ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県長野市、三輪「美和神社のケヤキ」です!!

2021-07-16 06:39:00 | 巨樹・大木
 三輪地区は「、長野市役所の北東約2kmのところ

 県道399号線と長野電鉄線の間、長野電鉄ほんごう駅の北西側に、南向き参道で美和神社が鎮座します

 境内西側の道路脇に車を止めさせて頂きました


参道入口前道路から長野電鉄ほんごう駅です


参道入口です

縣社 美和神社です

入り口右手のケヤキの大木です

境内に入って手水舎です

説明版です
  心のふるさと 美和神社
鎮座地
 長野市大字三輪字相木東514番地
御祭神
 大物主命(大国主命の和御霊)・相殿 國業比賣神 神部神
由緒
 創立年月はあまりにも上代のことで伺い知ることはできませんが、歴史のうえに現われるのは、貞観8年(866年)2月の三代実録の記事に、信濃国水内郡三和神部の両神が大変怒って、兵乱や病気をはやらせる。といわれたので、朝廷は国司や講師に命じて沢山のお経を読んで神様の怒りを鎮めさせた。という事で一躍有名になる。後、延喜年間、醍醐天皇が命じて作らせた延喜式の神名帳に当神社も記載された神社(延喜式内社)であり、我国では最古の歴史を持つ神社として認められ、氏子八ヶ町はもとより近町崇敬者の尊崇を受ける。
 現在の社殿は、寛政5年(1793年)の建立であり、明治6年4月に村社、昭和10年8月には縣社に昇格、今年昭和61年7月からは、御由緒・諸設備・維持管理が優れていることが認められ、「献幣使参向神社」に指定、昇格する。
 なお12月16日に謹行される、越年祭は、境内百末社石祠の全国一之宮の天神・地神の神々に対し、祝膳を捧げ、感謝の誠を尽くす御祭儀は大変特殊な神事で当社だけのものである。

延喜式内 美和神社の石碑です

参道左手にケヤキの巨木が並びます

手前の巨木です

奥側が目的のケヤキの巨木です

拝殿です

拝殿西側の壁面には算額です1問から3問までの解説が下の説明ですが難しいです

本殿覆い屋です

境内西側のケヤキです

北側から

西側道路から


社殿西側のケヤキ三本と縁結比乃大神の鳥居です

本殿北西側のケヤキです


大青麻彦神社のようです

説明版です
  大青麻彦神社  
 御本社は仙台市岩切青麻山にある。55代文徳天皇の御代(仁寿2年)都人穂積保昌が諸人に麻を植えることを教え且つ日月星の青麻三光神と称し、古来より中風病退除・家内安全・商売繁盛と各地青麻神社守神として神徳高く言い伝えられた。現在は美和神社の末社である。
 長野市制百周年記念事業三輪地区実行委員会建之

説明版です
  青麻神社起因  
 奥州に御本社ある青麻神社は、古来より中風病退除、家内安全の守神として其霊験あらたかな事世に広く知られ、信仰する患者は必ず快方に向かうと言われ、健康な人々は中風を除けんと全国より参詣する者多くあると云う。
 たまたま明治年間大須賀忠右衛門と云う方が中風にかかり、なかなか快方に向かわず思案していた所、知人の話に青麻神社を信仰すれば良いとすすめられ、一心に信仰いたしましたところ病気もだんだん快方に向かいつつあった。
 折りも折、美和神社境内に60末社を建設するという話が持ち上がったので、忠右衛門氏も青麻神社を勧誘して美和神社境内にお社を建立し請願したところ中風も全快したのである。
 以来当青麻神社は近辺に稀な中風退除、家内安全の守神として日々参詣があり近隣は申すに及ばず、遠方は越後方面より参詣に来られる者も多数ある様になった。

説明版に有る60末社が並びます

では、次へ行きましょう
コメント
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