ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県下妻市、宗道神社と宗道河岸(史跡)です!!

2016-01-15 08:12:50 | 文化財・寺社
宗道神社は、下妻市役所の南約3kmのところ

県道56号線と県道357号線の交差点「宗道十字路」の直ぐ西側にあります

直ぐ西側の道路脇に止めさせていただきました

県道に面した鳥居です

宗道神社です

天然記念物大欅の碑が有ります

宗道神社沿革史です
    宗道神社は素戔嗚尊を祭神として、京都の八坂神社より遷宮した由緒ある社で大字宗道の護り神として
   代々氏子の崇敬の社として現在に至りました。境内参道左側入口に鬱蒼として聳え立ち平安の昔より鬼怒
   の清流に影を落として来た大欅は、千代川村の象徴として仰いで来た銘木で氏子にとっては歴史と伝統に
   育まれた記念すべき老木で当時は関東一の大欅と稱せられた。
    江戸時代河岸解説以来大正の中期頃まで宗道河岸は物資の集散地として栄え高瀬舟帆柱が立ち並び大欅
   の枝影に泊まり詩情豊かな処であった。千代川村唯一の茨城県指定の天然記念物として永い間住民に親し
   まれ郷土の語り手としての大欅も八百五十有余年の樹齢を経て枯損木化し枯死する枝と幹の空洞化が一段
   と進み家屋、道路交通の危険性が増加したので植物専門学者に依頼して鑑定調査した結果余命幾許もない
   との判定と県道(宗道ー古河線)の道路拡張工事の為伐採の止むなきに至る。昭和6年11月に竣工した 
   鉄筋コンクリートの大宗橋も五十一年の歳月を経て老朽化し昭和57年7月末日に取り壊され当時の面影
   が一変したことは時代の流れとは申せ惜別の情に堪えぬ次第です、由緒ある大欅の跡地に氏子一同相計り
   て永く当時の状況を後世に伝える為此碑を建立して記念の印とする。
        昭和58年11月15日   宗道神社氏子総代一同撰文  柴山仙刻

参道です


注連縄の巻かれた大きなカシの木があります




アラカシの木に関する表示等は有りません

手水舎です

神楽殿です

拝殿です

本殿です



境内には大きな切株の跡が多数残っています

境内北西側に大きな石碑が立っています


史跡 宗道河岸の説明版です
     宗道河岸がいつごろ開設されたかは定かでないが、慶安年間の墓碑などがあることや、日光東照宮造
    営のために鬼怒川の舟運が利用されたことなどをかんがえると、寛永(1624~43年)威はそれ以
    前に多賀谷氏の旧家臣であった内田五右衛門が上河岸を開設したようである。
     その後、森氏が中河岸、浅野氏が下河岸を開設し、大正2年に常総鉄道が開通するまで隆盛を極めた
     真壁、下館、遠くは笠間方面からの年貢米や味噌、しょう油、薪炭、土器(甕類)などの物資がここ
    から江戸に積み出され、江戸からもさまざまな物や文化が流入し、盛時には数十隻の高瀬舟が往来した。
     明治期には結城郡役所、税務署、土木事務所、郵便局、銀行、旅館、旗亭などが集まって、この地方
    の政治経済文化の中心地であった。
     やがて鬼怒川は、大正15年(1926年)流路改修工事が施され、昭和10年(1935年)に現
    在のような流れになった。旧河川敷は「開田記碑」が示すように水田化されたが、さらに時代は変転し
    て、今は役場庁舎などが建ち、当時の面影はない。
       平成26年6月30日                  下妻市教育委員会

鬼怒川の河川敷では、2015年9月10日の鬼怒川堤防決壊によって、常総市内が水没した事は記憶に新しいことです。

では、次へ行きましょう
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