2024年1月6日、初詣ついでに巨樹・大木廻りをしてきました
埼玉からJR武蔵野線外回り(東行)で南船橋駅(終点)へ、京葉線直通です(東京駅行では行けませんので南船橋行きです)
南船橋駅で京葉線に乗り換えて蘇我駅まで、蘇我駅で内房線に乗り換えて二駅目・・・八幡宿駅で降ります
八幡宿駅です、駅前ロータリーの北側の道路を北西へ
次の信号のところに、飯香岡八幡宮の裏参道鳥居です
社號標も立って居ます
更に飯香岡通りの歩道を北東に進んで、次の信号を左へ、飯香岡八幡宮の正面に回って来ました、北西向きに鎮座します
社號標です
参道を進みます
手水舎です
由緒説明版です
国府総社 飯香岡八幡宮御由緒
御祭神 誉田別命・息長帯姫命・玉依姫命 ほか配祀7柱
由緒沿革
神社縁起によると、この地は御影山と称し六所御影神社が鎮座していたが、白鳳3年(675)天武天皇の勅令により八幡宮として創建されたという。
また、天平宝字3年(795)には国府総社とされ、一国一社の八幡宮として、また上総国の総社として広く信仰を集めてゆくこととなった。
保元3年(1158)の石清水八幡宮の諸国荘園官符にみえる「上総国市原別宮」は本宮であるといわれている。
源氏・千葉氏・北条氏・足利氏・徳川氏を始め近隣に所領を持つ大名・旗本など武将の崇敬が厚く、徳川家康から社領150石を安堵され、格式10万石の待遇を受けた。明治維新以降は県社に列格された。
文化財など
本殿 (国指定重要文化財) 室町中期(15世紀)頃の建立(伝・足利義政寄進)
拝殿 (千葉県指定文化財) 元禄4年(1691)の建立
神輿4基 (千葉県指定文化財) 至徳元年(1384)足利義満によって奉納
柳楯神事 (千葉県指定無形民俗文化財)神輿以前の祭礼の形態を伝える神事
夫婦銀杏 (千葉県指定天然記念物) 八幡宮勧請の日に植えたと伝えられる御神木
大太刀 (市原市指定文化財) 天正12年(1584)徳川家康によって奉納
当世具足11領(市原市指定文化財) 八幡にゆかりある大名・旗本達の奉納
さかさ銀杏 源頼朝が武運長久を祈って植えたとされる御神木
祭礼日 春季大祭 3月15日 飯香岡八幡宮御鎮座の日
秋季大祭 旧暦8月15日(十五夜の日)国府総社の神事・放生祭の日
柳楯神事・神輿5基の渡御・放生の儀が行われる
拝殿です、茅の輪が設置されています、参拝者は茅の輪を潜って拝殿に向かっていました
本殿です
神楽殿です
拝殿南側に目的の「夫婦銀杏」です
説明版です
千葉県指定天然記念物
飯香岡八幡宮の夫婦銀杏
昭和10年7月12日指定
イチョウは中国の原産で、古く日本に渡来し、神社・仏閣・街路樹・庭園等に植えられている落葉性の高木で、高さ30mにもなる。
雌雄異株で花は4月に新葉が出ると共に開花する。
種子の成熟は10月頃でギンナンと呼ばれ食用にすることができる。材は緻密で光沢があり、碁盤・将棋盤・木魚等に用いられる。
本樹は八幡宮勧請の際、勅使桜町中納言季満御手植の記念樹と伝えられている。
飯香岡八幡宮は子育八幡と呼ばれるように安産子育の神として崇敬され、このイチョウも2本の巨幹が根本より分岐するところから夫婦銀杏と名付けられ、安産子育のシンボル(象徴)として信仰がある。
樹高各々17m、16m、目通り幹囲約11mである。
昭和56年3月1日 千葉県教育委員会・市原市教育委員会
南西側から、大枝は支柱で支えられています
南東側から、若いヒコバエも見られます
本殿北側の社務所前に「さかさ銀杏」です
説明版です
さかさ銀杏
治承4年(1180)、源頼朝は石橋山の合戦に敗れ房総半島に逃れてきた。
当時、飯香岡八幡宮は源氏と縁の深い石清水八幡宮別宮であった。
頼朝は源氏再興を祈願して、本宮に銀杏をさかさにして植えたと伝えられる。
その結果、銀杏は根付き源氏も無事に再興された。
飯香岡八幡宮
南西側から
南東側から見ました
では、次へ行きましょう
埼玉からJR武蔵野線外回り(東行)で南船橋駅(終点)へ、京葉線直通です(東京駅行では行けませんので南船橋行きです)
南船橋駅で京葉線に乗り換えて蘇我駅まで、蘇我駅で内房線に乗り換えて二駅目・・・八幡宿駅で降ります
八幡宿駅です、駅前ロータリーの北側の道路を北西へ
次の信号のところに、飯香岡八幡宮の裏参道鳥居です
社號標も立って居ます
更に飯香岡通りの歩道を北東に進んで、次の信号を左へ、飯香岡八幡宮の正面に回って来ました、北西向きに鎮座します
社號標です
参道を進みます
手水舎です
由緒説明版です
国府総社 飯香岡八幡宮御由緒
御祭神 誉田別命・息長帯姫命・玉依姫命 ほか配祀7柱
由緒沿革
神社縁起によると、この地は御影山と称し六所御影神社が鎮座していたが、白鳳3年(675)天武天皇の勅令により八幡宮として創建されたという。
また、天平宝字3年(795)には国府総社とされ、一国一社の八幡宮として、また上総国の総社として広く信仰を集めてゆくこととなった。
保元3年(1158)の石清水八幡宮の諸国荘園官符にみえる「上総国市原別宮」は本宮であるといわれている。
源氏・千葉氏・北条氏・足利氏・徳川氏を始め近隣に所領を持つ大名・旗本など武将の崇敬が厚く、徳川家康から社領150石を安堵され、格式10万石の待遇を受けた。明治維新以降は県社に列格された。
文化財など
本殿 (国指定重要文化財) 室町中期(15世紀)頃の建立(伝・足利義政寄進)
拝殿 (千葉県指定文化財) 元禄4年(1691)の建立
神輿4基 (千葉県指定文化財) 至徳元年(1384)足利義満によって奉納
柳楯神事 (千葉県指定無形民俗文化財)神輿以前の祭礼の形態を伝える神事
夫婦銀杏 (千葉県指定天然記念物) 八幡宮勧請の日に植えたと伝えられる御神木
大太刀 (市原市指定文化財) 天正12年(1584)徳川家康によって奉納
当世具足11領(市原市指定文化財) 八幡にゆかりある大名・旗本達の奉納
さかさ銀杏 源頼朝が武運長久を祈って植えたとされる御神木
祭礼日 春季大祭 3月15日 飯香岡八幡宮御鎮座の日
秋季大祭 旧暦8月15日(十五夜の日)国府総社の神事・放生祭の日
柳楯神事・神輿5基の渡御・放生の儀が行われる
拝殿です、茅の輪が設置されています、参拝者は茅の輪を潜って拝殿に向かっていました
本殿です
神楽殿です
拝殿南側に目的の「夫婦銀杏」です
説明版です
千葉県指定天然記念物
飯香岡八幡宮の夫婦銀杏
昭和10年7月12日指定
イチョウは中国の原産で、古く日本に渡来し、神社・仏閣・街路樹・庭園等に植えられている落葉性の高木で、高さ30mにもなる。
雌雄異株で花は4月に新葉が出ると共に開花する。
種子の成熟は10月頃でギンナンと呼ばれ食用にすることができる。材は緻密で光沢があり、碁盤・将棋盤・木魚等に用いられる。
本樹は八幡宮勧請の際、勅使桜町中納言季満御手植の記念樹と伝えられている。
飯香岡八幡宮は子育八幡と呼ばれるように安産子育の神として崇敬され、このイチョウも2本の巨幹が根本より分岐するところから夫婦銀杏と名付けられ、安産子育のシンボル(象徴)として信仰がある。
樹高各々17m、16m、目通り幹囲約11mである。
昭和56年3月1日 千葉県教育委員会・市原市教育委員会
南西側から、大枝は支柱で支えられています
南東側から、若いヒコバエも見られます
本殿北側の社務所前に「さかさ銀杏」です
説明版です
さかさ銀杏
治承4年(1180)、源頼朝は石橋山の合戦に敗れ房総半島に逃れてきた。
当時、飯香岡八幡宮は源氏と縁の深い石清水八幡宮別宮であった。
頼朝は源氏再興を祈願して、本宮に銀杏をさかさにして植えたと伝えられる。
その結果、銀杏は根付き源氏も無事に再興された。
飯香岡八幡宮
南西側から
南東側から見ました
では、次へ行きましょう
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