築地地区は、潮来市役所の北約4kmのところ
潮来市役所南東側の国道51号線潮来バイパスを北東へ進みます
約900mの「須賀」信号を左(北)へ、県道50号水戸神栖線です
約2.1kmで「鉾田・県道187号線⇒」の標識に従って、信号を左へ
カーブして坂道を登って、丁字路を左(北東)へ、県道50号線の上を越えます
約2.5kmで、県道左手に古墳が見えました(県立水郷県民の森 大生地区の東端です)
南側の道路脇に車を止めさせて頂きました
南東側から鹿見塚古墳を見ました
古墳群の説明版です
茨城県指定文化財
史跡 大生古墳群
昭和50年3月25日指定
大生原大地には百余基からなる古墳群が存在し、県下でも最大の規模を誇る古墳群を形成している。
この古墳群は古墳の集中状態から大生東部古墳群、大生西部古墳群、カメ森古墳群、田ノ森古墳群、に4大別されるが、この古墳群は大生神社の西側に位置し、県指定史跡鹿見塚古墳をはじめ、子子舞塚古墳址、天神塚古墳、白旗八幡塚古墳、なぢ20数基の古墳を包含する大生西部古墳群で面積8.8㌶の地域である。
この古墳群は古墳時代中期の築造と推定され、旧時の状態を良くのこしている。
大生原古墳群の被葬者が鹿島神宮と密接な関係のあったオフ氏一族の奥津城であったことは各方面から立証されているところである。
平成30年3月 潮来市教育委員会・風土記の里保存会
鹿見塚古墳の標柱です
*鹿見塚古墳は、大生西部古墳群内に存在する盟主的な片耳式前方後円墳です。
主軸は南西より北東に走り、全長約58m、前方部巾約32m、後円部直径約34m、同高さ約6mを有し、墳丘西側括部中央よりやや南に低い造出しを付設しています。
さらに後円部がとくに高く突き出していることで特異な墳形をしています。
東側から後円部です
前方部を見ました
南側から前方部です
南西側から
古墳接続部の西側には大きな作り出し(これが片耳か?)が確認できます
北西側の内堀と外堀の間の中提が確認できます
*県民の森の中を車で走ってみましたが、外には綺麗に草苅などの整備をされている古墳は見附られませんでしたが、道路から古墳の形を確認できるところが数基ありました。
では、次へ行きましょう
2024・12・12・10・00
潮来市役所南東側の国道51号線潮来バイパスを北東へ進みます
約900mの「須賀」信号を左(北)へ、県道50号水戸神栖線です
約2.1kmで「鉾田・県道187号線⇒」の標識に従って、信号を左へ
カーブして坂道を登って、丁字路を左(北東)へ、県道50号線の上を越えます
約2.5kmで、県道左手に古墳が見えました(県立水郷県民の森 大生地区の東端です)
南側の道路脇に車を止めさせて頂きました
南東側から鹿見塚古墳を見ました
古墳群の説明版です
茨城県指定文化財
史跡 大生古墳群
昭和50年3月25日指定
大生原大地には百余基からなる古墳群が存在し、県下でも最大の規模を誇る古墳群を形成している。
この古墳群は古墳の集中状態から大生東部古墳群、大生西部古墳群、カメ森古墳群、田ノ森古墳群、に4大別されるが、この古墳群は大生神社の西側に位置し、県指定史跡鹿見塚古墳をはじめ、子子舞塚古墳址、天神塚古墳、白旗八幡塚古墳、なぢ20数基の古墳を包含する大生西部古墳群で面積8.8㌶の地域である。
この古墳群は古墳時代中期の築造と推定され、旧時の状態を良くのこしている。
大生原古墳群の被葬者が鹿島神宮と密接な関係のあったオフ氏一族の奥津城であったことは各方面から立証されているところである。
平成30年3月 潮来市教育委員会・風土記の里保存会
鹿見塚古墳の標柱です
*鹿見塚古墳は、大生西部古墳群内に存在する盟主的な片耳式前方後円墳です。
主軸は南西より北東に走り、全長約58m、前方部巾約32m、後円部直径約34m、同高さ約6mを有し、墳丘西側括部中央よりやや南に低い造出しを付設しています。
さらに後円部がとくに高く突き出していることで特異な墳形をしています。
東側から後円部です
前方部を見ました
南側から前方部です
南西側から
古墳接続部の西側には大きな作り出し(これが片耳か?)が確認できます
北西側の内堀と外堀の間の中提が確認できます
*県民の森の中を車で走ってみましたが、外には綺麗に草苅などの整備をされている古墳は見附られませんでしたが、道路から古墳の形を確認できるところが数基ありました。
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