ここからは、2025年1月17日取材分です
深見地区は、大和市役所の南南東約3kmのところ
大和市役所南西側の「大和市役所前」信号から南南東へ進みます
約1.6kmの「大和東3丁目」信号を左(東)へ、一方通行です
約300mで一時停止を右(南)へ出ます、国道467号線です
約600mの「深見歩道橋」信号を左(東南東)へ、「延喜式内 深見神社」の案内板が有ります
約400m左手の「深見小学校」校庭の先を左(北)へ入ります、「⇐深見神社入口」の案内板が有りますここも一方通行路です
間も無く西向きの参道入口鳥居です
鳥居の右手(南側)に砂利の広い駐車場が有りますので利用させて頂きました
延喜式内 深見神社の社號標です
鳥居を東へ入ると、南向きに境内入口です
由緒説明版です
御由緒
深見神社(旧社格郷社)建
御祭神 闇龗神(くらおがみのかみ)・武甕槌神(たけみかづちのかみ)・建御名方神(たけみなかたのかみ)
例祭日 9月15日
我国の神社総覧とでもいう記録で最も古いのは、延長5年(927)に奏進された「延喜式」神名帳である。
これに記載されている神社を延喜式内社と呼びならわし古社であることを意味し、当神社も延喜式内社で相模国に13座ある内の1座である。
創建年代と御祭神は「総国風土記」によれば「相模国深見神社雄略天皇22年3月(約1500年前)に祭るところ闇龗神なり」と記されている。
神社縁起によれば「武甕槌神東国鎮撫のため常陸鹿島に在られしとき、船師を率いてここに進軍され、伊弉諾神の御子の倉稲魂神と闇龗神の二神をして深海を治めさせられた。闇龗神(雨神)は美田を拓き土人を撫して郷を開かれた」とある。即ち深見の名の起こった所以である。
後世徳川時代になると深見は旗本坂本家の知行地となり、坂本家の崇敬する鹿島神宮(武甕槌神)から分霊を受けて従来から祀られていた闇龗神は境内にある御倉稲荷神社に合祀された。
以来深見神社の祭神は武甕槌神(武運長久)となった。
平成24年3月に現社殿再建70年の節目として、創建時の御祭神の闇龗神を本殿に合祀した。
明治9年、火災により社殿工作物など悉く焼失。
明治42年、末社の諏訪神社(建御名方神)合祀
昭和17年3月、現在の社殿再建。
手水舎です
拝殿です
拝殿左手(西側)に、目的のハルニレです
本殿です
深見稲荷神社です
ハルニレの直ぐ南側には靖国社です
靖国社境内(南側)から見上げました
説明版です
市指定史跡名勝天然記念物(記第2号)
ハルニレ
指定年月日 昭和47年2月25日
樹種 落葉高木(二レ科)
形状 樹高 30m・ 胸高周囲 4m・ 推定樹齢 約500年
ハルニレは夏緑樹林帯(ブナ帯)の木で、北国の山地に多くみられます。
県内では丹沢山地の1000m以上の地にみられますが、深見のような低地では珍しいことです。
このように珍しい木で、何という名の木かわからなかったため「なんじゃもんじゃの木」とよばれるようになったと伝えられています。
葉は、鋸歯状で表面がへこみザラついています。4~5月、葉の開く前に小さな花を7~15個ほど束状につけます。
6月には扁平な広い翼(へんべい)を持った果実が熟して落ちます。
大和市教育委員会
かながわの名木100選の標柱です
神奈川県 かながわの名木100選 昭和59年12月選定
深見神社のハルニレ
和名:ハルニレ(二レ科)
幹はまっすぐに高く伸び、県内でも屈指のハルニレの巨木である。
当神社の御神木で、樹種がわからなかったので「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれて親しまれてきた。
大和市の天然記念物に指定されている。
樹高 30m・ 胸高周囲 4.0m・ 樹齢 約400年(推定)
ハルニレは、北海道から九州の夏緑林帯に分布する落葉樹木である。
樹高45m、胸高周囲5m、樹齢約600年に達するものもあると言われている。
南東側から
東側から見上げました
では、次へ行きましょう
深見地区は、大和市役所の南南東約3kmのところ
大和市役所南西側の「大和市役所前」信号から南南東へ進みます
約1.6kmの「大和東3丁目」信号を左(東)へ、一方通行です
約300mで一時停止を右(南)へ出ます、国道467号線です
約600mの「深見歩道橋」信号を左(東南東)へ、「延喜式内 深見神社」の案内板が有ります
約400m左手の「深見小学校」校庭の先を左(北)へ入ります、「⇐深見神社入口」の案内板が有りますここも一方通行路です
間も無く西向きの参道入口鳥居です
鳥居の右手(南側)に砂利の広い駐車場が有りますので利用させて頂きました
延喜式内 深見神社の社號標です
鳥居を東へ入ると、南向きに境内入口です
由緒説明版です
御由緒
深見神社(旧社格郷社)建
御祭神 闇龗神(くらおがみのかみ)・武甕槌神(たけみかづちのかみ)・建御名方神(たけみなかたのかみ)
例祭日 9月15日
我国の神社総覧とでもいう記録で最も古いのは、延長5年(927)に奏進された「延喜式」神名帳である。
これに記載されている神社を延喜式内社と呼びならわし古社であることを意味し、当神社も延喜式内社で相模国に13座ある内の1座である。
創建年代と御祭神は「総国風土記」によれば「相模国深見神社雄略天皇22年3月(約1500年前)に祭るところ闇龗神なり」と記されている。
神社縁起によれば「武甕槌神東国鎮撫のため常陸鹿島に在られしとき、船師を率いてここに進軍され、伊弉諾神の御子の倉稲魂神と闇龗神の二神をして深海を治めさせられた。闇龗神(雨神)は美田を拓き土人を撫して郷を開かれた」とある。即ち深見の名の起こった所以である。
後世徳川時代になると深見は旗本坂本家の知行地となり、坂本家の崇敬する鹿島神宮(武甕槌神)から分霊を受けて従来から祀られていた闇龗神は境内にある御倉稲荷神社に合祀された。
以来深見神社の祭神は武甕槌神(武運長久)となった。
平成24年3月に現社殿再建70年の節目として、創建時の御祭神の闇龗神を本殿に合祀した。
明治9年、火災により社殿工作物など悉く焼失。
明治42年、末社の諏訪神社(建御名方神)合祀
昭和17年3月、現在の社殿再建。
手水舎です
拝殿です
拝殿左手(西側)に、目的のハルニレです
本殿です
深見稲荷神社です
ハルニレの直ぐ南側には靖国社です
靖国社境内(南側)から見上げました
説明版です
市指定史跡名勝天然記念物(記第2号)
ハルニレ
指定年月日 昭和47年2月25日
樹種 落葉高木(二レ科)
形状 樹高 30m・ 胸高周囲 4m・ 推定樹齢 約500年
ハルニレは夏緑樹林帯(ブナ帯)の木で、北国の山地に多くみられます。
県内では丹沢山地の1000m以上の地にみられますが、深見のような低地では珍しいことです。
このように珍しい木で、何という名の木かわからなかったため「なんじゃもんじゃの木」とよばれるようになったと伝えられています。
葉は、鋸歯状で表面がへこみザラついています。4~5月、葉の開く前に小さな花を7~15個ほど束状につけます。
6月には扁平な広い翼(へんべい)を持った果実が熟して落ちます。
大和市教育委員会
かながわの名木100選の標柱です
神奈川県 かながわの名木100選 昭和59年12月選定
深見神社のハルニレ
和名:ハルニレ(二レ科)
幹はまっすぐに高く伸び、県内でも屈指のハルニレの巨木である。
当神社の御神木で、樹種がわからなかったので「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれて親しまれてきた。
大和市の天然記念物に指定されている。
樹高 30m・ 胸高周囲 4.0m・ 樹齢 約400年(推定)
ハルニレは、北海道から九州の夏緑林帯に分布する落葉樹木である。
樹高45m、胸高周囲5m、樹齢約600年に達するものもあると言われている。
南東側から
東側から見上げました
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