2022年10月19日、お参りしました。
再度山の中腹にある本寺は、山号を再度山といい真言宗の寺です。
パンフレットより「768(神護景雲2)年、称徳天皇の勅をうけた和気清麻呂公が、摂津の国に寺塔建立の霊地を求めて当地の山中まで来られたときのことであります。公を暗殺しようとしてつけ狙っていた僧道鏡の刺客は、忽然と現れた一匹の大蛇に驚いて一目散に逃げ帰ってしまいました。
危ないところを助けられ清麻呂公があたりを見まわしてみますと、大蛇が消えた跡に『聖如意輪観世音菩薩』が立っておられたのであります。霊験を感じられた公は、早速この地に伽藍を建立され寺名を『大龍寺』と名付けられました。 観世音がご出現になった場所は『蛇ケ谷』と称し『龍ケ滝』と共に霊蹟として現存しております。
又804(延暦23)年、入唐される弘法大師は、旅の所願成就を御本尊に祈願されました。その甲斐があって唐の長安で清龍寺の恵果和尚より秘密の大法を授けられ、806(大同元)年に無事帰国されたのであります。そして、帰朝報告奏上のため上京の途中、ふたたび当山に参龍され本尊に報恩謝徳のため7日間秘法を勤修されました。
弘法大師が再び登山されたというので『再度山』と呼ばれるようになり、修法された場所を『修法ケ原行場』と呼ぶようになりました。従って当山には奇瑞霊験の伝説が多く、なかでも1375(天授元)年、後円融上皇が中風(脳梗塞)にかかられた折、善妙上人が本尊に7日間の祈願をされますと霊験たちまち現われ、さしもの重い病もご平癒になったので、宸翰、宝器を当寺に賜り本尊に深く帰依されたのであります。
このことが広く世間に伝わり『中風除けの寺』『病気平癒の寺』として有名となり、以来、代々の住職がこの秘法を受け継いでおります。
鎌倉時代、度重なる戦火によって伽藍を失いましたが、1351(観応2)年、摂津国司赤松円心は善妙上人を山主として中興し旧観をとりもどしたのであります。しかし戦乱の世が続いたためその後再び荒廃していたのを唐招提寺の実祐上人が、寛文年間(1661~1673)、尼崎城主光録居士の協力を受け『弘法大師八十八ケ所』の霊場を勧請されるなど再興に努力され、上人没後は資賢上人が遺志を継いで現在の規模のものを復興されたのであります。又、1679(延宝7)年臨済宗の名僧高泉禅師が書かれたと伝えられている『大龍寺の記』は寺宝として今も大切に保存されております。
明治になると、廃仏棄却によって、廃寺となる運命にあった当寺を、時の住職井上徳順和尚が地元の人とともに、法燈維持のために尽くしたので、東寺真言宗所轄の寺院として今日まで存置されることになったのであります。本尊の菩薩立像は国指定重要文化財」
「近畿三十六不動尊霊場札所、西国愛染霊場第五番、摂津西国三十三ケ所第六番札所、神戸七福神霊場、神戸十三佛霊場第六番、摂津八十八ケ所第八十二番札所、近畿十楽観音第八番霊場、ぼけ封じ三十三ケ所第八番札所」
神戸市中央区神戸港地方再度山1
map
案内図
六地蔵
寺標
山門
参道
仁王門
仁王
説明書
手水舎
権倉稲荷大明神
参道の地蔵
ひたすら、登ります。
鐘楼
毘沙門堂
本堂
護摩堂
諸天堂
本堂から約95m登ります。
奥の院(大師堂)
霊明殿
摩尼殿
再度山の中腹にある本寺は、山号を再度山といい真言宗の寺です。
パンフレットより「768(神護景雲2)年、称徳天皇の勅をうけた和気清麻呂公が、摂津の国に寺塔建立の霊地を求めて当地の山中まで来られたときのことであります。公を暗殺しようとしてつけ狙っていた僧道鏡の刺客は、忽然と現れた一匹の大蛇に驚いて一目散に逃げ帰ってしまいました。
危ないところを助けられ清麻呂公があたりを見まわしてみますと、大蛇が消えた跡に『聖如意輪観世音菩薩』が立っておられたのであります。霊験を感じられた公は、早速この地に伽藍を建立され寺名を『大龍寺』と名付けられました。 観世音がご出現になった場所は『蛇ケ谷』と称し『龍ケ滝』と共に霊蹟として現存しております。
又804(延暦23)年、入唐される弘法大師は、旅の所願成就を御本尊に祈願されました。その甲斐があって唐の長安で清龍寺の恵果和尚より秘密の大法を授けられ、806(大同元)年に無事帰国されたのであります。そして、帰朝報告奏上のため上京の途中、ふたたび当山に参龍され本尊に報恩謝徳のため7日間秘法を勤修されました。
弘法大師が再び登山されたというので『再度山』と呼ばれるようになり、修法された場所を『修法ケ原行場』と呼ぶようになりました。従って当山には奇瑞霊験の伝説が多く、なかでも1375(天授元)年、後円融上皇が中風(脳梗塞)にかかられた折、善妙上人が本尊に7日間の祈願をされますと霊験たちまち現われ、さしもの重い病もご平癒になったので、宸翰、宝器を当寺に賜り本尊に深く帰依されたのであります。
このことが広く世間に伝わり『中風除けの寺』『病気平癒の寺』として有名となり、以来、代々の住職がこの秘法を受け継いでおります。
鎌倉時代、度重なる戦火によって伽藍を失いましたが、1351(観応2)年、摂津国司赤松円心は善妙上人を山主として中興し旧観をとりもどしたのであります。しかし戦乱の世が続いたためその後再び荒廃していたのを唐招提寺の実祐上人が、寛文年間(1661~1673)、尼崎城主光録居士の協力を受け『弘法大師八十八ケ所』の霊場を勧請されるなど再興に努力され、上人没後は資賢上人が遺志を継いで現在の規模のものを復興されたのであります。又、1679(延宝7)年臨済宗の名僧高泉禅師が書かれたと伝えられている『大龍寺の記』は寺宝として今も大切に保存されております。
明治になると、廃仏棄却によって、廃寺となる運命にあった当寺を、時の住職井上徳順和尚が地元の人とともに、法燈維持のために尽くしたので、東寺真言宗所轄の寺院として今日まで存置されることになったのであります。本尊の菩薩立像は国指定重要文化財」
「近畿三十六不動尊霊場札所、西国愛染霊場第五番、摂津西国三十三ケ所第六番札所、神戸七福神霊場、神戸十三佛霊場第六番、摂津八十八ケ所第八十二番札所、近畿十楽観音第八番霊場、ぼけ封じ三十三ケ所第八番札所」
神戸市中央区神戸港地方再度山1
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案内図
六地蔵
寺標
山門
参道
仁王門
仁王
説明書
手水舎
権倉稲荷大明神
参道の地蔵
ひたすら、登ります。
鐘楼
毘沙門堂
本堂
護摩堂
諸天堂
本堂から約95m登ります。
奥の院(大師堂)
霊明殿
摩尼殿
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