晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

高杉探訪-4 3/10

2017-03-10 | 歴史・民俗

2017.3.10(金)雨 考察編-1

 両丹日日新聞1991年(平成3年)7月17日に「金探しの夢膨らむ洞穴ー金山跡など6カ所巡る」というタイトルで紹介されている。紙上では金山跡と呼ばれ終戦直後まで金鉱石が掘られていたと書かれている。薬師堂からの坂道が「金堀坂(かねほりざか)」と呼ばれていることは事実だが、金が産出していたかどうかはわからない。

「終戦直後に大阪の業者がノミやハンマーで金鉱石を採取し、小さなトロッコで運び出していた」と63才の清水甚太郎さんの言が掲載されている。俄に信じられないような話だが、ご存命なら89才である、なんとか確認できないものだろうか。三和町史にはこの坑跡についての記事は無く、菟原村誌にも見当たらなかったと思う。今回お借りした「高杉観光ガイド」(上田喜重郎著・1985年)には次のように書かれている。
 「(薬師堂の)左側の道を府道の方に降りる坂を、金堀坂と申します。昔、金を掘った所で、深さ六、七間の横穴がございます。銅か鉄かは昔のことでわかりませんが、沢山出た様子はございません。此の道は旧道で寺ヶ谷口に、左友渕、右山と書いた石柱が立っています。」
 6,7間の横穴とあるが、新聞には「奥行き約7m、突き当たりには4mの竪穴がある」と書かれている。地元の人の聞き取りもすべて竪穴とされており、坑道入り口が埋められたのも子供たちに対するこの竪穴の危険性からということである。
 なんとか採鉱された金属と時代を確認できないものかと思うが、埋められた坑道を掘り出す必要もあり、かなり困難な状況だ。一応小滝先生に相談してみようとは思っている。つづく

小滝先生が「福地山の自然遺産」に書かれたチャートのしゅう曲は坑道から200mほど先である。
 
【今日のじょん】
 
 久々に水泳に行って、じょんものんきに散歩したのが3月7日。その夜から悲劇が始まって下痢、軟便の連続でビオフェルミンも効果無く、今日はじめて病院に行く。じょんの話やで。じょんの調子が悪いと一家の歯車がガタガタになるので、とにかく早く治ってくれい。

コメント
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