春日地区は、阿智村役場のすぐ東側の地区です
阿智村役場の北側道路で東側の沢を越えます
正面の台地の上に宮崎氏館跡の公園が有ります
公園の東側道路脇に車を止めさせて頂きました
公園と言っても広い芝生が拡がるだけです
西側に大杉が立っています
北側道路(北東側)から見ました
公園の中を近付きます
阿智村天然記念物中関の大杉の標柱です
説明版です
阿智村天然記念物 中関の大杉
春日 中関下 所在
昭和43年9月1日 指定
この杉は旧宮崎邸隣にあって、旗本宮崎康景の流れをくむ宮崎家の御神木として保護されてきました。
植物学者八木貞助の調査により、「長野県史跡名勝・天然記念物報告書」に記載され、昭和14年(1939)に県天然記念物として指定を受けましたが、昭和41年(1966)に指定解除されました。
推定樹齢1000年といわれ、飯田下伊那では、月瀬の大杉(根羽村・国天然記念物)、立石の雄杉・雌杉(飯田市・県天然記念物)、本村神坂神社の日本杉(村天然記念物)等に次ぐ規模のものといえます。
以前は男杉といわれ、阿智高校近くに女杉(昭和20年4月に軍需物資として伐採)があり、この二本で夫婦杉とよばれていました。
杉はヒノキ科スギ亜科スギ属の常緑針葉樹であり、日本固有種です。
【本樹の大きさ】樹高約40m(近年の再計測)目通り径6,5m 枝張り東西23m 南北25m
阿智村教育委員会
*説明文に出てくる、月瀬の大杉や日本杉、雄杉に雌杉も見ていく予定です
南側から、目通り幹囲6、5mの巨木です
南西側から、綺麗に枝打ちされているので、説明版の数値の枝張りはないようです
北西側から
北側から、回りに大きな高い木々がないので、落雷が心配ですね
宮崎氏館跡の碑です
宮崎氏は長く自治にかかわっていたようです
屋敷跡の歌碑です
では、次へ行きましょう
阿智村役場の北側道路で東側の沢を越えます
正面の台地の上に宮崎氏館跡の公園が有ります
公園の東側道路脇に車を止めさせて頂きました
公園と言っても広い芝生が拡がるだけです
西側に大杉が立っています
北側道路(北東側)から見ました
公園の中を近付きます
阿智村天然記念物中関の大杉の標柱です
説明版です
阿智村天然記念物 中関の大杉
春日 中関下 所在
昭和43年9月1日 指定
この杉は旧宮崎邸隣にあって、旗本宮崎康景の流れをくむ宮崎家の御神木として保護されてきました。
植物学者八木貞助の調査により、「長野県史跡名勝・天然記念物報告書」に記載され、昭和14年(1939)に県天然記念物として指定を受けましたが、昭和41年(1966)に指定解除されました。
推定樹齢1000年といわれ、飯田下伊那では、月瀬の大杉(根羽村・国天然記念物)、立石の雄杉・雌杉(飯田市・県天然記念物)、本村神坂神社の日本杉(村天然記念物)等に次ぐ規模のものといえます。
以前は男杉といわれ、阿智高校近くに女杉(昭和20年4月に軍需物資として伐採)があり、この二本で夫婦杉とよばれていました。
杉はヒノキ科スギ亜科スギ属の常緑針葉樹であり、日本固有種です。
【本樹の大きさ】樹高約40m(近年の再計測)目通り径6,5m 枝張り東西23m 南北25m
阿智村教育委員会
*説明文に出てくる、月瀬の大杉や日本杉、雄杉に雌杉も見ていく予定です
南側から、目通り幹囲6、5mの巨木です
南西側から、綺麗に枝打ちされているので、説明版の数値の枝張りはないようです
北西側から
北側から、回りに大きな高い木々がないので、落雷が心配ですね
宮崎氏館跡の碑です
宮崎氏は長く自治にかかわっていたようです
屋敷跡の歌碑です
では、次へ行きましょう