで生きたくはない。100歳まで生きたい、と思っても生きられないが・・

ここに居ると、100歳になる過程が見えてしまい、長寿願望が失せていく。
ここの男性は、ほぼ連れ合いを亡くし一人暮らしが難しくなって来ている人のようだ。家族が居ない訳ではない、元気であっても一人暮らしは今の高齢の男性には難しいのだ。同じ階の何とか普通にしている米寿の人は、「娘たちにこれ以上世話をかけたくない」と、ここを選んだそうだ。娘3人とも夫が還暦を過ぎて、自分たち夫婦の老後を考える時期になり、父親の介護も・・とは頼めない、と。
「女房が居なくなったら、男の一人暮らしは惨めなものだよ」ということらしい。戦前生まれの男性の典型だ。
100歳になっても普通の生活を出来る人たちは、ごくごく少数だと思う。
テレビを見ていて、本当に恵まれたエリート100歳だと思った。ともかく、それまで健康で過ごされたことが何よりも貴重なこと。

卒寿なほ長寿を願ふ冬木の芽   KUMI

コメント (2)
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