ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県伊那市、長谷溝口「溝口熱田神社本殿」(国重要文化財)です!!

2020-09-25 06:30:00 | 文化財・寺社
溝口地区は、伊那市役所の東南東約12kmのところ

国道361号線で高遠へ、高遠城跡公園の手前を国道152号線で南へ

美和湖の東岸を進むと、間もなく長谷の中心部溝口です

国道沿いの郵便局手前から、かつての長谷村役場(現市役所総合支所)の前を登って行きます

間もなく左手に熱田神社が西向きに鎮座します

前の駐車スペースの車を止めさせて頂きました

神社入口です、二本並んだ杉の大木は共に雷が落ちた跡が残り幹の上の方が切られてしまっています

邨社 熱田神社です(邨は村のことですので村社?)

手水舎です

大きな国指定重要文化財の石碑です

説明之石碑です
 熱田神社(重要文化財)
  信濃なる伊那てう里の片辺にも 恵み熱田の神の御柱
 遠い昔の先祖たちが 日れ式寄を信仰し、尾張の国 熱田神宮の形影(三方三つ辻)をお迎えし産土神として祀ったのが当社のはじまりである。
 現在の本殿は宝暦12年(1762)溝口村百数十戸の氏子が300両という大金を出しあって建築したものである。
 この建築には宮大工であった当溝口村高見善八が棟梁となり 多くの職人とともに精魂こめて仕上げたもので 規模といい 遺綃といい近隣に比類ない豪丯なものである。
 特に彫刻師は上州(現群馬県)勢多郡の河口文治郎 彩色は武州(現埼玉県)熊谷在の森口清吉である。竜・象・唐獅子・花鳥などの彫刻は実に巧妙華麗でみあきることがない、それで名声が響きわたり「伊那日光」と呼ばれるようになった。
  たとの本殿を風雨から防ぐため 明治21年(1888)大覆(かやぶき屋根)を再建し、以後幾たびかの屋根替えが行なわれ現在に至っている。
文化財指定の経緯
 昭和47年8月25日 長谷村文化財指定
 平成元年8月14日  長野県県宝指定
 平成5年12月9日  重要文化財指定
    長谷村教育委員会

拝殿です

本殿は大覆の中です、玉垣が細かいので全体を見る事はできませんでしたが、大覆の中には大きな本殿と、本殿の左右に祠が有ります


本殿軒下の彫刻です

本殿両側の背板の老人の彫刻です


本殿裾回りの唐子と龍の彫刻です

拝殿の北側には龗神社です

境内左手には、舞宮です

説明版です
 熱田神社の舞宮
指定 伊那市文化財(有形文化財)
平成元年5月22日
所在地 伊那市長谷溝口
 この舞宮は以前、熱田神社拝殿の前にあったため「前宮」とも呼ばれていた。記録によると「神楽殿」となっている。昭和11年に活用するのに便利な場所へと現在地に移転したものである。屋根は茅葺であったが平成元年に鉄板ぶき屋根に改修された。舞宮の文字が意味しているように、神前において踊りや芝居などの芸能を神様に奉納するための舞台として使用されてきた。
 当時、娯楽・芸能は自分達が作り演じてきた。いわば村人の文化創造活動の本拠となっていたのがこの舞宮である。
   伊那市教育委員会

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