ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

東京都あきる野市、東京都指定史跡深沢家屋敷跡です!!

2016-01-04 10:20:02 | 文化財・寺社
深沢家屋敷跡は、山抱きの大樫・千年の契り杉の入口から

更に1km程奥に在ります





屋敷跡入口です



川沿いの立派な石垣が続きます

門に向かいましょう

立派な門です

東京都指定史跡深沢家屋敷跡の石碑です

川沿いの石垣です

屋敷跡です


屋敷跡の説明版です
    東京都指定史跡 深沢家屋敷跡
        所在地 あきる野市深沢7番地
        指 定 昭和58年5月6日
      江戸時代中期以前の深沢家の沿革は詳らかではないが、江戸時代後半より土地の集積を行い山林地主
     として産を伸ばし江戸中期に深沢村の名主役に就任している。幕末には「同心株」を譲り受け江戸幕府
     の御家人である八王子千人同心に就き、村内鎮守社の神官をも勤めていた。
      明治維新を迎え深沢家を継いだ名生は深沢村の戸長に就任し、息子の権八は村用掛に任ぜられ、つい
     で神奈川県議会議員に当選している。
      名生・権八親子は三町十四ヶ村から四〇名近い会員を集め学習会・討論会・研究会を行っていた民権
     結社「学芸講談会」の指導的立場にあり、五日市地域の自由民権運動の中心的な人物であった。
      当地は江戸時代後期の名主屋敷の旧態をとどめ、また三多摩自由民権運動を象徴する「五日市憲法草
     案」発見の場所であり、当時五日市地域で民権運動の中心となっていた豪農民権家の生活様態を推定し
     得る遺跡として貴重である。
        昭和五八年1〇月1日建設       東京都教育委員会
       



母屋の写真です


土蔵が有ります

土蔵の説明版です 
    あきる野市の文化財  五日市憲法草案と深沢家土蔵
        土蔵所在地   あきる野市深沢7番地
      五日市憲法草案は明治13年に深沢権八を中心に結成された学習結社五日市学芸講談社の有志と、宮城
     県栗原郡白幡村(現栗原市志波姫)に生まれ、五日市勧能学校の教師としてこの地を訪れていた千葉卓三
     郎が中心となって明治14年に起草した、自由民権思想に溢れた私擬憲法草案です。
      昭和43年、東京経済大学教授であった色川太吉氏らが既に朽ちかけていたこの土蔵を調査し、二階か
     ら革筒や行李・長持ちの中にぎっしりと詰まった古文書約一万点を発見しました、草案は今にも壊れてし
     まいそうな行李の中から古びた小さな風呂敷に包まれて眠っていました。起草から約90年を経た夏の日
     のことでした。
      (土蔵は平成6年に修理が行われています。また、小道を登ったこの敷地北側には、深沢権八の眠る深
     沢家の墓所があります)
        平成17年11月15日設置           あきる野市教育委員会





映画五日市物語のロケ地です
    あらすじです・・・
     テレビ番組等を製作するにあたっての情報収集を専門に行っている会社「あつめ屋」に勤める伊藤友里
     (遠藤久美子)。テレビ局からの依頼で、平成の大合併の先駆的合併を行った東京都あきる野市へ赴き、
     合併から15年経った今、歴史的にも古くから栄え風光明媚だった当時の五日市がどう変わったのかを探
     り始める。しぶしぶ取材を始めた友里であったが、市職員の栗原雄介(山崎佳之)に導かれて、時が止ま
     ったかのような穏やかな空気が流れる土地柄に触れてゆくうちに、心が洗われていくような感情を覚え
     るのであった。そして、昔からずっと五日市に暮らしている油屋旅館の女主人・岸トシ子(草村礼子)と
     出逢い、彼女の生き様に興味を抱くようになり、次第に友里の中でも何かが変わり始める。

     (ホームページから引用させていただきました)



五日市には、ほかにも見どころがいっぱいありそうですね


では、次へ行きましょう
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