ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県楢葉町、下小塙風呂内「広徳院(高斉寺)の大公孫樹」(町指定)です!!

2022-12-17 06:41:29 | 巨樹・大木
 下小塙風呂内地区は、楢葉町役場の南南西約2kmのところ

 国道6号線を南へ、木戸川を越えた大木信号を右(西)へ

 直ぐに斜め左(南西)へ進み次の変形十字路を右斜めに登って行くと.

 高徳院高斉が右手に見えて来ます、向かい側に駐車場が有りますので利用させて頂きました

 山門の仁王門です

 真言宗 智山派 法樹山 広徳院 高斉寺です

 福島八十八ヶ所第四拾四番札所です

 山門を潜ると直ぐ左に目的の大イチョウです

 南側から

 説明版です
  楢葉町指定文化財 天然記念物
    高徳院の大公孫樹(イチョウ)
 ■目通り6.1m、樹高29m
 ■樹齢 850年(推定)
 ■所有者 高徳院
 ■指定年月日 昭和49年9月20日(昭和58年2月27日福島県 緑の文化財指定)
    昭和58年3月設置 楢葉町教育委員会

 西側から

 北側から

 北側には大きな傷が有ります、中を覗くと根のようなものが伸びています

 東側から見上げました

 参道右手に手水舎です

 左手には稲荷社のようです、前の石塔には〇〇稲荷社の文字が読み取れます

 子安観音堂です

 説明石碑です
  法樹山沿革
 當山は平安朝の末、久安6年(1151年)藤原清衡の娘徳姫が磐城則道のもとへ嫁ぎし時、森閑とした山谷の霊気にいたく感動され、その発願により鏡意上人開基となり、此の地に一寺を建立し徳姫の一字をとって廣徳院と名付け、以来密乗論議の談林ととして七堂伽藍の甍が並び、門葉集合して寺門隆盛を極めたと傳えられる。
 しかし元亀元年相馬岩城氏のたたかいの兵火は一朝にして灰燼に帰し、傳承の什物古記録を烏有に帰す。
 くだって徳川時代に入り磐城平藩主の外護を受け、寺領30石を有したが、地方政治の變遷時流の推移量り難く、寺門の隆衰またのがれられず、安政3年の野火の大火は、平藩主内藤風山公寄進の秘佛本尊聖観音菩薩を残し、残存の遺構悉く類焼せしめ、800年の夢を眠りの中に没せり。
 爾来法燈衰微の一途をたどりしも、昭和29年本堂を再建し萬古の眠りを覚ます。ここに法灯恵命を点じて寺門の興隆を見るに至る。
 昭和49年より5ヶ年計画にて内陣整備事業
 昭和55年本堂屋根銅板葺替工事並庭園の整備
 昭和59年御遠忌事業として當の大計を画して聖天堂の再建
 平成元年3月仁王門並仁王尊像の再建に着手檀信徒の絶大なる協賛を得て工事順調に進捗し、平成2年7月完成に至る
 平成2年9月真言宗智山派管長大僧正藤井龍心倪下御親修のもと本尊の威光倍増を祈り落成慶讃入佛大法会を修す
 仰ぎ願わくは本尊の誓願を廻らし哀愍納受し當山の興隆発展と檀信徒の諸願悉く成就せしめ給わんことを
   平成2年9月吉日
     法樹山廣徳院高斎寺第32世 島 秀隆 敬白

 弁財天堂です

 本堂は、屋根の工事中でした

 本堂前から大イチョウを見ました

 帰り際に駐車場から境内の大イチョウを見ました

 では、次へ行きましょう

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