ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

栃木県芳賀町、高宗寺です!!

2016-10-05 20:02:50 | 文化財・寺社
高宗寺は、芳賀町役場の北東約500mのところ

県道61号線の東側、大きなお寺です

山門東側に駐車場が有ります

真言宗豊山派 密興山 高宗寺です

芳賀秩父観音 二番札所です

参道から山門です


説明版です
   高宗寺山門
     木造銅板葺  間 口  4間半
            奥 行  3間半
      この山門は白木の豪壮な楼門造りである。延宝元年癸卯(1673年)維新という人
     の作だと古書にあり、この地の旧家、横堀家の寄進と思われる。
      真岡藩主であった稲葉正成が、寛永4年(1627年)若色に正成寺を建立したが、
     明治元年(1868年)3月に、神仏混肴を禁止する令が出されて、全国に廃仏棄釈の
     風潮が起こった頃廃寺となった。
      この時、成正寺の山門を高宗寺に移築したものである。また昭和47年に山門修理を
     いた際に、屋根裏の木材に「明和9年癸辰(1769年)」と「尼子村大工中村・小松」
     と書いた墨書が発見されており、移築前にも修理が行われたようである。   
興宗寺の額が掛かります


左右に仁王様の居る仁王門です

山門の内側です

本堂です

弘法大師様です

墓地側に在るのは観音堂のようです

説明版です
  真言宗 密興山地蔵院 高宗寺
    当山の開基は、天慶9年(946年)とも応永10年(1403年)ともいわれ、良慶大和尚
   がかいざんした。寺伝によると、天文2年10月8日、国家安穩のため祖母井信濃守吉 が更に
   再建すとあり、昔は二 格院と申した。
    東京湯島の根生院の末寺である。山門は白木の豪壮な楼門造りで、延宝元年癸卯建立で維親と
   という人が建てたと横堀家の古書にある。寺の棟札には、施主横堀源右衛門常俊とある。昭和
   47年山門修復のとき、屋根裏の木材に「明和9年癸辰」の墨書と、尼子村(現茂木町天子)
   大工中村・小松と書いた墨書があった。この楼門は一説によると、真岡市八条にあった真岡藩主
   稲葉正成建立の真岡市八条、政成寺の山門といわれ、この墨書は、その時の年代を示すものかと
   思われる。
    境内にある観音堂は、延享3丙寅年法師尊海・尊盛の代、施主横堀仙右衛門によって田野辺邑
   (現・市貝町田野辺)大工永(長)野万右衛門の作である。この観音堂も永年の風雪にたえて、
   損傷甚だしかったので檀徒の浄財により修復された。
                                芳賀町教育委員会

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栃木県芳賀町、五行川のエノキとロマンの碑です!!

2016-10-05 07:12:31 | 巨樹・大木
五行橋のたもとに、エノキの大木とロマンの碑がありあす

芳賀町役場の南南西約3kmのところ

国道23号線の直ぐ北側に在ります

駐車場が整備されていますので安心です

芳賀広域圏 ふるさとめぐりの案内板です

東側駐車場からエノキです



北東側から

根元に勝善神の祠が有ります




北側から

五行川に掛かる五行橋です

西側橋の上から、目通り幹周り4,7mの大木です

エノキの北側にロマンの碑が有ります

説明版です
   ロマンの碑
     我が国画壇を代表する青木繁の名作の数々が、この地に誕生した福田たねとの愛の中から
    生まれたことを記念するため、和久奈南都瑠(ワグナー・ナンドール)氏の設計と製作によ
    り、昭和51年秋に完成したものである。
     福田たねは碑の南、道をへだてた呉服商の福田家に明治18年生を受け、地元の小学校を
    卒業後、日光の五百城文哉の画塾に日本画を学んだ。明治36年に上京、不同舎に入り青木
    繁と出会い、翌38年一子幸彦(後の邦楽家、尺八奏者の福田蘭童)を生んだ。
     親子3人は明治39年12月から翌年3月まで、たねの実家に滞在し、繁は川をへだてた
    西北100mの黒崎家の一室を借り、たね等をモデルに名作「わだつみのいろこの宮」(石
    橋財団石橋美術館所蔵国指定重要文化財)を製作した。この作品を東京府勧業博覧会に出品
    するため上京する繁と、二人の間に生まれた幸彦を抱いたたねとの最後の別れとなった場所
    である。
     「わだつみのいろこの宮」は古事記上巻の名高い神話、海幸彦山幸彦の物語のなかから主
    題を取った作品。なくした針をさがしに海へ入った山幸彦が、魚鱗のごとく造れる宮いろこ
    の宮の門のところで、水をくみにきた豊玉姫とその侍女に出会う場面である。
     福田家の近くにある黒崎家の一室を借り、たねと神保ゆうという娘さんが豊玉姫と侍女の
    モデルに、山幸彦には、たねの弟栄吉がつとめた。山幸彦登った湯津香木は福田家の庭に今
    でもある木犀つかったという。                 芳賀町教育委員会
   
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