閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

本屋の行く末

2016-02-02 10:46:30 | 日記
同業者が たて続けになくなった。一人は 小生と同年。ほぼ同じころ同業になりつかず離れずのつきあいではあったけれどやはりさびしい。 いわゆる団塊世代ですでになくなったのが2・3人。 2・3歳違いが九州でもほかに5・6人いる。「順番通り」とはいかないのはわかっているけど 身近になくなられるとそれなりの感慨がある。 葬儀場での話で、古本屋がこんなに「衰退業」になるとは思わなかった、という話が出た。 かつて大御所と言われた弘文荘・反町氏が「日本の古本屋は半分以下になります今のような「駄本」を扱う店は消滅します」と言っていた事が本当になったといえる。彼は「古典籍を扱うようにならなければだめ、生き残るのは古典籍だけです」と。小生についていえば古本屋を継いだころに似たようなことを言われた覚えがある。それは「若い時は多量の「新本(あらほん)を扱っても平気だろうが 年をとるとそうはいかない、和本・書付の様な軽くて風呂敷で持ち運ぶようなものを扱うことを心がけなければならない。今のうちから勉強すればおのずとそういうものを見る目ができてくる」と。 まさにおっしゃる通り。反町氏の「六法やハウツーものを扱う店はだめです」というのは早速実行したのだけれどほかはやはり日日の店売りにかまけていたといわれても否定はできない。小店の看板の一つの「炭坑もの」については閉山以降は売り・買い共にほとんど動きがなくなってしまった。 書道の本もかなり大きい比重であったけれど、これもある書家がなくなってその一統の人たちが来なくなったらまるで死に本になってしまっている。また、かつて限定・特装本や版画の入った本を扱っていた時もそう、ある熱心な方がいるときはそれにつられる人もいて品物が動いていたけれど、その人が欠けるとまわりに人もいなくなってしまってまったく商売にならなくなってしまった経験がある。ここが田舎の田舎たるところで お客の層がきわめて薄く、入れ替わって顧客になる人がいないのが現実。それでも まったくときどきではあっても処分の話が我店に持ち込まれ、九州の本屋の中では一応「和本」を扱う店、といわれているのは 本当に幸い。 そこで「読めない」という大変厳しい現実に突き当たって 困った状況にあります。我店の商いがほとんど大牟田を相手にできないことは縷々述べている、この状況は変わるはずもないが、これまでに培った(というほどでもないか)大牟田周辺の歴史や文化に関する知識の蓄積を継承させたいという思いは小さくない。 あと数年で我店も消滅するはず。その後のことまで小生が思うことではないか・・。
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