溝口地区は、伊那市役所の東南東約12kmのところ
国道361号線で高遠へ、高遠城跡公園の手前を国道152号線で南へ
美和湖の東岸を進むと、間もなく長谷の中心部溝口です
国道沿いの郵便局手前から、かつての長谷村役場(現市役所総合支所)の前を登って行きます
東側の山の上に鹿嶺高原が有ります、キャンプ場などの野外活動の出来るところです
カラカサ松は標高約1300mのところです

熱田神社を過ぎて200mで鹿嶺高原への道に入ります、鹿嶺高原までは12kmの距離です

延々と登りつづけて約6km過ぎたころ、カラカサ松の案内板が有ります

案内板を入ると直ぐに重機が道路整備をしている様です、重機の先にカラカサ松が見えています、手前の広い所に
車を止めさせて頂きました

カラカサ松です


東側から見上げました

説明版です.
溝口のカラカサ松
指定 伊那市文化財(天然記念物)
平成9年6月25日
所在地 伊那市長谷溝口
この土地の人たちは、この松を「カラカサ松」と呼んでいる。いつのころからそのように呼ばれるようになったものであろうか。
樹齢は約400年余と推定される。これは長野県が調査している森林調査簿という山林台帳に載っている林齢である。
この場所から尾根筋をたどって下っていくと溝口集落に着く。この松の根元に山の神を祀ってある。石碑に刻まれている「中山、中島村」というのは、溝口の中の小集落であり、この附近の山林所有者もこの集落の人たちが多い。
現在は車道があいて、この場所に容易に来ることができるが、以前は山道を歩いて山仕事をしてきた。この松の下で一休みした場所でもあった。
ここから上の方へ道をたどると、途中で非持(溝口の北側の集落)からの道と合流し「空峠」から戸台(南アルプス林道西側入り口)方面へ、また、鹿嶺高原へ向かうことができた。
さて、このような特異な姿をした松がこの場所に育ってきたことを不思議に思うところである。ある日突然に大きくなったものではない。この場所が歴史上で何らかの因縁があって残されてきたものであろうか。遠い昔に想いをめぐらすところである。
伊那市教育委員会




南東側の幹を見上げました

幹の根元に「大山祗神」の石碑です



西側から



北側から、目通り幹囲5,5mの巨木です



北東側から見上げました
では、次へ行きましょう
国道361号線で高遠へ、高遠城跡公園の手前を国道152号線で南へ
美和湖の東岸を進むと、間もなく長谷の中心部溝口です
国道沿いの郵便局手前から、かつての長谷村役場(現市役所総合支所)の前を登って行きます
東側の山の上に鹿嶺高原が有ります、キャンプ場などの野外活動の出来るところです
カラカサ松は標高約1300mのところです

熱田神社を過ぎて200mで鹿嶺高原への道に入ります、鹿嶺高原までは12kmの距離です


延々と登りつづけて約6km過ぎたころ、カラカサ松の案内板が有ります


案内板を入ると直ぐに重機が道路整備をしている様です、重機の先にカラカサ松が見えています、手前の広い所に


カラカサ松です



東側から見上げました


説明版です.
溝口のカラカサ松
指定 伊那市文化財(天然記念物)
平成9年6月25日
所在地 伊那市長谷溝口
この土地の人たちは、この松を「カラカサ松」と呼んでいる。いつのころからそのように呼ばれるようになったものであろうか。
樹齢は約400年余と推定される。これは長野県が調査している森林調査簿という山林台帳に載っている林齢である。
この場所から尾根筋をたどって下っていくと溝口集落に着く。この松の根元に山の神を祀ってある。石碑に刻まれている「中山、中島村」というのは、溝口の中の小集落であり、この附近の山林所有者もこの集落の人たちが多い。
現在は車道があいて、この場所に容易に来ることができるが、以前は山道を歩いて山仕事をしてきた。この松の下で一休みした場所でもあった。
ここから上の方へ道をたどると、途中で非持(溝口の北側の集落)からの道と合流し「空峠」から戸台(南アルプス林道西側入り口)方面へ、また、鹿嶺高原へ向かうことができた。
さて、このような特異な姿をした松がこの場所に育ってきたことを不思議に思うところである。ある日突然に大きくなったものではない。この場所が歴史上で何らかの因縁があって残されてきたものであろうか。遠い昔に想いをめぐらすところである。
伊那市教育委員会




南東側の幹を見上げました


幹の根元に「大山祗神」の石碑です




西側から




北側から、目通り幹囲5,5mの巨木です




北東側から見上げました

では、次へ行きましょう

