旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

小浜西組(伝統的建造物群保存地区)

2016-06-04 16:26:11 | 福井
2016年6月3日、熊川宿から天徳寺、明通寺、神宮寺、最後にこちらの小浜西組の伝統的建造物群保存地区を散策しました。小浜市街地の西方に位置します。人魚の浜無料駐車場に車を止めて散策です。
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小浜は福井県の南西部、日本海に面した港町です。古くは日本海側から京への物資の中継地であり、若狭国の政治の中心地でもあった。慶長6年(1601)に京極高次の小浜城築城後町人地が拡大し、貞享元年(1684)に東、中、西の3組に区分された。
 保存地区はそのうち西組のほぼ全域で、商家町と茶屋町、寺町からなる。商家と茶屋では建築様式が多少異なっており、茶屋は二階前面に縁や出窓を出す特徴がある。近世城下町の町割を継承し歴史的風致を今日によく伝えています。
 ところどころに登録有形文化財の建物が残っています。
マーメイドテラス
「八百日比丘尼の伝説に因み、長寿を願う人魚の像が建つテラス。海に沈む夕日が美しく、絶好の写真スポットとして賑う。」









高鳥歯科医院(登録文化財)
「大正14年の西洋建築物」



八幡神社の鳥居、八幡小路で海鼠壁の土蔵があります。









大鳥居(小浜市指定文化財)





























本殿



























町並みへ



案内図

資料館



















白鳥会館(登録文化財)
「明治22年の西洋建築物。大火を教訓に建てられた元薬店蔵。」













お疲れ様でした。一番西側だったため、肝心の三丁町に行きそびれました。
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若狭神宮寺

2016-06-04 16:01:09 | 福井
2016年6月3日にお参りしました。静かに佇むという感じのお寺です。奈良二月堂へお水送りのお寺です。
由来は「この地方は若狭の中心で白鳳時代からひらけ、この拓き国造りした祖先が、遠敷明神(若狭彦命)で、その発祥地が根来の白石で、都へ近道の起点に良地をえらび、遠敷明神の直孫和朝臣赤磨公が八世紀初め山岳信仰で、紀元前銅鐸をもった先住のナガ族の王を金鈴に表わし地主の長尾明神として山上に祀り、その下に神願寺を創建され、翌年勅願寺となったその秋には、紀元一世紀頃唐服を着て白馬に乗り影向し、すでに根来白石に祀らりていた遠敷明神を神願寺に迎え神仏両道の道場にされた。これが若狭神願寺の起源で鎌倉時代初め若狭彦神社の別当寺となって神宮寺と改称したのである。又、神願寺の開山赤磨公は白石の長者の神童を大和に伴い当寺の名僧、義淵僧正に託され、後東大寺開山良弁僧正となられ、神願寺へ渡来した印度僧実忠和尚が良弁僧正を助けて東大寺を完成し、さらに二月堂を建て、お水取り行法を始められた。その若狭井の水源が白石の鵜之瀬であるから、白石神社で行ったのを伝え根来八幡宮では毎年3月2日、山八神事を行い同日夜、神宮寺から神人と寺僧で鵜之瀬へお水送り神事がある。」
拝観料は400円です。
福井県小浜市神宮寺町30-4
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案内図

仁王門(重要文化財)
「鎌倉時代末期再建。間口6.37m、奥行き3.64m、棟高5.5mの単層屋根、切妻造、二軒和様杮葺八脚門。」











本堂(重要文化財)
「室町時代、天文22年(1553)再建、入母屋造桧皮葺、間口8間、奥行9間、向拝一間付、和様唐様天竺様折衷」







境内

茶室




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明通寺・国宝の本堂と三重塔

2016-06-04 15:19:17 | 福井
2016年6月3日、お参りしました。福井県で国宝の建造物が2つあるのはこの寺院だけです。
本堂に入ると住職さんから仏像や建物など丁寧に説明して頂きました。本堂には国の重要文化財の本尊薬師如来坐像、降三世明王立像、深沙大将立像を安置しており、拝ませていただきました。客殿には重要文化財の不動明王立像が安置されています。
縁起についてパンフレットより「延暦のむかし、この山中に一大桐樹(ゆずり木)あり、その下に世人に異なる不思議な老居士が住んでいました。たまたま坂上田村麻呂公、ある夜、悪夢を感じ老居士の命じるままに天下泰平、諸人安穏のため、大同元年(806)このところ堂塔を創建し、居士また桐の木をきって、薬師如来、降三世明王、深沙大将の三体を彫って安置したと云う。以来1200年、法灯たえることなし、現存の堂塔は、中興頼禅法印の再建にかかり、地方にありながら中央のものにも劣らぬ優秀な密教建築である。」
拝観料500円です。
福井県小浜市門前5-22
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説明書



階段

山門(小浜市指定文化財)、明和9年(1772)再建







仁王像(小浜市指定文化財)、鎌倉時代のもの





境内





鐘楼





説明書

本堂(国宝)
「正嘉2年(1258)再建、鎌倉時代中期、単層入母屋造、桧皮葺です。」
屋根、勾配など素敵な建物ですね。









三重塔(国宝)
「文永7年(1270)再建、鎌倉時代中期、三間三層、桧皮葺、総高22.26メートル。」





















客殿













かやの大木(小浜市指定文化財)、樹齢約500年


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若狭瓜割の滝と天徳寺

2016-06-04 14:14:17 | 福井
2016年6月3日、若狭熊川宿を散策した後、若狭瓜割の滝があるとのことで、立ち寄りました。国道303号線から国道27号線で小浜方面に進み、瓜割の滝口の交差点から若狭瓜割名水公園に車を止めました。少し登ったところに小川に滝ほどではなく、湧水の段差のような感じですね。天徳寺の境内のような雰囲気です。
福井県三方上中郡若狭町天徳寺38-3
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案内図

若狭瓜割の滝
名水公園前の土産物店











少し登り坂



鳥居





小川のせせらぎ

階段



瓜割の滝の看板、駐車場から数分歩いた場所です。

鳥居の横の小川のところが滝です。







天徳寺
高野山真言宗の寺院で、「今からおよそ1300年前の養老年間、泰澄大師が馬頭観音像一躯を刻んで山腹の岩窟に安置し去ったことを以て寺の起こりとしている。」
天徳寺山門































中門





















お疲れ様でした。
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鯖街道・熊川宿(重要伝統的建造物群保存地区)

2016-06-04 00:07:23 | 福井
2016年6月3日、行きました。非常に天気も良くて最高でした。神戸から舞鶴若狭自動車道を通って、小浜インターを降りて若狭熊川宿の道の駅まで行きました。
鯖街道の歴史は『古代、若狭は、朝廷に食料を献上する御食国(みけつくに)のひとつでした。日本海で獲れた魚や貝が遠路はるばる京都に運ばれ、いつの頃からか、「京は遠くても十八里」と言われるようにもなり、特に18世紀後半からたくさんの鯖が若狭の海で陸揚げされ、「鯖街道」と称されるようになりました。与謝蕪村も鯖を背負い都に入る若狭の人々が目に止まったのか「夏山や通ひなれたる若狭人」と詠んでいます。』
熊川宿の誕生は「秀吉に重用され若狭の領主となった浅野長政は、天正17年(1589)に熊川が交通と軍事において重要な場所であることから、諸役免除して宿場町としました。以来40戸ほどの寒村が200戸を超えるような町となりました。」
伝統的建造物群の特徴
「熊川の町並みの特徴は、街道に面して多様な形式の建物が建ち並んでいるところです。全く形式の異なる建物が混在しながらも、連続性を持った町並みを形成しています。」
福井県若狭町熊川18-2
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鯖街道ミュージアム

休憩所

歴史街道案内図

道の駅から、鯖街道・熊川宿の道標

雲ひとつない晴天でした。道は歩きやすいように舗装しています。

熊川番所の門







番所説明書
『若狭と近江の国境に位置し、かつて「入り鉄砲に出女」の統制と物資への課税が行われていました。全国でも宿場内に残る復元された番所として貴重な歴史的建造物です。』







権現神社
『上ノ町の上側にある、熊川では権現さんと称される社です。昔、上ノ町で、道の表面に白い石が出ると、村に火災や水害がおきたことがありました。そこで、村人が相談してお社を建てて、その白い石をお祀りすることになったのが、この神社のいわれであるとされています。鳥居額には、「火災・水雨神社」と銘があり、この神社の性格を表わしているようです。』





街道













大岩(子守り岩)
「この上ノ町の大きな岩ではよく子どもたちが遊びますが、けがをしたことがないからです。そして、権現さんと関係がある岩であるとの話もあります。」

















旧逸見勘兵衛家住宅(若狭町指定文化財)
「伊藤忠商事二代目社長・伊藤竹之助翁の生家で、主屋、土蔵、庭があります。」







宿場館(若狭鯖街道資料館)
「昭和15年、伊藤竹之助翁が熊川村役場として建てたものです。トスカーナ風の柱頭をもつ円柱や、中央に越屋根が付いた寄棟瓦葺の屋根などの特徴をもち、昭和初期の熊川の一面を垣間見ることができます。」



























菱屋(勢馬清兵衛家)
『旧問屋で屋号を「菱屋」という旧家。格子と水路の取り合わせが美しい建物です。』







覚成寺



















白石神社
「熊川地区の氏神であり旧指定神社で、祭神は、彦火々出見尊、白髭明神、小浜藩主酒井忠勝公、山の神が合祀されています。毎年5月3日に祭礼が行われ、山車が巡行します。」







拝殿



本殿













得法寺
『元亀元年(1570)に、織田信長は豊臣秀吉と徳川家康を従え、越前朝倉義景を攻めるため、京都から熊川を通り敦賀へ向かいました。このときに家康は得法寺に泊まったといわれ、境内の松に腰をかけたのが、今も東の隅に残る松の木であるとされており、「家康腰かけの松」と呼ばれています。』





本堂



鐘楼





家康腰かけの松









松木神社
「若狭の義民松左衛門が祀らりている神社です。境内には昭和10年に庄左衛門の遺徳を顕彰するために建てられた義民館があります。」





























義民館





御蔵道
「北川の船運の米が、この路地を通り、松木神社境内の蔵屋敷に至ったことにこの名の由来があります。」



倉見屋荻野家住宅(重要文化財)
「熊川宿で最も古い町家です。問屋の形式をよく残しています。









まがり











下ノ町













洗い場









井戸











道の駅に戻りました。丁度お昼になりましたので、昼食です。
鯖寿司セット(1400円)とおろしそば(550円)です。



御馳走様でした。
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