赤岩上羽田地区は、気仙沼市役所の南西約10kmのところ
気仙沼市役所前の県道26号線を西南西へ出ます
道成りに約1.9kmで「リアス・アーク美術館⇒」の標識に従って横断歩道橋のある信号を右(西南西)へ
約1kmで国道45号の交差点を過ぎると県道65号線です
道成りに坂道を緩く登って行った約6、3kmで道路右手に「羽田神社」の案内板がありますので右(西北西)へ入ります
約700mの交差点で左(西)へ、ここにも案内板があります
約200m左に廻り込む様に進んだところの案内板を右(西)へ
坂道を上って鳥居前です
「羽田神社」社務所前の駐車場の入りました
*2023年6月11日取材の最後に寄りましたが、強い雨の為取材を諦めて埼玉に帰ったのでリベンジの機会となりました
羽田神社社號標です
手水舎です
神輿舎です
大きな社務所です
社務所前の案内図です、山頂を廻るお山がけコースがあるようですが祭典日以外は登れないため、今回は目的の社殿前の杉までです
羽田神社お山がけ
重要無形民俗文化財
平成12年12月27日文部科学大臣より重要無形民俗文化財に指定され同時に官報に掲載された。
*お山がけ道程 総計2130m、お山がけ祭典旧8月15・16日、祭典日以外登れません
*毎年旧暦の8月15日は中秋の名月(十五夜)です。2024年の中秋の名月は9月17日(火)でした
羽田神社の由緒とお山がけ説明石碑です
羽田神社とお山がけ
羽田神社創建の年代は詳らかではないが、今から凡そ1300年前奈良時代開創になるものといわれている。
その後、平安時代大同元年(806)、田村将軍利成卿により再建され、二柱の神霊を羽田山に安置して、住民の平安を祈ったといわれるが、300年近く経過するうち荒廃し、建久3年(1192)豊後の住人豊後守緒方維義が再興された。
祭神は月読命・倉稲魂命・大己貴命を祀り、もとは波多権現・羽田山大権現と称し、本吉北方の総鎮守として尊崇された。
お山がけは、何時頃始まったか不詳であるが、7歳男子の息災成長を祈る祭りである。
当日(旧8月15日・16日)7歳児は、白い浄衣に鉢巻をしめ、御注連をかけ新しい竹の杖をつき、1合目の祓川で身を清め、険しい坂道を登り途中早馬神社他を巡拝しながら10合目奥の院に至る(約1時間)、奥の院では、神主を先頭にお鉢廻り(周回)を3回廻った後、祈願を行う。
この登拝には、あまさを断ちきるため、親子の同行を許さず、父親以外の人が付き添う。
女人の登拝は禁制で、7歳女子の祈願は拝殿にて行う。
下山後は、各家に於いて親族・近隣が集い祝宴が催されろ。
羽田神社 宮司 尾形公夫
一ノ鳥居を潜ります
東南東向きの急な参道石段を進みます
ニノ鳥居です
平成15年の三陸南地震被害復興工事の竣工記念碑です
竣工記念碑
平成15年5月26日三陸南地震により、境内亀裂 参道石段の損壊被災。
災害改修奉賛会を結成、之を修復竣工を後世に伝える。
工事費一金 19711000円也
奉参者 氏子崇敬者 1074件
平成16年11月 吉日 羽田神社三陸南地震災害改修奉参会
綺麗な御影石の石段ですが、少し段差が大きいのが気に成りました
神門が見えて来ます
神門です
右側には天王社です
左側には水神社です
水神社の南側には馬頭観世音の石碑や供養塔などが並んでいます
赤い実は、テンナンショウの実ですね
更に参道石段を上ると社殿が見えます
社殿です
長く成りそうなので、続きとさせて頂きます<m(__)m>
2024・10・16・09・20
気仙沼市役所前の県道26号線を西南西へ出ます
道成りに約1.9kmで「リアス・アーク美術館⇒」の標識に従って横断歩道橋のある信号を右(西南西)へ
約1kmで国道45号の交差点を過ぎると県道65号線です
道成りに坂道を緩く登って行った約6、3kmで道路右手に「羽田神社」の案内板がありますので右(西北西)へ入ります
約700mの交差点で左(西)へ、ここにも案内板があります
約200m左に廻り込む様に進んだところの案内板を右(西)へ
坂道を上って鳥居前です
「羽田神社」社務所前の駐車場の入りました
*2023年6月11日取材の最後に寄りましたが、強い雨の為取材を諦めて埼玉に帰ったのでリベンジの機会となりました
羽田神社社號標です
手水舎です
神輿舎です
大きな社務所です
社務所前の案内図です、山頂を廻るお山がけコースがあるようですが祭典日以外は登れないため、今回は目的の社殿前の杉までです
羽田神社お山がけ
重要無形民俗文化財
平成12年12月27日文部科学大臣より重要無形民俗文化財に指定され同時に官報に掲載された。
*お山がけ道程 総計2130m、お山がけ祭典旧8月15・16日、祭典日以外登れません
*毎年旧暦の8月15日は中秋の名月(十五夜)です。2024年の中秋の名月は9月17日(火)でした
羽田神社の由緒とお山がけ説明石碑です
羽田神社とお山がけ
羽田神社創建の年代は詳らかではないが、今から凡そ1300年前奈良時代開創になるものといわれている。
その後、平安時代大同元年(806)、田村将軍利成卿により再建され、二柱の神霊を羽田山に安置して、住民の平安を祈ったといわれるが、300年近く経過するうち荒廃し、建久3年(1192)豊後の住人豊後守緒方維義が再興された。
祭神は月読命・倉稲魂命・大己貴命を祀り、もとは波多権現・羽田山大権現と称し、本吉北方の総鎮守として尊崇された。
お山がけは、何時頃始まったか不詳であるが、7歳男子の息災成長を祈る祭りである。
当日(旧8月15日・16日)7歳児は、白い浄衣に鉢巻をしめ、御注連をかけ新しい竹の杖をつき、1合目の祓川で身を清め、険しい坂道を登り途中早馬神社他を巡拝しながら10合目奥の院に至る(約1時間)、奥の院では、神主を先頭にお鉢廻り(周回)を3回廻った後、祈願を行う。
この登拝には、あまさを断ちきるため、親子の同行を許さず、父親以外の人が付き添う。
女人の登拝は禁制で、7歳女子の祈願は拝殿にて行う。
下山後は、各家に於いて親族・近隣が集い祝宴が催されろ。
羽田神社 宮司 尾形公夫
一ノ鳥居を潜ります
東南東向きの急な参道石段を進みます
ニノ鳥居です
平成15年の三陸南地震被害復興工事の竣工記念碑です
竣工記念碑
平成15年5月26日三陸南地震により、境内亀裂 参道石段の損壊被災。
災害改修奉賛会を結成、之を修復竣工を後世に伝える。
工事費一金 19711000円也
奉参者 氏子崇敬者 1074件
平成16年11月 吉日 羽田神社三陸南地震災害改修奉参会
綺麗な御影石の石段ですが、少し段差が大きいのが気に成りました
神門が見えて来ます
神門です
右側には天王社です
左側には水神社です
水神社の南側には馬頭観世音の石碑や供養塔などが並んでいます
赤い実は、テンナンショウの実ですね
更に参道石段を上ると社殿が見えます
社殿です
長く成りそうなので、続きとさせて頂きます<m(__)m>
2024・10・16・09・20
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