2023年4月21日、お参りしました。
「『延喜式』(10世紀初めに編纂された法令集)のなかの神名帳にしるされた摂津国河辺郡七座の第一の神社です。当社は市内で唯一の式内社の格式をもち、祭神は、伊狭城入彦皇子といわれています。上坂部・下坂部は大彦命の子孫である坂合部連が住んでいた土地ともいわれ、久々知の地名も命の子孫久々智氏から名付けられたようです。当社は朝廷より神酒を賜わる例になっていたといわれ、また神酒を上坂部で醸造したため、酒部といったともいわれています。さらに一説では、神崎の地名が当神社の前という意味の神前から起こったと伝えられています。またこの地域一帯は、元弘の変(1333年)の時、後醍醐天皇のため奮戦した赤松円心ゆかりのところで、境内には円心の墓と伝えられてきた五輪塔も残されています。」
兵庫県尼崎市上坂部3丁目25-18
map
社標
鳥居
手水舎
拝殿
五輪塔
「この五輪塔水輪部と石造物は赤松円心とその他ゆかりの人々の墓とされている。元弘年間(1333)、赤松円心は久々知酒部(坂部)で激戦、その時、当神社で必勝祈願のため甲冑大刀等を献上したと伝承されている。赤松一族衰退記参照」
白龍稲荷神社
「『延喜式』(10世紀初めに編纂された法令集)のなかの神名帳にしるされた摂津国河辺郡七座の第一の神社です。当社は市内で唯一の式内社の格式をもち、祭神は、伊狭城入彦皇子といわれています。上坂部・下坂部は大彦命の子孫である坂合部連が住んでいた土地ともいわれ、久々知の地名も命の子孫久々智氏から名付けられたようです。当社は朝廷より神酒を賜わる例になっていたといわれ、また神酒を上坂部で醸造したため、酒部といったともいわれています。さらに一説では、神崎の地名が当神社の前という意味の神前から起こったと伝えられています。またこの地域一帯は、元弘の変(1333年)の時、後醍醐天皇のため奮戦した赤松円心ゆかりのところで、境内には円心の墓と伝えられてきた五輪塔も残されています。」
兵庫県尼崎市上坂部3丁目25-18
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社標
鳥居
手水舎
拝殿
五輪塔
「この五輪塔水輪部と石造物は赤松円心とその他ゆかりの人々の墓とされている。元弘年間(1333)、赤松円心は久々知酒部(坂部)で激戦、その時、当神社で必勝祈願のため甲冑大刀等を献上したと伝承されている。赤松一族衰退記参照」
白龍稲荷神社