いきなり引用です。「知識はしばしば人間を独善的な思い込みから解放してくれます。色々な物事を知ることによって、いままで自分はこうだとしか思ってこられなかったものが、こんな別の可能性があるのかとか、こういう事も昔あったんだとか、こういうことを考えた人がいたなど一つひとつ知っていくことによって、私たちの心が開かれたり、囚われから解放されたりという事はもちろんあるので、知識というのは人間にとってもっとも大切にしなければいけないものだと百パーセント信じています」
輩はかねがね「本を読まない者はおのれの知らざるを知らぬ馬鹿者」と言ってきた。「頭(ズ)が高い」とも。
「率直さはよいこと、あからさまはよいこと、欲望は解放されるべきであり、何かによって抑圧されることは、個人の自由の侵害である」という戦後の教育。
この先の都議選で顕著だった、また「撮り鉄」騒動でも見られる、このごろ極端に増えてきた、「自由」の履き違えについてもかねがね「分際」「弁え」という事を言ってきた。ことに日本では「金さえあれば」という(それも「小」のつく程度の大した金額ではない)風潮に異論を唱えないのはおかしい、とも。
まだ半分しか読んでいないけれど書き留めておこうと思った。いつもの様に、輩が手にする本は「新刊」ではない。2004年刊「やりなおし教養講座」・村上陽一郎・NTT出版・4757140851。 のまだ前半から、である。
此の「やりなおし教養講座」はぜひ皆さんに読んで頂きたい。
例によって輩の文章能力は低いのでお伝え出来ないがまだまだ「同感」、あるいは以前から話してきていたことがそっくり この本の中にあります。小生の攻撃的慨嘆より 彼のやわらかい語りの方がなじみやすいでしょう。そして彼の該博な知識に驚かれることでしょう。 輩かくありたいと思いつつ齢を重ねてしまった。
個人的には村上氏には大学で講師として来ておられてそれこそ「教養」講座を1年間受けたものである。US帰りの「新進気鋭の」という触れ込みであった。のち彼がcelloをたしなむことを知りなお近親感を持ったことである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます