2014年5月3日
寺の説明によれば、当寺域はもと、平頼盛公(平清盛の異母弟)の山荘地で、治承4年(1180)の福原遷都の際、6月3日 安徳天皇が頼盛邸に入御された。御父の高倉天皇は、清盛公屋敷の雪の御所に入御された。しかしご都合があって、6月4日に安徳天皇と高倉天皇は、それぞれの御所を替わられて、高倉上皇が頼盛公屋敷にお移りになりその年の10月まで此の山荘に居られた。その因縁により、約百年後の弘安2年(1279)に、安徳天皇の菩提を弔うために僧 智鏡(智譽大圓)を開山として、宝地院が建立された。昭和20年のアメリカ軍の空襲で本堂は消失し、昭和24年に再建されたが、平成7年の阪神・淡路大震災で甚大な被害を受け、大規模修繕をし、現在となっています。
神戸市兵庫区荒田町3-17-1
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寺の説明によれば、当寺域はもと、平頼盛公(平清盛の異母弟)の山荘地で、治承4年(1180)の福原遷都の際、6月3日 安徳天皇が頼盛邸に入御された。御父の高倉天皇は、清盛公屋敷の雪の御所に入御された。しかしご都合があって、6月4日に安徳天皇と高倉天皇は、それぞれの御所を替わられて、高倉上皇が頼盛公屋敷にお移りになりその年の10月まで此の山荘に居られた。その因縁により、約百年後の弘安2年(1279)に、安徳天皇の菩提を弔うために僧 智鏡(智譽大圓)を開山として、宝地院が建立された。昭和20年のアメリカ軍の空襲で本堂は消失し、昭和24年に再建されたが、平成7年の阪神・淡路大震災で甚大な被害を受け、大規模修繕をし、現在となっています。
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