北山地区は、富士宮市役所の北約7kmのところ
国道139号線を北へ北山インターチェンジを出て左(西)へ、すぐ右手に本門寺が有ります
道路沿い西側に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました
説明版です
北山本門寺
本門寺は、日興が開山した名刹で地名を冠して重須本門寺とか北山本門寺といわれてている。本門寺に伝えられる「三堂建立棟札」によると、永仁6年(1298)に日興上人を願主として御影堂・垂迹堂・根源堂の三堂を建立したとある。
また、日興に協力し三堂建立の施主となったのが、重須郷の地頭石川孫三郎源能忠と上野郷の地頭南条七郎次郎平時光であり、それに合力したのが小泉法華宗や上野講衆であったことが分かる。本門寺の開創は、地頭だけではなく民衆の支持と支援に支えられて進められたものである。明治43年五重塔改修中に出火し、ほとんどの伽藍が焼失してしまった。
現在の建物は、その後の再建によるが、境内には、「題目杉」や「日尊腰掛け石」など昔を物語るものが残されている。
富士宮市教育委員会
駐車場から境内南西端に並ぶ杉を見ました
右の一本
左(西)側の二本です
境内へ行って見ましょう
開山日興上人 お手植お題目杉の案内板です
説明版です
静岡県指定天然記念物
北山本門寺のスギ
県指定 天然記念物
指定年月日 昭和32年5月13日
樹高 40m~42m
目通り 6m~6.6m
樹齢 推定700年
この杉は、通称題目杉と呼ばれています。
法華本門寺根源開祖、六老僧白蓮阿闍梨日興上人が、南無妙法蓮華経の七字になぞらえて、永仁6年(1296年)植えたものと伝えられています。
かつては七本ありましたが、明治中頃の落雷および昭和初期の台風により二本を損じ、さらに昭和53年と55年にあいついで枯死し、現在は三本が残るのみとなっています。
静岡県教育委員会
富士宮市教育委員会
所有者 宗教法人 本門寺
東側のスギを北東側から
南東側から
西側のスギです
西側の二本を見上げました
真中のスギを北東側から
西側のスギを南東側から見ました
どの杉もどれが一番太いかは分かりませんでした、同じサイズの七本の杉が並んでいた頃はさぞや壮観だったことでしょう
では、本堂前に在るはずのイチョウを見に行きましょう
国道139号線を北へ北山インターチェンジを出て左(西)へ、すぐ右手に本門寺が有ります
道路沿い西側に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました
説明版です
北山本門寺
本門寺は、日興が開山した名刹で地名を冠して重須本門寺とか北山本門寺といわれてている。本門寺に伝えられる「三堂建立棟札」によると、永仁6年(1298)に日興上人を願主として御影堂・垂迹堂・根源堂の三堂を建立したとある。
また、日興に協力し三堂建立の施主となったのが、重須郷の地頭石川孫三郎源能忠と上野郷の地頭南条七郎次郎平時光であり、それに合力したのが小泉法華宗や上野講衆であったことが分かる。本門寺の開創は、地頭だけではなく民衆の支持と支援に支えられて進められたものである。明治43年五重塔改修中に出火し、ほとんどの伽藍が焼失してしまった。
現在の建物は、その後の再建によるが、境内には、「題目杉」や「日尊腰掛け石」など昔を物語るものが残されている。
富士宮市教育委員会
駐車場から境内南西端に並ぶ杉を見ました
右の一本
左(西)側の二本です
境内へ行って見ましょう
開山日興上人 お手植お題目杉の案内板です
説明版です
静岡県指定天然記念物
北山本門寺のスギ
県指定 天然記念物
指定年月日 昭和32年5月13日
樹高 40m~42m
目通り 6m~6.6m
樹齢 推定700年
この杉は、通称題目杉と呼ばれています。
法華本門寺根源開祖、六老僧白蓮阿闍梨日興上人が、南無妙法蓮華経の七字になぞらえて、永仁6年(1296年)植えたものと伝えられています。
かつては七本ありましたが、明治中頃の落雷および昭和初期の台風により二本を損じ、さらに昭和53年と55年にあいついで枯死し、現在は三本が残るのみとなっています。
静岡県教育委員会
富士宮市教育委員会
所有者 宗教法人 本門寺
東側のスギを北東側から
南東側から
西側のスギです
西側の二本を見上げました
真中のスギを北東側から
西側のスギを南東側から見ました
どの杉もどれが一番太いかは分かりませんでした、同じサイズの七本の杉が並んでいた頃はさぞや壮観だったことでしょう
では、本堂前に在るはずのイチョウを見に行きましょう