ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

東京都台東区、谷中大雄寺のクスノキです!!

2017-06-09 07:01:59 | 巨樹・大木
大雄寺は、JRにっぽり駅南口から谷中墓地を抜けたところ

延命院からは、南へ一方通行の道路を進みます

都道452号線側(東側)に入口が有ります


旧谷中町町名由来です

大雄寺入口です

入り口に大きな石碑が有ります

高橋泥舟墓の説明版です
   台東区谷中6丁目1番26号 大雄寺
  高橋泥舟は幕末期の幕臣、槍術家。名は正晃。通称謙三郎。のち精一。泥舟と号した。
 山岡鉄舟の義兄にあたる。天保6年(1835)2月17日、山岡正業の次男として生ま
 れ、高橋包承の養子となる。剣術の名人として世に賞賛され、21歳で幕府講武所教授、
 25歳のとき同師範役とない、従五位下伊勢守に叙任された。
  佐幕・討幕で騒然としていた文久2年(1862)12月、幕府は江戸で浪士を徴集し
 翌3年2月京都へ送った。泥舟は浪士取扱となったが、浪士が尊攘派志士と提携したため
 任を解かれた。同年12月師範役に複職し、慶応3年(1867)遊撃隊頭取となる。
  翌4年1月「鳥羽伏見の戦」のあと、主戦論が多数を占めていた中で、泥舟は徳川家の
 恭順を説き、15代将軍徳川慶喜が恭順の姿勢を示して寛永寺子院の大慈院に移り、つい 
 で水戸に転居した際には、遊撃隊を率いて警護にあたった。廃藩置県後は、要職を退き、
 隠居し書を楽しんだという。明治36年2月13日没。
  勝海舟、山岡鉄舟とともに幕末の三舟といわれる。
      平成16年3月             台東区教育委員会

本堂前にクスノキがあります

北側から、直ぐ右手に泥秋の墓が有ります

保存樹標識、くすのき第8号です

本堂前から見上げました、目通り幹周り6,2m、クスノキで都内一番の巨木です

えは、次へ行きましょう
コメント
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