箱清水地区は、長野市役所の北北西約2kmのところ、善光寺の北側になります
JR信越本線ながの駅末広町信号から北に伸びる中央通り(旧北国街道)が善光寺に至ります
善光寺の西側の駐車場前から県道37号線をに西へ、次の十字路を北へ進むと道路左に湯福神社が南向きに鎮座します
戸隠街道の入口です,鳥居前道路脇に車を止めさせていただきました
境内南東側のケヤキの大木です
参道入口です
湯福神社です
手水舎です
鳥居です
由緒説明版です
湯福神社由緒
御祭神 建御名方命 荒御魂
当社の鎮座は往古のことで詳らかではない、ただ、日本書記に持統天皇5年(691)に風鎮祭の神として、奈良の龍田大神・信濃諏訪の大神・当地(水内郡と呼ばれていた)の水内大神の三社を勅祭としたと記録があり、古くよりこの水内平野一帯の氏神として崇敬されていたことがわかる。
御祭神の建御名方命は、大国主命の御子神で信濃国の国土開発に当たられた。特に当社は大神の荒御魂(積極的・活動的な魂)をまつり、力強い神の働きを持つ。
「湯福」の社名は、風の吹く形容から「息吹(イフキ)の神」の御名が「イフクの神」・「ユブクの神」と変わってきたもので、「井福大明神」とも称され、川中島の戦いの折りに越後勢に持ち去られた「井福大明神」名の鰐口が新潟県の佐渡ヶ島に現存している。
風と水の守護神と仰がれ五穀豊穣・生業繁栄を祈り、豊かな生活の根源を司る神である。古来より善光寺の氏神・鎮守の神として、また戸隠神社の守護神三社の一つと称される。現在に至るまで例大祭には善光寺よりの参拝を受ける。境内拝殿左手前には、善光寺開祖本田善光卿の廟とされる磐鏡が祀られている。
例大祭は10月10日である。特殊神事の「湯立の神事」が行なわれる。聖なる熱湯で不浄を清め去り、明日への清浄発展を祈る神事である。同日荒御魂の御名をもって「境内相撲」が催される。
参道両脇の大欅は旧文部省指定で樹齢は一千有余年を越える。現在は長野市文化財に指定されている。
尚、氏子は市内15ヶ町である。
(左下には、コロナ退散祈願のアマビエの絵が有りました)
拝殿前参道左のケヤキです
右のケヤキです
境内西端戸隠街道脇のケヤキです
参道左に善光廟です
ケヤキの間から拝殿です
天然記念物標柱です(境内入口鳥居脇に在りました)
参道左のケヤキの根元に天然記念物説明版です
天然記念物
湯福神社のケヤキ
長野市指定文化財
昭和42年11月1日指定
ケヤキ(ニレ科)は本州・四国・九州の平地丘陵地に自生し、また植えられる。各河川の厚い土地に発達している。夏緑樹であるため、夏の暑い日差しを防ぐ働きがある。
大きい根は、地下水を大量に吸い上げるので、土壌の湿気を少なくするのに役立っている。社寺境内などでは、このような自生木が大木となったものが主である。
指定木は以下の3本である。
①参道の東側のケヤキ。 樹高約18m、胸高周囲8.77m、推定樹齢約900年。
②参道の西側のケヤキ。 樹高約20m、胸高周囲6.85m、推定樹齢約700年。
③西側の玉垣近くのケヤキ。樹高約17m、胸高周囲7.66m、推定樹齢約800年。
これら3本は、以前に旧県指定をうけたことがある名木で、風雪に耐えながら、現在に至っている。
平成14年3月29日
長野市教育委員安芸
湯福神社
参道右側のケヤキ(説明版①のケヤキ)を拝殿前から見ました
参道左側のケヤキ(説明版②のケヤキ)を拝殿前から見ました、大きな傷が根元から主幹の上までのびています
境内社ですがお名前が分かりませんね~
大きな本殿を見る事が出来ます
本殿脇にも若いケヤキの大木が並びます
境内西端の③のケヤキを北東側から
西側の道路(戸隠街道)に出て北側から
南西側から、③のケヤキも大きな傷が有ります
では、次へ行きましょう
JR信越本線ながの駅末広町信号から北に伸びる中央通り(旧北国街道)が善光寺に至ります
善光寺の西側の駐車場前から県道37号線をに西へ、次の十字路を北へ進むと道路左に湯福神社が南向きに鎮座します
戸隠街道の入口です,鳥居前道路脇に車を止めさせていただきました
境内南東側のケヤキの大木です
参道入口です
湯福神社です
手水舎です
鳥居です
由緒説明版です
湯福神社由緒
御祭神 建御名方命 荒御魂
当社の鎮座は往古のことで詳らかではない、ただ、日本書記に持統天皇5年(691)に風鎮祭の神として、奈良の龍田大神・信濃諏訪の大神・当地(水内郡と呼ばれていた)の水内大神の三社を勅祭としたと記録があり、古くよりこの水内平野一帯の氏神として崇敬されていたことがわかる。
御祭神の建御名方命は、大国主命の御子神で信濃国の国土開発に当たられた。特に当社は大神の荒御魂(積極的・活動的な魂)をまつり、力強い神の働きを持つ。
「湯福」の社名は、風の吹く形容から「息吹(イフキ)の神」の御名が「イフクの神」・「ユブクの神」と変わってきたもので、「井福大明神」とも称され、川中島の戦いの折りに越後勢に持ち去られた「井福大明神」名の鰐口が新潟県の佐渡ヶ島に現存している。
風と水の守護神と仰がれ五穀豊穣・生業繁栄を祈り、豊かな生活の根源を司る神である。古来より善光寺の氏神・鎮守の神として、また戸隠神社の守護神三社の一つと称される。現在に至るまで例大祭には善光寺よりの参拝を受ける。境内拝殿左手前には、善光寺開祖本田善光卿の廟とされる磐鏡が祀られている。
例大祭は10月10日である。特殊神事の「湯立の神事」が行なわれる。聖なる熱湯で不浄を清め去り、明日への清浄発展を祈る神事である。同日荒御魂の御名をもって「境内相撲」が催される。
参道両脇の大欅は旧文部省指定で樹齢は一千有余年を越える。現在は長野市文化財に指定されている。
尚、氏子は市内15ヶ町である。
(左下には、コロナ退散祈願のアマビエの絵が有りました)
拝殿前参道左のケヤキです
右のケヤキです
境内西端戸隠街道脇のケヤキです
参道左に善光廟です
ケヤキの間から拝殿です
天然記念物標柱です(境内入口鳥居脇に在りました)
参道左のケヤキの根元に天然記念物説明版です
天然記念物
湯福神社のケヤキ
長野市指定文化財
昭和42年11月1日指定
ケヤキ(ニレ科)は本州・四国・九州の平地丘陵地に自生し、また植えられる。各河川の厚い土地に発達している。夏緑樹であるため、夏の暑い日差しを防ぐ働きがある。
大きい根は、地下水を大量に吸い上げるので、土壌の湿気を少なくするのに役立っている。社寺境内などでは、このような自生木が大木となったものが主である。
指定木は以下の3本である。
①参道の東側のケヤキ。 樹高約18m、胸高周囲8.77m、推定樹齢約900年。
②参道の西側のケヤキ。 樹高約20m、胸高周囲6.85m、推定樹齢約700年。
③西側の玉垣近くのケヤキ。樹高約17m、胸高周囲7.66m、推定樹齢約800年。
これら3本は、以前に旧県指定をうけたことがある名木で、風雪に耐えながら、現在に至っている。
平成14年3月29日
長野市教育委員安芸
湯福神社
参道右側のケヤキ(説明版①のケヤキ)を拝殿前から見ました
参道左側のケヤキ(説明版②のケヤキ)を拝殿前から見ました、大きな傷が根元から主幹の上までのびています
境内社ですがお名前が分かりませんね~
大きな本殿を見る事が出来ます
本殿脇にも若いケヤキの大木が並びます
境内西端の③のケヤキを北東側から
西側の道路(戸隠街道)に出て北側から
南西側から、③のケヤキも大きな傷が有ります
では、次へ行きましょう