西長野地区は、長野市役所の北西約4kmのところ
長野県庁前を北へ進み突き当りの、信州大学前を左(西)に国道406号線です、信号二つ目の右手に自治会館が見えて来ます、自治会館の向かい(南)側に賀茂神社が東向きに鎮座します
境内入口前の道路脇に車を止めさせて頂きました
自治会館です
境内入口です
賀茂神社です
手水舎です
鳥居です
拝殿です
懸け額です
本殿です
由緒説明版です
賀茂神社由緒
御祭神 玉依比売命(タマヨリヒメノミコト)
当社の縁起は善光寺如来当地に遷座の折り、如来の輿を担ぎし者この地に居住し土地を開墾し、賀茂神を奉斎す。よって輿村(西長野の旧名)を成す説と、天安2年(858)大本願第33世宝林上人が京都より赴任の際守護神である賀茂御祖神社(下鴨神社)の御分霊を当地に祀り、この時に供奉した者が奥村の草分けともいう。
善光寺七社(妻科・湯福・木留・柳原・武井・美和神社)であり大本願とは深き縁故がある為、大本願上人が秋季例祭に参拝される。仏教者が神社の祭日に拝礼することは全国的にも非常に珍しい例である。
古来より疱瘡(天然痘)除け、安産の神として崇敬を受け、松代藩より社領一石の寄進があった。
現在の社殿は慶応4年(1868)本殿上屋は嘉永7年(1854)、茅葺きの拝殿は明治7年(1874)の再建。
宮司は古くから斎藤家により奉仕され、判明している最古の記録は長禄2年(1458)に斎藤惣太夫盛堯とあり、現宮司はそこから32代を数える。
社殿の左(西)に目的のケヤキです
北東側(本殿横)から
北北東側から、目通り幹囲5.0mの巨木です
では、次へ行きましょう
長野県庁前を北へ進み突き当りの、信州大学前を左(西)に国道406号線です、信号二つ目の右手に自治会館が見えて来ます、自治会館の向かい(南)側に賀茂神社が東向きに鎮座します
境内入口前の道路脇に車を止めさせて頂きました
自治会館です
境内入口です
賀茂神社です
手水舎です
鳥居です
拝殿です
懸け額です
本殿です
由緒説明版です
賀茂神社由緒
御祭神 玉依比売命(タマヨリヒメノミコト)
当社の縁起は善光寺如来当地に遷座の折り、如来の輿を担ぎし者この地に居住し土地を開墾し、賀茂神を奉斎す。よって輿村(西長野の旧名)を成す説と、天安2年(858)大本願第33世宝林上人が京都より赴任の際守護神である賀茂御祖神社(下鴨神社)の御分霊を当地に祀り、この時に供奉した者が奥村の草分けともいう。
善光寺七社(妻科・湯福・木留・柳原・武井・美和神社)であり大本願とは深き縁故がある為、大本願上人が秋季例祭に参拝される。仏教者が神社の祭日に拝礼することは全国的にも非常に珍しい例である。
古来より疱瘡(天然痘)除け、安産の神として崇敬を受け、松代藩より社領一石の寄進があった。
現在の社殿は慶応4年(1868)本殿上屋は嘉永7年(1854)、茅葺きの拝殿は明治7年(1874)の再建。
宮司は古くから斎藤家により奉仕され、判明している最古の記録は長禄2年(1458)に斎藤惣太夫盛堯とあり、現宮司はそこから32代を数える。
社殿の左(西)に目的のケヤキです
北東側(本殿横)から
北北東側から、目通り幹囲5.0mの巨木です
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