後二子古墳の南側の広場に古墳の「全体模型」があります
南側から
説明です
大室古墳群
6世紀頃、赤城南面を代表する古墳が同じ台地の上に並んで造られました。また、すぐ東からは堀と柵で囲まれた豪族の屋敷跡(梅木遺跡)も見つかっています。
古墳の大きさ・高さ・堀の様子などから前二子古墳から中二子古墳の頃が最も栄えたとみられます。雄大な赤城山を背にくりひろげられた古代人の営みにおもいをはせてみませんか。
*南から造られた古墳
赤城南面のゆるやかな台地と河川によって削られた低い谷地が入り組んでいます。
大形の前方後円墳は西側の台地の上に同じ向きに南から順に造られました。
☐生活の場:集落
台地上には6世紀の集落もあり、発見された35軒ほどの住居跡の中には一辺が10mをこえるものもあります。
☐生活の場:水田地域
東を流れる桂川沿いや南に開けた低い土地では、水田が作られていました。
東側から
説明です
梅木遺跡(5世紀後半から6世紀初め)
豪族の屋敷跡。一辺65mほどの方形部分の周囲を柵でかこみ、その外側を幅5m、深さ1mほどの堀がめぐります。
柵列の様子と張り出しがあることから西側にが入口と見られます。屋敷内部は、桂川の氾濫で削られていましたが、日本で最初に発見された三ツ寺Ⅰ遺跡とよく似たつくりです。時期的に、前二子古墳との関係が考えられます。
△浅間山・榛名山
西方にある浅間山や榛名山は、今までに大噴火をくり返してきました。
その時に積もった火山灰との関係で、古墳が造られた時期を知ることができます。
前二子古墳や中二子古墳の下層から6世紀初頭の榛名山の火山灰層が見つかったことから、古墳が6世紀初頭以降に造られたことがわかります。
*三ツ寺Ⅰ遺跡推定復元模型(かみつけの里博物館提供)
群馬町(現高崎市)にある5世紀後半の豪族の屋敷跡。
内部は、「まつりごと」を行う部分と「くらし」の部分に分かれていたと推定されます。
北側の説明です
県内有数の古墳群
大室の古墳は、6世紀代の三つの大前方後円墳と二つの小前方後円墳、ほかに5基の円墳からなる県内有数の古墳群です。
これらの古墳は、M-2号墳が竪穴式の小石室のほかは横穴式石室をもちます。
西側の説明です
△多田山丘陵
大室古墳群東方の多田山丘陵には、かつて30基ほどの古墳がありました。
家形埴輪で有名な赤堀茶臼山古墳(5世紀中頃)や唐三彩の枕が出土した多田山12号墳(7世紀後半)などがあります。
☐のちにできた五料沼
五料沼は、江戸時代に堤を築いてつくられました。
古墳時代は、北から細い流れが入る谷地でした。
沼の中からも住居跡が見つかっています。
△石の山
古墳の周辺には、赤城山の噴火のなごりの小山がいくつかあります。
古墳群の北西の山には、古墳の石の掘り取り跡があります。
公園案内図です
では、埼玉に帰ることにしましょう
南側から
説明です
大室古墳群
6世紀頃、赤城南面を代表する古墳が同じ台地の上に並んで造られました。また、すぐ東からは堀と柵で囲まれた豪族の屋敷跡(梅木遺跡)も見つかっています。
古墳の大きさ・高さ・堀の様子などから前二子古墳から中二子古墳の頃が最も栄えたとみられます。雄大な赤城山を背にくりひろげられた古代人の営みにおもいをはせてみませんか。
*南から造られた古墳
赤城南面のゆるやかな台地と河川によって削られた低い谷地が入り組んでいます。
大形の前方後円墳は西側の台地の上に同じ向きに南から順に造られました。
☐生活の場:集落
台地上には6世紀の集落もあり、発見された35軒ほどの住居跡の中には一辺が10mをこえるものもあります。
☐生活の場:水田地域
東を流れる桂川沿いや南に開けた低い土地では、水田が作られていました。
東側から
説明です
梅木遺跡(5世紀後半から6世紀初め)
豪族の屋敷跡。一辺65mほどの方形部分の周囲を柵でかこみ、その外側を幅5m、深さ1mほどの堀がめぐります。
柵列の様子と張り出しがあることから西側にが入口と見られます。屋敷内部は、桂川の氾濫で削られていましたが、日本で最初に発見された三ツ寺Ⅰ遺跡とよく似たつくりです。時期的に、前二子古墳との関係が考えられます。
△浅間山・榛名山
西方にある浅間山や榛名山は、今までに大噴火をくり返してきました。
その時に積もった火山灰との関係で、古墳が造られた時期を知ることができます。
前二子古墳や中二子古墳の下層から6世紀初頭の榛名山の火山灰層が見つかったことから、古墳が6世紀初頭以降に造られたことがわかります。
*三ツ寺Ⅰ遺跡推定復元模型(かみつけの里博物館提供)
群馬町(現高崎市)にある5世紀後半の豪族の屋敷跡。
内部は、「まつりごと」を行う部分と「くらし」の部分に分かれていたと推定されます。
北側の説明です
県内有数の古墳群
大室の古墳は、6世紀代の三つの大前方後円墳と二つの小前方後円墳、ほかに5基の円墳からなる県内有数の古墳群です。
これらの古墳は、M-2号墳が竪穴式の小石室のほかは横穴式石室をもちます。
西側の説明です
△多田山丘陵
大室古墳群東方の多田山丘陵には、かつて30基ほどの古墳がありました。
家形埴輪で有名な赤堀茶臼山古墳(5世紀中頃)や唐三彩の枕が出土した多田山12号墳(7世紀後半)などがあります。
☐のちにできた五料沼
五料沼は、江戸時代に堤を築いてつくられました。
古墳時代は、北から細い流れが入る谷地でした。
沼の中からも住居跡が見つかっています。
△石の山
古墳の周辺には、赤城山の噴火のなごりの小山がいくつかあります。
古墳群の北西の山には、古墳の石の掘り取り跡があります。
公園案内図です
では、埼玉に帰ることにしましょう
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